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 広い世界。
 新しい街。
 たくさんの人々。
 色々な思い。
 そんなもの、知らなくたって生きていける。
 でもきっとそれらは、知れば知るほど知りたくなる。
 そんな価値のあるものたちなんだろう。



 街は活気と緑に包まれていた。家があって街路樹が植えられていて、というより森の中に家を建てたという方が近いような、 そんな雰囲気。けれど獣道という風はなく、道はきちんと舗装されていて、街と森とがうまく融合した不思議な街並みだった。 ここは私の知っている場所ではないのだと、改めてそう感じる。
「それにしても…」
 おしゃべりしながら歩く女の人二人組とすれ違い、足早に道を行くおじさんの背中を見送りながら、私はしみじみと三人を眺めた。
「意外と気付かれないものなんですね」
 誰一人、ここに自国の王子様が歩いていることに気が付く気配もない。
「じっくりと見られたら気付かれるだろうな」
「ロゼリアラに目くらましの魔法をかけてもらっていますから。あまり、人の気に止まらないようになっているんです」
「でもそれじゃあ、わざわざ変装する必要はなかったんじゃ…?」
「一応の保険と、あとはまぁ気分の問題だね。この方がお忍び感があって楽しいじゃないか」
 ロングの付け毛の影響で、いつもより三割増しで遊び人に見えるフェルローさんが笑う。そんなものなのかと 若干釈然としないものが残るが、前髪を上げてオールバックにしたせいでまるでヤクザなレオンさんも、妙に慣れた手つきで くいっと眼鏡を押し上げているクライスさんも、特にそれ以上のコメントはないようだった。私としても、 別段どうしても追及したい訳でもなかったので、まぁいいかと思うことにして街並みの方へと視線を移した。
 広い通りの両側にはたくさんのテントが軒を連ねており、威勢のいい老若男女が競い合うように声を上げ、呼び込みを行っている。 きょろきょろとそれらを見物していると、不意にものすごい笑顔のおばさんにがっしと腕をつかまれた。
「お嬢ちゃん、そんなところで見てないで、もっとこっちへおいでよ。ほら、これなんかあんたによく似合いそうだ」
「わっ…!?」
 にこにこにこと店に引きずり込まれそうになる。その迫力に気圧されて、ろくな抵抗もできずにいる私とおばさんとの間に、 すっと誰かが割り込んできた。
「すまない、女将。あとでゆっくりと見させてもらうよ」
 そう言っておばさんから取り戻した私の手をそのまま握りしめて、レオンさんが通りへ歩き出す。いつの間にか随分と 遅れてしまっていたらしく、遠くの方でフェルローさんとクライスさんがこちらを振り向いて待っているのが見えた。 人混みの中ではぐれないようにという配慮なのだろう、つながったままのレオンさんの手のひら。正直恥ずかしい。恥ずかしいが、 ここで手を離して、またはぐれないという保証もない。そう考えて、私は大人しくレオンさんの厚意に甘えることにした。
「ありがとうございます、レオンさん」
「いや、礼には及ばない。皆たくましいからな。悪気はないんだが…。適当なところで逃げないと、 体がいくつあっても足りなくなる」
 私も慣れないうちはよく捕まったものだ、などとぼやきながら、それでもレオンさんはどこか楽しそうだ。
「いつもこんなに賑やかなんですか?」
「普段はもう少し静かだな。今日は市が開かれる日だから、近くの街の住民や商人たちが集まっているんだ」
 街のことに詳しそうな様子といい、さっきからの言動といい、ほぼ間違いなくレオンさんがこんな風に変装して街に出るのは 今回が初めてのことではないのだろう。そしてそれは、おそらく兄弟三人ともにだ。
「賑やかなのは嫌いか?」
「まっすぐ歩けないほど人が多いのは少し…嫌いというか、苦手です。でも、賑やかなのは嫌いじゃないです」
