俺はどうしたらいいのだろうかと、ずっと考えていた。どうするべきか。何がベストなのか。
 けれど、ふと思った。
 俺はどうしたいのだろう。
 俺は、どうあって欲しいと思っているのだろう。



「なぁ梓。どこか出かけないか?」
「どうしたの、ジャン?いきなりそんなこと言うなんて」
 梓の顔にびっくり、と書いてあるのが見える気がする。
「ちょっと行き詰まって、な」
 曖昧に受け流そうかとも思ったが、やめる。おそらく下手な誤魔化しでは、梓は誤魔化されてはくれないだろう。
 返還術を探すことと、梓への返事を考えること。どちらか一方に集中することはできず、かといって 両者を並行させることもできずに結局、そのどちらもが出口の見えない状況に陥っていた。
「ずるずる惰性で続けるよりも、いっそ気分転換した方が効率が上がるんじゃないかと思ったんだが…嫌か?」
 窺うように梓を見る。
 すると突然、梓がくすりと笑った。
「何日か前の私と同じこと言ってる」
「え?」
 そういえば、梓のアルバイト先を訪問する前日に同じような会話を交わしたかもしれない。あのときは、梓が俺を誘ってくれた。
「嫌じゃないよ。そんなわけないじゃない。ねぇ、どこに行きたい?」
「あー…実は、そこまでは考えてないんだ。どこっていっても、そもそもどんな場所があるのかもよく知らないしな。 どこでもいいから、梓の好きなところに連れて行ってくれないか?」
「うーん…」
 我ながらアバイトなリクエストに、梓が腕を組む。しばし考え込む様子を見せて、それから。
「…本当にどこでもいい?」
 上目遣いに見上げてきた。
 わざわざ重ねて訊いてくるなんて、どんなところに行くつもりなのかと若干の不安が頭をもたげたが、梓に一任したのは 他ならぬ俺自身だ。大丈夫だと頷くと、梓の顔がぱっと輝いた。
「じゃあ、遊園地に行こう!」
「遊園地…」
 というと、様々な遊具をそろえた大きな公園のようなもの、だったか。
 別に、そんな念押しするような変な場所ではないではないかとほっとひと安心しながら、俺は了解の意を込めて もう一度梓に頷いてみせた。



