小さな子供だったときは、それなりに友人もいたように思う。今のように家に引きこもって 日々を過ごすようになったのは中学の頃からだ。といっても、別にいじめや何か事件が あったわけではない。ただ不幸な偶然が重なって、結果、私は引きこもりとなった。
 小学校を卒業すると同時に、私たち一家は引越しをした。それまで親しんできた環境に別れを告げて、 新しい土地で、新しい生活が始まるはずだった。
 中学の入学式を目前にして、私は交通事故にあった。命に別状はなかったものの、しばらく入院を することになり、完全に、新たなスタートを切り損ねてしまったのだ。ようやく退院し、初登校の日を 迎えたとき、そこには既に私の居場所はなかった。



 前置きが長くなってしまったが、そんな訳で私は青春時代のほとんどを親しい友人のないまま 過ごしてきた。勿論、異性とデートなど企画が立ち上がったことすらない。
 そんな私が、今では金髪美形の王子様を相手に三股デート。いいご身分だ。私の全防衛機能が、 これ以上は深く考えない方が良策だろうと警報を鳴らしている。
 私は細かいことは一切気にせず、海外旅行にでも行って、現地のかっこいいガイドさんに観光案内を してもらっているのだと思うことにした。そう考えればこの状況もまた楽しい。そう、楽しいのだ。
 さすがにTシャツ姿でうろうろと歩き回るのはまずいだろうということで、私は突然現れたメイド姿の 少女たちに着替えをさせられた。年下の可愛らしい女の子にシャツをむしられたときは内心悲鳴を あげたが、手際よく着せられた服は可愛かった。私とて、一応は女の子に分類される生き物だ。 全然似合っていないのが残念だったが、それでも可愛い格好をするのは楽しい。
 そうして異国の町娘風に変身した私は、王子たちの先導のもと建物の中を案内してもらっていた。 異世界で、魔術師で、王子様。そんなファンタジーなものたちがひしめくこの建物は、やはり城と 呼ばれる場所らしい。旅行雑誌や旅番組でよく目にするような、ヨーロッパ辺りの城とよく似た造りを しているような気がする。気分は完全に観光客状態だ。
 きょろきょろしながら歩いていると、両開きの大きな扉の前にたどり着いた。
 レオンさんがその扉を押し開き、フェルローさんにエスコートされて、私は部屋の中に足を踏み入れた。 クライスさんは、相変わらず無言のまま私たちの後ろを付いてくる。
「すごい…!」
 思わず、私は歓声をあげていた。
 見渡す限りの本、本、本。私の身長よりも背の高い本棚が、広い室内にずらりと並んでいる。ひやりと 冷たい空気と、独特の本の匂いが空間を満たしていた。
「この書庫には、国中の様々な書物が収められているんだ」
 基本的に無趣味な私が興味を示す唯一と言っていいものが、本だ。小さな頃から本を読むことだけは 大好きだった。本屋や図書館は、私のお気に入りの場所だ。それこそ、何時間でも滞在できるくらいに。
 私は吸い寄せられるように、目の前の本棚に手を伸ばしていた。
「…見てもいいですか?」
「もちろん」
 どきどきしながら一冊手に取る。革張りの立派な装丁の表紙を開いた。
「………」
 がっかりした。
 紙面に散らばった、見覚えのない文字列。日本語とは明らかに異なる言語で著されたそれ。 読める訳がない。
 恨みがましい目で、私はとりあえず一番近くにいたレオンさんをにらむように見上げた。
 喋る言葉が同じだったからすっかりと油断していた。しかしよくよく考えてみると、何の問題もなく 言葉が通じていることの方が不自然な気がする。ファンタジーなんてそんなもんだと言ってしまえば それまでだが、話し言葉と書き言葉、片一方だけ同じというのはどういう事情によるものなのだろうか。
 そんな私の素朴な疑問に答えてくれたのはクライスさんだった。
「俺たちを含めて、この世界の人間にはテレパシー能力があるのだと言われています」
 どうやらファンタジーが、SFに方向転換してしまったようだ。
「マナカさんの世界とこちらとでは本来、使っている言語が違います。同様に、この世界の中でも 地域によって使用されている文字はまったく異なる。それでも俺たちは今まで、どんなに遠くから来た 人間とでも、会話をするのに困ったことはありません。それはこの世界の人間が、言語そのものとは 別の部分で意思の疎通をしているからだというのが、現在一般的に言われている説です」
 説明する言葉を真剣に聞くふりをして、いや、実際ちゃんと聞いていたのだが、その一方で私は クライスさんがこんなに長く喋るのを初めて聞いた、などといささか場違いなことを考えていた。
 それにしても、テレパシーとは。
 なんと便利な人たちなのだろう。彼らがもし普通の人間だったら、今頃、私は異世界で一人、 言葉も通じず途方に暮れているところだったのだろうと考えるとぞっとした。いやむしろ、 言葉の問題があったらわざわざ異世界人を召喚しようなどと考えなかったのだろうか。そう考えると、 便利どころか疫病神のようなものということになる。
 そんなことをつらつらと私が考えていると、ふいにフェルローさんがひょいと顔を覗き込んできた。
「文字なら俺が教えてあげるよ。そんな小難しいのじゃなくて、もっと簡単でおもしろい本を買ってきて あげるから、一緒に読もう」
 顔の近さにのけぞりつつも、私はつい、期待にきらきらと輝いているであろう瞳でフェルローさんを 見上げた。
「………本当ですか?」
「あ。今、喜んでる?可愛いなぁ」
 抱きついてこようとするフェルローさんから必死で逃げながらも、顔がにやにやと笑い出しそうになる。 あまり濃いスキンシップはごめんこうむりたいが、フェルローさんの申し出は正直嬉しかった。異なる 世界の人間が著した本。ああ、早く読んでみたい。
 さっとレオンさんの後ろに逃げ込んだ私は、広いその背中の影からフェルローさんを振り返った。
「………ありがとうございます」
 ぽつりとお礼を言った瞬間、フェルローさんばかりかレオンさんにまで何だか暖かな眼差しを 向けられて、私は内心で激しく身悶えた。