 バーゲンセールのような混雑ぶりは正直勘弁してほしいが、適度な人混みであればあった方がいい。閑散とした街並みは、 見ていて何ともいえない気分になる。
「私はこの風景が好きだ」
 レオンさんがふっと目を細める。愛おしいものを見つめているかのような、そんな表情。
「こうしているだけで元気をもらうことができる。ここには、私の守りたいものがあるんだ」
「………」
 言葉が見つからなかった。共感することも、否定することもできない。それどころか何て相槌を打てばいいのかさえわからない。 本当に、どれだけ私は底の浅い人間なのかと思う。
 ただ、そっと見上げたレオンさんの横顔は、とても格好良かった。



 市の喧騒を抜け、テントではなく店舗が立ち並ぶ場所をも通り越した先にある、少し古びた感じの扉をフェルローさんは 迷うことなく押し開いた。
「やぁ、お邪魔するよ」
 窓に薄いカーテンがかかっているため中の様子を窺うことができず、看板はあるが文字が読めないために何の店であるのか 判別できないその建物に、フェルローさんの後に続いて足を踏み入れる。
 外からの光が少ない割に明るい店内。そこに、私の身長よりも少し高いくらいの棚が並べられている。
「本屋さん…?」
 街に行けば本屋があると、今朝フェルローさんが言っていたのを思い出した。
 入口を入ってすぐ脇の棚に平積みされている本の表紙をなんともなしにそっと撫でてみる。この位置にあるということは、 おそらく新刊か話題の本なのだろう。どうせ読めないとわかっているのに、それでもテンションが上がってしまう自分自身に苦笑する。
「これはこれは。ようこそいらっしゃいました」
 ゆったりとした口調で紡がれるそんな挨拶とともに、店の奥から人影が歩み出てくる。
「今日はまた随分と大所帯ですね」
「ゾーイ。俺の家族たちだ」
「おや、そうですか」
 現れたのは、小柄な老人だった。ゾーイと呼ばれたその人がフェルローさんの家族と紹介された私たちを眺めて微笑む。
「ゾーイと申します。汚いところですが、どうぞゆっくりなさって下さい」
 丁寧なお辞儀。
 慌てて礼を返す私の腰が、不意に横手からさらわれた。
「それじゃあ、遠慮なく物色させてもらうよ。マナカおいで」
 こちらの意思などお構いなしな強引さで、フェルローさんに抱き寄せられた格好のままずるずると引きずられていく。
「ちょっ…、フェルローさん!」
「この棚の、ここからここまでは絵本が並んでいるんだ。文字が少ないから慣れればすぐ読めるようになるし、 絵だけ見ていても楽しめると思うよ」
「フェルローさん…」
 私の訴えに応じるように一瞬手を離したかと思うと、ほっとする間もなく今度は肩を抱いてきた。大きな手のひらにがっしりと ホールドされて、フェルローさんの顔が近い。
「………フェルローさん、近いです…」
 なんとかそれだけ絞り出すと、フェルローさんは楽しそうな笑い声を上げて、それからようやく私を解放してくれた。
 気付かれないようにため息をついて、といってもフェルローさんのことだから気が付いているのかもしれないが、 とにかく私は目の前に綺麗に収納されている背表紙たちに目を移した。一冊一冊を手にとってページをめくる私に、 フェルローさんがその都度あらすじを説明してくれる。白よりもやや黄ばんだクリーム色の紙面に描き出された異世界と、 フェルローさんの語る物語。絵本イコール子供向けの読み物というイメージがあったが、なかなかどうして奥が深い。
「どう?おもしろい?」
「はい、すごく。フェルローさんが解説してくれるからわかりやすいですし。フェルローさん、詳しいんですね」
「俺はここの常連だから」
 ふと私の向こう側を見やったフェルローさんの視線の先を追いかけると、なにやら談笑しているレオンさんとクライスさんと、 ゾーイさんの姿があった。
「ずっと昔…小さな子供だった頃にこの店を見つけて。それ以来、暇を見つけてはよくここに来ていたんだよ」
