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 私には、特別なことなんて何一つない。
 普通に生まれて、普通に生きてきて、普通に今を暮らしている。 だから私には特別なことなんてできないと、ずっとそう思ってきた。
 しかし、よく考えてみると、『特別』とは一体何なのだろうか。人によって常識や日常が異なるように、 何がその人にとっての『特別』になり得るのか、ということもまた異なるのではないだろうか。
 私にとっての普通が誰かにとっては『特別』なことになる。
 もしかしたら、そんなこともあるのかもしれない。



「あの頃、俺はずっと悩んでいたんです。レオンとフェルローと、優秀な兄が二人もいて。 俺みたいに何一つできない人間が王位継承者の候補でいていいのか」
 大きなベッドの私の隣、人が一人間に入れそうなくらいの距離を置いた場所に座って、クライスさんは語った。
「いっそ、辞退した方がいいんじゃないのか。そんなことばかり考えていました」
 その告白は私にとって、とても意外なことだった。そんな風に自分を卑下する必要なんて、 クライスさんのどこにもないと思うのに。
「そんなときに、マナカさんが選び出されて。会ってみたいと思ったんです。王を選び、その伴侶となる人だったら、 俺がこれからどうしたらいいのか教えてくれるんじゃないかと思った」
 それでクライスさんは、ロゼリアラさんに頼みこんで、私の世界に連れて行ってもらったのだそうだ。
 今から思えば無茶な頼みごとだったとクライスさんは苦笑した。
「あの人は、俺たち兄弟には甘いから」
 実はロゼリアラさんは、王宮付き魔術師であると同時に王様の妹、つまりクライスさんたちの叔母にあたるらしい。 傍若無人なロゼリアラさんも、身内には甘いということだろうか。
「それで、私の世界に来てどうなったんですか?」
 私はクライスさんに向けて、わずかに身を乗り出した。
 よくよく考えてみれば、クライスさんは私に会いに来たのだから、私がその後の展開を質問するというのも なんだかおかしな気はする。しかし当の私に、クライスさんと出会った記憶がまったくないのだから仕方がない。
「マナカさんと話をするためにわざわざ連れてきてもらったのに、俺はなかなか話しかけることができませんでした。 いざ、となると緊張してしまって…。ずっと、マナカさんのことを遠くから見ていた」
「……私、何してましたか?変なことしてなかったですか?」
「普通でしたよ。普通に話をして、普通に笑ってました」
 ひとまず安心する。とりあえず、あからさまな奇行には及んでいなかったようだ。
「本当に…俺とほとんど変わらない、普通の女の子に見えた。特別な役目を負った人にはとても見えなかった」
 クライスさんはきっと、私に『特別』を期待していたのだろう。親が子供に、教師が教え子に道を指し示すように、 誰か特別な人に導いて欲しかったんじゃないだろうか。
 しかし私は残念ながら、少しも『特別』なんかじゃない。
「ファランディーアに帰るときが目前まで来て、ようやく決心がついて。思い切ってマナカさんに話しかけたものの、 正直何をどう話したらいいのか、もうわからなくなっていて…」
 そのときのことを思い出しているのだろうか。クライスさんの顔に浮かぶのは、苦笑いの表情だ。
「だいぶ、不審に思われたんだろうと思います」
「な、何か無礼なことをしてしまいましたか…?」
「いえ。むしろあれは自然な反応だったと思いますよ。いきなり現れた知らない人間に、よくわからないことを言われたら 不審を抱いて当然です」
 そうクライスさんはフォローしてくれたが、おそらく私は結構な対応をしてしまったのだろう。元々、 私はあまり社交的な性格ではない。それに十年前といえば、まだまだ子供だった頃だ。その頃の私が、 オブラートに包むという技を身に着けていたかどうか。
「すみません…絶対に私、失礼なことしました……」
 先手必勝、とばかりに自己申告で謝罪する。
 打ち首にされていなくてよかった。
「マナカさんが謝らないで下さい。謝らなければいけないことをしたのは、むしろ俺の方だ」
「…それって?一体どういう…」
「………子供の頃に、事故にあったのを覚えていますか?」
 それならばはっきりと覚えている。それが原因とまではいかないが、事故で入院したのがきっかけで、 私は周囲の人たちと疎遠になることになったのだから。
「俺のせいなんです」
「は…?」
 さっきから私は、一体何度こうしてクライスさんの言葉を訊き返しているのだろうか。
 もう少しまともな反応を返せないものかと自分でも思うが、うまく相槌を打とうにも、わからないことばかりなのだ。 気のきいた返事のしようもない。
「マナカさんが事故にあったのは、俺がいたからなんです。俺がいたから避けられなかった。それどころか、 マナカさんは俺のことを庇ってくれた」
 なんだか、自分の話を聞いている気がしない。