 その廊下の壁には、大きな額縁に入れられた肖像画が何枚も肩を並べていた。
「代々の王と、王妃を描いたものだ」
 ナイスなタイミングでガイドをしてくれたのはレオンさんだ。さっきからずっとこの調子で、 私に城内のことを説明してくれている。
「レオンさんたちのご両親の絵もあるんですか?」
「ああ。年代順に並んでいるから、一番端の……これだ」
 初代から辿っていって、一番最後に飾られた絵の前で足を止める。
 少し癖のある金色の髪と、優しげな青の瞳。三人の王子たちの中ではレオンさんに一番似ているように 思える。豪奢な衣装に身を包んだ青年が、まっすぐ正面に向いて立っている。
「父が王位に就いたときに描かれたものだから、ちょうど二十三歳の頃だな。クライスと同い年だ」
「えっ!?」
 思わず叫んでしまう。
 外人さんの顔立ちは非常に年齢がわかりにくい。思ったよりも若いというパターンが多いことは 知っていたが、まさかクライスさんが、私よりも年下だとは思わなかった。
 まじまじと見つめると、クライスさんは照れたように、少し笑ってうつむいた。
「ちなみに俺が二十六歳で、レオンは二十七歳」
 すかさずフェルローさんの補足が入る。
「マナカは、年齢の割りに童顔だよね」
「………よく言われます。というか、私の年を知っているんですか?」
「まぁね」
 三人、目を合わせる。レオンさんは何一つ問題などないというように堂々と、フェルローさんは おもしろそうに笑って、クライスさんは少し気まずそうな表情で。
 私の個人情報は一体、どこまでばれてしまっているのだろうか。異世界人にプライバシーはないのか。
 なんとなくそれ以上追及するのが怖くなった私は、話しの方向転換を試みた。
「こ、この方が、お母さんですか?」
 絵の中の王様のかたわらで、椅子に腰かけて微笑む女性。なんとも絵になる二人だ。いや、 実際に絵画であるのだが。なんというか、そう、お似合いだと思ったのだ。外見的特徴からして、おそらく日本人なのだろう。 しかし同じ日本人とは思えない、大きな目にはっきりとした顔立ち。私とは月とすっぽんどころか、宇宙とミジンコくらい違う。
「二十六歳でこちらの世界に喚ばれて、そのまま父と結婚したらしい」
 二十三歳の父親と、二十六歳で結婚した母親。ということは、姉さん女房だったのか。
 私は改めて、絵の中で微笑んでいるその人を見つめた。突然こんなことになって、戸惑ったり しなかったのだろうか。怒ったり、泣いたりすることはなかったのだろうか。寄り添う二人はただ、 幸せそうに私には見えた。
「お母さんに、会わせて頂くことってできますか?」
「いや、それは無理だ」
 思い切って投げかけた願い事を間髪入れずに否定されて、少し落ち込む。
 そんな私を見て、レオンさんは慌てたようにフォローを入れた。
「許可するとかしないとかではなく、無理なんだ。母はもう、ずっと昔に亡くなっているから」
「え…」
 これほどに自分の無神経さを呪いたくなったのは、随分と久しぶりだ。
「私たちがまだ小さかった頃のことだ。流行り病にかかって、そのまま息を引き取った」
「ごめんなさい…」
 しゅんとうなだれる私の頭に、ぽんと大きな手のひらが置かれた。
「マナカは優しいな」
 そう言って微笑む、レオンさんの方がよっぽど優しいじゃないかと、私はそう思った。






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