「お城にも書庫があるのに、わざわざ街の本屋さんに通ってたんですか?」
「…本よりも、ゾーイが目的だったからね」
 言われた言葉の意味がわからず、私は無言でフェルローさんを見上げた。
「ゾーイは俺が誰かわかっていた。わかっていて俺のことを、普通の子供と同じに扱ったんだ。あの頃の俺にはそれが心地よかった」
 転んだ私を心配してくれた時と、そして今と。フェルローさんは時々とても優しい顔をする。
 正直言って、私はフェルローさんのことがよくわからない。何を考えているのか。どの顔が、本当のフェルローさんなのか。
 しかしそれでも、フェルローさんがゾーイさんのことを好きなんだろうという、そのことだけは私にもわかった。
「…マナカ」
 ゾーイさんに向いていたはずのフェルローさんの瞳が、いつの間にか私を見ていた。見上げる私と視線が交わる。
「俺は、マナカのことも好きだよ」
 電光石火。
 耳元を、吐息がくすぐる。
「………っ!?」
 囁きとともにふっと息を吹きかけられた耳を両手で押さえて、私はフェルローさんから飛び離れた。 あまりの衝撃に言葉が出てこない。耳が、顔が、赤くなっているのが鏡を見なくてもはっきりとわかる。
「本当にマナカは可愛いなぁ。そういうところが好きなんだ。見ていて飽きない」
 無駄にさわやかな笑顔のフェルローさん。
 『見ていて飽きない』というのは、果たして褒め言葉か否か。
 ふっと浮かんだそんなつっこみをつっこむこともままならず、ただ最大限の抗議を込めて、フェルローさんを睨みつけた。



 視線を感じて振り返ると、にっこり笑顔でフェルローさんが手を振っていた。その隣のレオンさんが気遣わしげな眼差しを 送ってくるのに苦笑いをして返す。
 現在フェルローさんは私から隔離されている。罪状は、度重なる度を越したスキンシップだ。
「フェルロー。お前の気持ちはわかるが、それくらいにしておけ」
 そう言って仲裁に入ってくれたレオンさんが監視について、フェルローさんは少し離れた後ろの方を歩いている。 レオンさんの発言自体にも若干ひっかかるものがあったような気がしたが、申し出はありがたかった。 フェルローさんのことは嫌いではないが、あの調子では私の身が持たない。
「疲れませんか?」
 先導するように斜め前を歩いていたクライスさんが振り返る。
「いえ、大丈夫です。疲れてないです」
「そうですか…?」
 帰ってきたクライスさんの語尾は疑問形に上がっていた。じっ、と見つめられる。まるで私の遠慮などお見通しだと、 そう言われているような気がして。
 結局、私は呆気なく白旗を振った。
「…本当は、少しだけ。こんな人混みを歩くのは久しぶりだったので…」
 出無精の私が、わざわざ繁華街まで出向くことはほとんどない。せいぜいがワンシーズンに一、二回程度だ。だから、 こんな風に人混みに揉まれながら街中を歩きまわるのは随分と久しぶりだった。
「もう少し行ったところに公園がありますから、そこで休憩しましょう」
 一瞬、手をつなぐのかなと身構えた。
 しかしまったくそんなことは起こらずに、クライスさんは何事もなかったように前を向くと、そのまま歩き始めた。
 ほっとするような、拍子抜けのような、複雑な感覚。その後すぐ我に返った私の下に、猛烈な羞恥心が津波のように押し寄せてくる。
 私は今、一体何を考えていたのか。
 自意識過剰。自意識過剰。自意識過剰。
 あまりのことに、顔から火を噴きそうだ。
「マナカさん?」
 私が付いてきていないことに気が付いたのだろう、クライスさんが振り返る。その顔を、見返すことができない。
「………」
 絶句している私の左右の肩に、ぽんと手が置かれた。後ろから追いついてきたレオンさんとフェルローさんに、 両側から何ともいえない笑顔で肩を叩かれて、私は声にならない叫びを上げた。






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