 雲一つない気持ちのいい晴天。
 多くの家族連れや若者たちが、あちこちで楽しそうに笑い、歓声をあげている。
 そして俺は、ベンチの上で死んでいた。
「大丈夫、ジャン?」
「……ああ、………大丈夫だ………」
 説得力の欠片もない。
 やはり言葉が理解できるだけでは、その真の意味を知ることはできないのだと実感する。遊園地が、 こんなにハードな施設だとは思わなかった。
「あのすさまじい乗りもの…ジェットコースター、か。一体どうやって動いてるんだあれは…」
「位置エネルギーと運動エネルギーがどうとか習った気がするけど…よくわからないや。ごめんね、ジャン」
「いや…」
 気にするなと首を振る。
 梓に導かれるままに乗り込み、一つ終わったらまた次へ、とジェットコースターをはしごした、その結果がこの有様だった。 俺があまりの衝撃に言葉を失っているその隣で、梓はとても楽しそうに声をあげていた。
「梓は、ああいうのが好きなのか?」
 ゴォッ、とものすごい音をたてながらすぐ近くを走り抜けていったジェットコースターを横目で追いかけて、尋ねる。
「ジェットコースター自体が好きっていうより、遊園地に来て、みんなと同じようにきゃあきゃあ言うのが楽しいかな。 高校に入って、早夜と将生に会うまではこういうところに遊びに来たことなかったから」
「おふくろさんは?連れてきてくれなかったのか?」
「母も忙しかったからね。それにこういう賑やかなところ、あんまり好きな人じゃなかったから」
「そうか…」
 まずいことを訊いてしまったかと、ちらりと様子を窺うが梓は気にした風もなく、行き交う人たちを楽しそうに眺めていた。
「今日はすごく楽しい。なんか、ジャンとデートしてるみたいで嬉しいな」
「で、デート!?」
「……なんでそんなに驚くのよ」
 思わず飛び起きた俺を、じろりと梓が睨む。
「だって私たちじゃあ兄妹には見えないし、年頃の男女が二人きりで遊園地に来てたら、デートだって思うのが普通じゃない?」
「いや…まぁ確かにそうかもしれないが…」
「ジャンは、私とデートしてるって思われるの、嫌?」
「そうじゃない!」
 思いのほか大きな声を出してしまったことに自分でも驚く。
 しかしこれだけは、はっきりと否定しておきたかった。梓のことが嫌な訳ではないのだと。
「デートとか、そういう言葉を簡単に使わない方がいい。梓が軽く見られる」
 卑下する、というのとは少し違うが、梓は自分自身の存在を軽く扱う傾向があるように思える。そのことが俺は嫌なのだ。 もっと自分を大切にしろと、そんな陳腐な台詞をつい口走りそうになる。
「もっと他に、使うべき相手がいるだろ」
 少なくとも俺なんかを相手に、戯れに口にするものではない。
「いないよ。ジャン以外に、デートしてくれる人なんて」
 むすっとした表情で梓が言う。
「そんな人がいるんだったら、私の方が教えて欲しいくらい」
「将生とはどうなんだ?仲良いだろ」
「確かに仲良いけどね。…将生は駄目だよ」
 即答されて、首を捻る。
 ときたま強引なところはあるが、将生はいい奴だと思う。人の気持ちを思いやることができる人間。梓のことも、 きちんと受け止めているように見える。
 傍から見て、理想的な相手に思えるのだが。
「それでも将生は駄目。だって、将生の一番は早夜だもの」
「………あの二人、そういう関係だったのか?」
 全然気付かなかった。
 もしかして自分は、ものすごく鈍感なんじゃないかと思えてくる。
「付き合ってはいないよ。将生が早夜を好きなのは間違いないけど」
「え、それじゃあ将生の片思いか?」
「うーん…微妙。早夜も将生のことは好きなんだろうけど、恋愛とか、そういうの疎い子だから」
 結構色々あるらしい。なんともコメントできない、難しいところだ。
「将生も、今はそれでいいやって思ってるみたいだけどね」
 むぅと唸ったきり押し黙った俺に、梓が勝利を宣言するように、つんと顎を逸らしてみせる。
「だから私にはジャンしかいないの。私だって、ちゃんと相手を見て言葉を選んでるつもりだけど?」
 何か異論は、と訊かれて、思わず首を横に振っていた。
 それを見て、梓が声を上げて笑う。
「よろしい!」
 わざと尊大な物言いをして、そんな自分がおかしいというようにまた笑う。
 やれやれ、とため息をつく振りをしながら、俺はどこか満ち足りた気持ちをした自分がいることに気が付いていた。
 そしてその瞬間、俺の中で、一つの結論が出た。



