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 もうすぐ黄金色の日々が終わる。
 十二時の鐘とともにシンデレラの魔法が解けるように、私は、日常に戻るのだ。



「向こうの屋台が出ているはずだから何か買ってこよう。フェルロー、お前も来なさい」
「レーオーン。引っぱらなくても一人で歩けるよ?」
 そんなやりとりを残して、レオンさんはフェルローさんを伴ってどこかへ行ってしまった。
 つい先ほどとんでもない勘違いをやらかしてしまった身としては、置いていかれていささか気まずい。思い出して、 またぐるぐるしてしまいそうになる脳みそを、しっかりしろと叱咤する。
「…クライスさんは、座らないんですか?」
 赤紫色の花が咲き乱れる生け垣に沿って設置された木製のベンチ。その内一つの埃をさっと払って私を座らせた後、 なぜかクライスさんは傍らに立ったままでいた。
「俺は大丈夫ですから、気にしないで下さい」
 そんなことを言われても気になってしまう。そういえば昨夜、セイエンさんの部屋に二人で閉じ込められたときも、 クライスさんは初めわざわざ床に座っていた。
「あの…私の隣が嫌でしたら、違うベンチもあるので…」
「そんなっ!マナカさんの隣が嫌だなんて、そんなことは絶対にないです」
「それなら、座って下さい。席つめますから」
「………いいんですか?」
 小さいつぶやきに、私は首を傾げた。
「…まずかったですか?」
 クライスさんが何に気を遣っているのかわからず、逆に訊き返してしまう。
「いえ、マナカさんがよければ。…失礼します」
「あ、はい。どうぞ」
 慌てて、クライスさんが隣に座れるよう少し横にずれる。
 ベンチは大人二人が並んでちょうどのサイズのため、隣同士で座るとその距離は近くなる。相手の身じろぎすら感じられる距離感に、 思いがけず動揺した。なぜだろう。誰かと隣り合って座るなど、日常生活においてよくあることなのに。変に緊張してしまって、 クライスさんの顔を見ることができない。
 目のやり場に困った私は、苦し紛れに辺りの緑を観察することにした。とりあえず手近なところで、 すぐ傍の生け垣を愛でてみる。
「………あれ?」
 ふと、私はあることに気が付いた。
「この世界にも、ツツジってあるんですね」
 緑色の中に彩りを添えるように咲いている、生け垣の花。それはツツジの花とよく似ていた。春頃になると公園やら ガードレール沿いやらでぽこぽこと花を咲かせている、あれだ。
「あ、ツツジって言ってもクライスさんわからないですよね…」
「いえ、わかりますよ。マナカさんの言う通り、ここに植えられているのはツツジです」
「ツツジって、名前まで同じなんですね」
 すごいぞツツジ。異世界でまで共通だなんて。
「元々この花はマナカさんの世界から持ち込まれたものですから」
「え、そうなんですか?」
「はい。母が、この花を好きで。初めは小さな鉢植え一つだったんですが、異世界の植物という珍しさもあって段々と広まっていった ようです。今ではファランディーアのあちこちで見ることができますよ」
 なんだか不思議な感じだった。言葉も、文化も、常識も、何もかもが違う異世界で、私の知っている花が咲いているなんて。 ファランディーアの大地に根を張って、こんなにも綺麗に咲き誇っているなんて。
「クライスさん。……お母さんのこと、訊いてもいいですか?」
 肖像画で見た女の人の姿を思い出す。私と同じようにこの世界に召喚された、私なんかとは比べものにならない綺麗な人。 王様と結婚して、クライスさんたちを生んで、育てて。そしてこの世界に、看取られて逝った人。どんな人だったのか、 無性に知りたかった。
 亡くなった人のことを尋ねるなんてクライスさんが気分を害したりしないだろうかと、どきどきしながら思い切って訊いてみる。
「母ですか?そうですね…とても、厳しい人でした」
 クライスさんの、懐かしむような表情に混じる苦笑。
「俺も、フェルローもレオンも、よく叱られましたよ。何か悪いことをすると、叱責より先に拳が飛んでくるんです」
「………」
「でも優しい人でした。厳しく叱るのは俺たちを愛してくれているからなんだと、そう思えた」
 少し予想外だった。絵の中の女の人は、怒ったり殴ったりなんていう行動とは対極にありそうに見えたのに。だけどきっと、 私が考えていたよりもずっと素敵な人だったんだろう。
「俺からも、質問していいですか?」
 いつも真面目なクライスさんが、いつになく真面目な顔で私を見ている。その迫力に若干圧されつつ私は頷いて返した。
「…ファランディーアは、嫌いですか?」
「………え?いえ、嫌いではないですけど…」
「この国は、マナカさんの故郷の代わりにはなれませんか?」
「え、っえ?」
 クライスさんの意図がわからず、ただその勢いに混乱して意味のある言葉を返すことができない。そんな私の状況に気が付いたのか、 クライスさんははっとしたように首を振ると、すみませんと小さく謝罪を口にした。
「母がよく言っていたんです。ファランディーアの王妃になることは、故郷と別離することだと。帰る方法が存在しているとはいえ、 生まれ育った土地や親しい人たちと離れて、一からすべてを学ばなければならない道を選ぶのは簡単なことではないと」
 俺は、と。自分の言葉に覆いかぶせるようにクライスさんが続ける。
「俺はマナカさんが好きです。マナカさんに、ずっとファランディーアにいて欲しい」
 この国に残ることの困難を説きながら、同じ口でクライスさんはここにいて欲しいと語る。
「……おかしいですよね。今更こんな、矛盾したことを言うなんて」
 自嘲するように笑うクライスさんに何か声をかけようとして、結局かけられる言葉を探し当てることができずに、 もどかしい思いを胸に抱えて私はただ、何度も首を振った。
 役立たずな私に、それでもクライスさんはありがとうございます、と微笑んでくれる。
「レオンやフェルローだったら、絶対に幸せにするから、なんて格好いいことも言えるんでしょうが。どうも俺には無理みたいです。 もしマナカさんが後悔するようなことになったら、と考えると、すごくつらい」
「………」
「本当はこんな都合の悪いことなんて、黙ったままでいようかとも思ったんですが…。良いことだけじゃない、 大変なこともあるんだと。知った上で選んで欲しかったんです。ファランディーアを………俺を」
 見上げる私の視線と、クライスさんの視線がからまって。