 後で聞いた話によると、あの時の事故は無免許運転が原因だったらしい。歩道にいた私のところに車が突っ込んできて、 そして為すすべもなくはねられた。警察が絡んだあれやこれやまでは子供だった私の耳には届かなかったが、私の他にもう一人、 クライスさんがその場にいたなんてことも、誰も言っていなかった。
「俺はすぐロゼリアラにこちらに連れ戻されたので、あまり印象に残らなかったんでしょう」
「それでも…」
 言葉を交わしたはずなのに。
 事故のことは覚えていても、クライスさんの存在はまったく記憶にない。
「新しく記憶をするには、古い記憶を忘れるしかない。人はそうやって生きるものですから」
「でも、クライスさんは覚えてる」
 私はクライスさんのことを覚えていないのに、クライスさんは、私のことを覚えてくれている。
「忘れませんよ。俺があなたのことを、忘れるはずがない。あの日、あの瞬間から、マナカさんは俺の『特別』になったんです」
「…そんなこと、ないです。私は全然特別なんかじゃ……」
 そもそも、私がクライスさんを庇ったというところからして何かの間違いなんじゃないかと思う。私は、 自分が危険な時に他人を助けようとするような、そんな綺麗な人間ではない。逃げようとしてクライスさんを押しのけるか何かして、 それが結果として、助けることにつながっただけなのではないかとすら思う。
「それでも、俺がマナカさんに助けられたのは紛れもない事実です。そしてマナカさんが、俺のせいで怪我をしたことも」
 反論しようと口を開きかけた私を制するように、クライスさんは先回りする。
「怪我をさせた負い目があって、こんなことを言っている訳じゃないですよ。特別な人間でなくても特別なことができるんだと、 特別な人になれるんだと、そのことをマナカさんは教えてくれた。全部、俺の心次第なんだと思わせてくれた。 だから俺はここまで頑張ってこられたんです」
 なぜだろう。レオンさんの言葉より、フェルローさんの言葉より、クライスさんの言葉は心に響いた。クライスさんが、 私のことを普通の人間だと認めた上で、それでも『特別』だと言ってくれているからだろうか。
「王になるためにマナカさんを求めるのではなく、マナカさんに相応しくあるために、王になりたいと思った。俺も、 マナカさんにとっての『特別』になりたかったんです」
 まったく無意識で、それどころか思い出すことすらできないけれど。
 こんな私が人に影響を与えて、人の役に立っている。そのことが、なんだか嬉しい。
「王を目指す動機としては不純だと、自分でも思うんですが…」
「全部が全部、立派な動機で動いている人なんてそんなにいないです。大事なのはやろうって思ったことと、 精一杯やることなんじゃないかって、私は思います」
 私の知る限りの、ほとんどの社会人がそんな立派なものではなかった。他人に誇れるような志を持って、 それを実行している人なんてほんの一握りに過ぎない。もちろん、言うまでもなく私は大多数の所属だ。
「きっかけが何であれ、クライスさんが王様になりたいって思ったのは確かなんですし、そのためにずっと努力してきたんですよね? だったら、全然問題ないと思います」
「………ありがとう、ございます」
 気がつくと、クライスさんが私を見ていた。冴え冴えとした青の瞳が微かに熱を帯びて見える。
「あ、あの…」
 何か言わなきゃと焦って。じりっと後ろに下がろうとした手がベッドの端に触れて、どこにも逃げ場のないことを思い出す。 すぐ敵前逃亡しようとする思考回路に自分でも半ば呆れつつ、私は再び意を決した。
「ごめんなさい、クライスさん」
「それは……何に対してですか?」
「私、クライスさんのこと嫌いじゃないです。むしろ好きだと思う。だけどそれが、どんな意味での『好き』なのか、 自分でもよくわからないんです。クライスさんだけじゃない。レオンさんも、フェルローさんも、好きか嫌いかと訊かれたら 多分好きって答えるけれど、その意味までは答えられない」
 だから、ごめんなさいと。
 まっすぐクライスさんの目を見て言い放ち、頭を下げる。
 膝の上で握りしめた両の拳がじっとりと汗をかく。うるさく騒ぐ心臓をなだめてすかして、なんとか落ち着かせながら 私はクライスさんの言葉を待った。
「………つまり、俺にもチャンスがあると。そう思っていいんですか?」
 思わぬ形で逆に問いかけられて、私は顔を上げた。
「今はまだわからなくても。これから、俺がマナカさんの『特別』になれる可能性があると」
「え………は、はい。多分………」
 そうとしか言えなかった。何しろ、可能性だけなら無限に存在するのだから。将来的に私が日本の総理大臣になる可能性だって ゼロではない。ただ限りなくゼロに近いというだけで。
 そんな私の、適当と罵られてもおかしくないような返答に、クライスさんはそれはそれは晴れやかに笑った。






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