 遊園地と聞いて、想像した以上にあそこは激しく凄まじい場所だった。
 頭で考えたことと現実とが一致しない、なんていうのはよくあることで。それは良い意味でも、悪い意味でも起こり得る。
 つまり何が言いたいのかと言うと、まだ見ぬ先のことを、いつまでもぐずぐず考え続けることに果たして意味があるのだろうか、 ということだ。
「ジャンの気分転換のはずだったのに、なんか私ばっかり楽しんじゃったね」
 遊園地からの帰り道。ごめんね、とこちらを見上げる梓に首を振る。
「俺もいい気晴らしになった。付き合ってくれてありがとな」
「そっか。ならよかった」
 ほっとしたように梓が笑う。
 梓の、笑った顔を見るのが好きだ。梓に笑っていて欲しい。
 結局、俺の望みはたったそれだけの単純なことなのだ。
 前を向く勇気をくれた恩返しがしたいとか、もっともらしい理由をつけることはできる。出会ってまだ数日しか経っていない 相手なのにとか、そんな風に言い訳して、誤魔化すこともできる。けれど、そんな面倒臭いものをすべてとっぱらって見てみれば、 後に残るのはいたってシンプルな思いが一つだけで。つまるところ、俺は梓が好きなんだろう。もっとも、それがどんな種類の 『好き』であるかは今でもはっきりとした答えは出ていないのだが。
「なぁ、梓」
 隣を歩く梓が、微かに首を傾げて俺を見る。
「俺は絶対に一級術士になる。術士になって、国から召喚術の許可をもらって。梓を召喚する」
 はっとしたように、梓が目を見開く。
 どの道を選んでも、先が見えないことに変わりはない。それならば、梓が選択した道を切り開く、その手助けがしたかった。 梓が後悔しないように。梓が、笑ってくれるように。
「何年かかるかわからないけど、頑張るから。だからそれまで……待っていて、くれるか?」
 召喚する者と、召喚される者。両者の思いが一致して初めて召喚術は成功するのだと、そう話したのはいつだっただろうか。
 俺一人ではできない。梓が俺を信じて、願い続けてくれること。それは、梓を俺の世界に喚び寄せるための絶対条件だ。
「俺を信じてくれるか?」
 答えは言葉ではなく、俺の腕におさまりきってしまうほどに小さな、その体の温もりによって与えられた。
「…っありがとう…」
 抱きつくというより、しがみつくような強さで俺の体に両腕を回す梓を抱きとめる。そして、抱き返した。
「ジャンのこと信じてる。ずっと、信じてるから…」



 不意に。
 目の前の町並みがぶれる。今まで見えていたものの上にもう一つ、異なる風景が重なっているような。
 ざわざわ、ざわざわ、と。
 どちらも知っている。どちらも確かに存在している。ただ俺だけが狭間にあって、そのどちらにも存在していないような、 ひどくあやふやで不安定で、気持ちが悪い。
 眩暈がする。
 ぐらりと、体が傾いだ。



「…ジャンっ!どうしたの、気分悪いの?」
 耳を打つ声。
 触れ合う確かな質量と温かさ。
 急速に、現実感が戻ってくる。
「梓……俺は、どうしたんだ…?」
「訊きたいのはこっちよ。急にぼんやりして、倒れそうになるし…」
「ああ。…悪かった」
 半ば梓に寄りかかる状態だった体をなんとか一人で立たせて、頭を振る。
「大丈夫?」
 眉をひそめる梓に頷く。
 さっきまでの、白昼夢のような光景はすっかり消え去っていた。
 俺がもう本当に何ともないのだとわかったのか、梓が長く、息を吐き出す。
「びっくりした。あのまま、ジャンが帰っちゃうかと思った…」
 どきりと。俺の心臓が音をたてた。
「ジャンを帰すために返還術探ししてるくせに、こんなこと言ったらおかしいんだけどさ。あんな、いきなりいなくなるのは嫌だよ。 心の準備くらいはさせて欲しい」
 俺の中でかちりと、パズルのピースがはまったような気がした。もしかしたらと。高揚感で、鼓動が速くなる。
「…ジャン?」
「梓、帰ろう」
 今すぐにでも確かめたいが、生憎と今日は術書も日記も持っていない。気分転換するのが目的だからと、あえて持ってこなかった。 なんでこんなときに限って、と思う一方で、置いてくるくらいの気持ちでいたことが逆によかったのかもしれない、とも思う。
「ちょっ…、ジャン!?」
 何事かと声を上げる梓の手首を握り、引っぱるように速足で足を動かす。
 そうして、はやる気持ちを抑えきれないままに、俺は帰途を急いだ。






back menu next