「………二人が戻ってきましたね」
 からまって、解けた。
 言われた方に目をやると、レオンさんとフェルローさんが遠くで手を振っているのが見えた。
 立ち上がり二人を出迎えに行くクライスさん。
 離れていくその背中を無意識に目で追いかける。
 クライスさんは、振り返らなかった。



「今日は楽しかったよ」
「疲れただろう。ゆっくりと休みなさい」
 これから仕事だという三人を、私は送ってきてもらった部屋の扉の前で見送っていた。
「はい、これ」
 フェルローさんに紙袋を手渡される。中身は、ゾーイさんの店で買ってもらった絵本が三冊だ。歩くのに邪魔だろうとすぐ フェルローさんに取り上げられて、それからずっと預けっぱなしだった。
「ありがとうございます。すみません、買ってもらった上に、預かってもらってしまって」
「どういたしまして。また読んで欲しくなったら、いつでも俺を呼ぶといい。なんだったら寝物語でもしてあげるよ」
 色っぽい流し目とともに投下された問題発言に、気のきいた切り返しもできずに硬直する。阿呆のように口を半開きにしている私に 追い打ちでもかけようとするように、にやりと意地の悪い笑みを浮かべたフェルローさんの顔が近づいてくる。
「…フェルロー」
 私をその大きな背中で隠すように、レオンさんがフェルローさんの前に立ちふさがる。後ろからクライスさんが、 がっしとフェルローさんの腕をつかんでいるのが見えた。
「確か、急ぎ目を通さなければならない書類があると言っていなかったか?」
「あぁ、あれなら大丈夫だよ。実はそこまで急ぎじゃないから」
「だが早いに越したことはないだろう。クライス、フェルローを連れて先に行っていてくれないか?」
「わかりました。マナカさん、俺はこれで失礼します」
 丁寧なお辞儀を一つ。クライスさんは、つかんだフェルローさんの腕をそのままに踵を返した。問答無用なクライスさんに 引っぱっていかれながら、私に向けてひらひらと片手を振るフェルローさん。数メートルほど行った先で、今日は随分と 強引じゃないか、いえそんなことはないです、などと賑やかなやり取りをするのが聞こえた。
「何度もすまないな、マナカ」
「っあいいえ、大丈夫です」
「いつもはもう少し真面目な奴なんだが…。こうしてマナカと会うことができて、フェルローもはしゃいでいるんだろう」
 フォローしているのだろう気持ちはわかるが、大の男であるフェルローさんと、はしゃぐという単語のイメージとのギャップに 何ともいえない気分になる。
「…マナカ」
「はい?」
 呼ばれて上げた顔の横に、すっとレオンさんが手を伸ばす。髪に触れられる感触。
「ああ、やっぱりよく似合っている」
 私を見て、満足そうにレオンさんが笑った。
「えっ?」
 不意打ちにうろたえた私は、慌てて扉を開けっぱなしにしたまま部屋に飛び込むと、入口すぐ脇の壁に取り付けられている鏡を 覗き込んだ。
 緩くうねる癖っ毛のセミロング。その耳元の、少し上のあたりに、艶消しの金細工にターコイズブルーの石が入った髪飾りが ささっている。
「これ、市でおばさんが売ってた…?」
 レオンさんが頷く。
 それは正しく、あの大迫力のおばさんが私にと言っていた髪飾りだった。一体いつのまに、レオンさんはこんな買い物を したのだろうか。
「あ、ありがとうございます…」
「喜んでもらえて何よりだ。それでは、私もそろそろ行くよ」
 悠々とした足取りで、弟たちの後を追うレオンさん。その後ろ姿が見えなくなるまで見送って。
「………格好良すぎるよー………」
 思わず、ぽつりと漏らす。
 開け放ったままの扉をきちんと閉めて、私はぼふんとベッドに身投げした。大きな枕を胸に抱えて、ごろり仰向けになる。
 明日でゴールデンウィークが終わる。
 明日、私は元の世界に帰る。
 明日になれば、長いようで短かった異世界トリップともお別れだ。そして三人の王子たちとも。
「………」
 寂しいと、そう感じる自分がどこかにいるのはきっと、楽しかったからだろう。
 色々あったけれど、楽しかった。
 いい思い出として記憶の奥底に沈めるには、この数日間はあまりにも鮮烈過ぎて。
 別れが寂しい。けれど、乞われるままにファランディーアの王妃として留まるという選択肢を選ぶだけの度胸も、 思いも、決意もない。
「…私には、無理だってば」
 誰にともなく、言い訳をするように独りごちて、ぎゅっと両目を閉ざす。
 真っ暗闇な視界の向こう側に、クライスさんの笑う顔が見えたような、そんな気がした。






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