運がいい人のことをシンデレラガールとかシンデレラボーイと呼ぶことがあるけれど、そんなの、 シンデレラからしてみれば極めて心外な話だろう。
 シンデレラは何もせず、ただ運がよかっただけのお姫様ではない。自分で行動して、魔法使いを味方につけて、舞踏会に行って。 だから、王子様と幸せになることができた。
 黙っていても寄ってくる幸せもあるかもしれない。白馬に乗った王子様が迎えに来てくれることだってあるかもしれない。
 だけどきっと、それだけでは、ハッピーエンドはやってこない。



 微かに耳に届いた物音で私は目を覚ました。遠慮しているような、控えめなその物音に慌てて起き上り返事をする。
「はいっ、起きてます…!」
 扉の向こう側に叫んでから、手ぐしで髪を整えつつ、ふかふかの布団をかきわけベッドから降りようとする。 なんとか布団を抜け出したところで、静かに扉が開いた。
「おはようございます、マナカ様」
「ラスさん」
 入口の辺りに立ったまま、それ以上部屋に入って来ようとしないメイド姿の可愛らしい少女。つい昨夜覚えたばかりの その名前を呼んで、私の方から近づいていく。
「おはようございます」
 会釈と共に挨拶すると、ラスさんはものすごい勢いで両手を振った。そして、床と平行になりそうな角度で頭を下げる。
「…っ!そんな、マナカ様…。私などに、頭を下げて頂く必要などありません」
「は、はぁ…」
 そのまま放っておいたら土下座でもしてしまいそうな恐縮っぷりに、逆にどうしたらいいのかわからなくなる。
 しかしよく考えてみたら、私は一応この国の王様と結婚する相手として喚ばれたのだから、ラスさんの反応の方が正しいのだろうか。 こちらの世界に来てから、まともに会話を交わしたことのある人間はたったの四人しかいない。王子様三人組はさておいて、 ロゼリアラさんの態度があまりに大きかったので、それが私の扱い方の標準なのだと思っていたのだが。
「…そんなに、畏まらないでもらえますか?」
 こうしてみると、変に恭しい対応をされなくてよかったと思う。
 そもそも私はレストランでウェイターさんが接客してくれるのにも気を遣ってしまうタイプの人間なのだ。
「ですが…」
「えーと、私たち日本国民は、礼儀にすごく厳しく躾けられるんです。だからお辞儀とかそういうの、 習慣になってしまっているので気にしてると切りがないというか…。あの、他に人がいないときだけでもいいので、 なるべく普通な感じで…お願いします」
「………」
 何と言ったらラスさんに納得してもらえるのか。かなりしどろもどろになってしまった私に、ラスさんはしばらく考えるように 黙り込んで、それから小さく息を吐き出すと、微かに笑った。
「…わかりました」
 可愛らしいラスさんが、笑うともっと可愛らしくなる。
「なるべく普通な感じで、ですね。でも、最低限の敬意はお許し下さい。マナカ様にお仕えするのが私の仕事ですので」
 悪戯っぽく目をきらめかせて、小首を傾げてみせるラスさん。何度も何度もしつこいと思われるかもしれないが、 そんな仕草が本当に可愛らしい。こんなの、私がやろうものならギャグにしかならないだろうに。
「新しい王妃様になるのが、マナカ様みたいな方でよかったです」
「っえ?ど、どうしてそんな…」
「気さくで、お優しくて、寛容で…」
 羞恥のあまり悶え死にしそうになる。ラスさんが冗談ではなく、本気で言っていそうなところがまた、 私にとっては猛烈な辱めだ。
「………セイを、許して下さってありがとうございました」
 ふと表情を真面目なものに変えて、ラスさんは深く頭を下げた。
「害することが目的ではないとはいえ、未来の王妃様と王位継承候補者であるクライス様を誘拐するなんて、 本来であれば極刑に処されてもおかしくないことなのに」
 自分を誘拐して、監禁までしたセイエンさんを私は確かに許した。でもそれは、私が優しいからとか、心が広いからとか、 そんな素晴らしい理由からでは決してない。この国に死刑制度があるかどうかは知らないが、セイエンさんがまともに裁かれたら 軽い罪では済まないことくらいは私にもわかる。首謀者はセイエンさんだが、共犯者であるラスさんだって罪に問われることに なるだろう。私が、二人の人生を左右するのだ。後味が悪いことこの上ない。
 騒動のせいで帰るのが遅れて失業、なんてことになったら流石に一発や二発くらい殴らせて欲しいところだが、 実は誘拐されたのが夕方頃で、脱出したのは同じ日の夜だったらしい。なんと日付が変わってすらいない。 もっと時間が経っているように感じたのだが、人間の感覚がいかに当てにならないものかがよくわかる。
 とにかく、たいした実害はなかったのだ。
 セイエンさんたちを無罪放免することに最後まで反対していたのはクライスさんだった。知り合いだから許すのではなく、 知り合いだからこそ許してはいけないというクライスさんの意見はもっともだとは思う。思うの、だが。
 おそらく、そんな私の微妙な心の内を察してくれたのだろう。
「クライス。真面目なのはお前の長所だけど、堅物すぎるのは必ずしも良策ではないよ」
「フェルロー?何を…」
「セイエンを許してやるんだ」
「ですが…」
「気持ちはわからないでもないが、少し落ち着きなさい。お前がマナカの顔を曇らせてどうする」
「今回の件は、私たち以外ではごく一部の人間しか知らない。公に裁こうとすれば、かえって騒ぎを大きくすることになるだろう」
「………」
 そんなこんなの説得が行われた結果、セイエンさんたちによる今回の騒動は内々に処理することで満場一致と相成ったのだった。
 しかし、と私は思う。
 どこか一つでもかけ違っていれば、こんな平和的解決とはならなかった可能性は充分にあった。ラスさんはその可能性を知っていた。 セイエンさんだって知っていただろう。それでも、二人は動いた。ラスさんはセイエンさんのために。セイエンさんは、 クライスさんのために。
「すごいなぁ…」
「マナカ様、何かおっしゃいましたか?」
 思わず漏れたつぶやきを耳聡く拾い上げたラスさんが、部屋の大きな窓にかかるカーテンを開けていた手を止めて振り向く。
「あ、いや…なんでもないです」
 あははと笑って誤魔化すと、ラスさんは少し首を傾げるようにしてから、再び窓側に向き直ると手際よくカーテンをまとめた。 穏やかな陽光が室内を明るく照らす。
「マナカ様、朝食はどうされますか?」
 朝食という単語を耳にした途端に、私の胃袋が大声で空腹を叫び始めた。昨夜は結局、何も食べないままに眠ってしまったのだ。 どうするかと訊かれれば、是非とも頂きますと迷わず答えたい。
 即答した私に、ラスさんはわかりましたと笑って出ていったかと思うと、いい匂いのする食器が並んだ手押しのワゴンと もう一人メイドさんを伴ってすぐに戻ってきた。
「お待たせ致しました」
 配膳を手伝おうとしたらにこやかに固辞されてしまったため、大人しく座って待っていた私の前で着々と食事の用意が 整えられていく。ラスさんの可愛らしさを人形のようとするならば、小動物に例えたくなるような、背が小さい方に分類される私よりも 更に小柄なメイドさん。この数日間ずっとラスさんと一緒に私の世話をしてくれていたその少女と、ふと目が合った。
「あ、あの…」
 その瞬間、私の口は言葉を発していた。
「あの、お名前……訊いてもいいですか?」
 今更かと、そう言われるかもしれないが。逆に今更になって名前を尋ねるという、間が悪い且つ気まずい行為に及ぶことができた、 私の勇気を褒めて欲しい。
 メイドさんは驚いたように大きな目を何度か瞬かせて、それから私をじっと見つめたかと思うと、突然がばっと頭を下げた。
「私なんかのことを気にかけて下さってありがとうございます!私は、イルヤと申します」
 動きに合わせて、高い位置で結われたツインテールがぴょこりと揺れる。
 このとんでもな異世界トリップも今日を含めてあと二日間を残すのみだ。相手の名前を知らなくとも、『あのぅ』と『すみません』で 会話を済ませることは充分に可能だっただろう。
 それでも、思い切って声をかけてみてよかったと。イルヤさんの髪がぴょこぴょこと踊る様子を見ながら、そんな風に思った。



 今朝の王子様方はなんだか変だった。
 おはよう、と朗らかな挨拶と共に現れた三人の姿に私は目を丸くした。
 いつもは下ろしている前髪を上げていたり。肩くらいまでしかなかったはずの髪の毛が背中まで伸びていたり。眼鏡をかけていたり。 些細なところが少しずつ変だ。
「…今日は、何かあるんですか?」
「街に行こう」
 満面の笑顔でレオンさんが言い放つ。
「街に、ですか…?」
「一緒に本を読もうって約束しただろう?街に行けば本屋もある。気に入ったものがあったら買ってあげるよ」
「少しでもこの世界を、この国をマナカさんに楽しんで欲しいんです」
 よく見れば三人の着ている服も、いつもよりだいぶ簡素な感じだ。ということは。
「その格好は変装ですか?」
「ああ。私たちだと気付かれたら、思うように動けないからな」
 確かに雰囲気は変わっている。変わっているが、変装というよりイメージチェンジと言った方が近いように感じるのは、 私だけだろうか。
 気付かれるんじゃないだろうか。いや、気付かれるだろう。気付かれるに違いない。むしろ気付かれろ、 などとよくわからない活用を展開しつつ、城内に続いて街中まで観光できることに密かに心躍らせる私だった。
 





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