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 すべての始まりでもある、召喚の術式を指でたどる。
「最初に読んだときから、少し違和感はあったんだ」
 しかしそれははっきりとした形にはならず、俺の思い過ごしだろうと思っていた。
 同じ違和感を、早夜が見つけた日記を読んだときにも感じた。どこがどうとは言えないが、何かが間違っているような。
「認定試験に受かる前の段階では、召喚術の本格的な講義や研究はされない。不法な召喚術の行使を助長するおそれあり、ってことで、 国にそう決められている。だから俺の知識は、かろうじて出回っている術書に記されていた初歩的な部分と、教師に頼み込んで 見せてもらった論文がいくつか、あとは術式全般に共通する基本的な考え方。本当は、その程度しかないんだ」
 そんな俺がわずかに感じた違和感なんて、本当に信用していいのかと自分で自分を疑っていた部分もある。
「…ここだ」
 術書と、日記の中の覚書の、該当する部分をそれぞれ指差す。一言一言、その意味を確認しながら目で追っていく。そして。
「やっぱり、か…」
 さっきまでの緊張が一気に解けて、一転して脱力した。
「やっぱりって何?どういうこと?」
「帰る方法がわかった」
「返還術が見つかったの!?」
「いや、返還術はわからないんだが…」
 そもそも返還術を用いる必要などなかった、ということがわかったのだ。
「異世界人である俺の存在は、この世界にとっては異物ってことになる。そもそも世界には自浄作用というか、 現状を回復させようとする機能があって、自分の中に異物があればそれを外に追い出そうとするんだ。 だから召喚術は対象を喚び出すだけでなく、追い出されないよう定着させるための術式を織り込む必要がある。 でも、この召喚の術式にはそれがない」
「つまりどういうことなの?」
「つまり、わざわざ返還術を使わなくても、この世界が俺を追い出す…元いた世界に戻してくれるってことだ」
 今朝とさっきと、夢を見たのはおそらくその予兆だったのだろう。
 俺が帰ってしまうかと思ったと梓は言ったが、実際あの時、俺は帰りかけていたのだ。梓の言葉を聞いて、 その可能性に気付くことができた。
「それじゃあ、このまま待ってればそのうち帰れるってこと?」
「それでもいいんだろうが、もっと手っ取り早い方法がある。俺が異物だってことを、この世界にわからせてやればいいんだ」
 それにはおそらく、俺の心の持ちようが関係しているのだろうと思う。俺が元の世界への思いを強くすれば強くするほど、 この世界で俺は異物となる。
「俺、帰るよ」
 思いがけず見つかった故郷への帰り道に、戸惑いがないと言えば嘘になる。心の準備ができていないのは梓だけではない、 俺だって同じだ。それでも。
「今度こそ認定試験に合格しないといけないしな」
 きっとまた会えると。必ずまた、梓に会うのだと。そう思うからこそ俺は帰ると、その言葉を口にすることができた。 もう迷いはない。
「将生と早夜、今から呼べるか?二人にも一言くらい挨拶したい。あとできれば、梓たちが召喚術をやった、 あの場所に行きたいんだが…」
「多分、二人とも呼べば来ると思う。学校は…もう門閉められちゃってるだろうけど、将生が合鍵持ってるから忍び込めるよ。 でも、どうして学校に?」
「俺の世界と一回つながったことのある場所だからな。他の場所よりは道がつながりやすい………はずだ」
 はっきりそういう理論が記述してあるのを見た訳ではなく、基本に則ればそのはずだという程度の考えなので、 どうしても語尾が尻すぼみになってしまう。ともすると弱気に傾きそうになる自分を、短く深呼吸して追い出した。
 今の俺ならきっと大丈夫だ。
 根拠はないが、そう考える。
「…これで、さよならじゃないよね?」
 隣に座る梓がぽつりと訊いてくる。目線をテーブルの上に落として、俺の方を見ようとせずに。
「ああ。そうしないために、帰るんだ」
「………私、二人に電話するね」
 俺の答えに梓は少し笑うと、足元の鞄から携帯電話を取り出した。



「帰る方法が見つかったって?」
 俺の顔を見るや否や、開口一番に将生は言った。
「もう帰るのか?」
「ああ、そうするつもりだ。だから二人にも一言挨拶をと思って、梓に呼んでもらった」
「そうか…」
 喜んでいるような、悲しんでいるような。そのどちらにも見える複雑な顔で将生が頷く。
「なんか、いきなりすぎて何を言ったらいいのかわからないが……とりあえず、よかったな」
「将生には色々世話になった。早夜も」
 突然自分の名前が出てきたことに驚いたように、早夜がぱっと俺を見る。
「でも私、結局大したことできなかったし…」
「そんなことないさ。少なくとも、俺は感謝してる。梓のことも…」
「私がどうかした?」
 隣で首を傾げる梓にちらりと視線をやって、それから俺はわずかに声をひそめた。梓に聞こえないように、 早夜の耳元に口を寄せる。
「梓に幸せになって欲しいって気持ち、俺も同じだ。早夜の言葉があったから、自分が本当はどう思っているのか、 考える気になれた」
 大事な選択を他人任せにしようとしていた俺の無意識の、無責任な思惑を早夜が一蹴してくれなかったら、 今でも同じところをぐるぐると回り続けていたかもしれない。
「梓に言った。絶対に、梓を召喚するって」
「そっか…うん、そっか。ありがとう、ジャンさん」
 学舎から少し離れた場所にひとまず集合した俺たちは、四人で移動を開始した。
 さっきまでかろうじて顔をのぞかせていた太陽もすっかりその身を潜め、空は夜と変わらぬ濃藍色へと姿を変えていた。 といっても、辺りにはいくつもの街灯が煌々と光を放っているため完全に暗闇となることはないのだが。程なくして、 見覚えのある大きな門が視界に現れた。梓が言った通り、それは訪れる者を拒絶するように固く門扉を閉ざしている。
「ちょっと待ってろ」
 将生がコートのポケットから、じゃらりと大量の鍵が連なった鍵束を取り出す。明らかに日常で必要な個数を超えている、 重そうな鍵束。目的の鍵を探すだけで苦労してしまいそうだ。
 凝視する俺の視線に気付いたのか、将生は振り返ると、何も言わずにただにやりと笑った。
 カチャリ、と軽い音をたてて鍵が開く。俺たちは辺りを気にしつつ、学舎の敷地へと忍び込んでいった。一度中に入ってしまえば、 却って俺たちを見咎める人目はない。おかげで、何事もなくあの部屋まで辿り着くことができた。
「なんか懐かしいね…」
 そんな何日も経ってないのに、としみじみつぶやいた梓に、頷く。短い時間、けれど有意義な日々だったと俺は思う。
「それじゃあ俺、行くよ」
 部屋の中央、ちょうど術紋陣が描かれていたあたりに立ち、三人を振りかえる。将生を、早夜を、それから梓を見る。
 そして俺は、瞼を閉じた。生まれ育った俺の世界を、町並みを、人々の賑わう音を、心に描く。
「我、言上する。我は御身より生まれ出でしものに非ず。遥か遠く、母なる大地の御許に帰ることを望むもの也」
 俺の夢が、叶えるべき目的がある、あの世界を。
 ふっと一瞬、意識が遠くなる。足元がふわふわとして、立っているはずなのに地面が本当にそこにあるのかわからない。 あの時と同じ、なんとも気持ち悪い感覚。
「ジャン!」
 梓の声がする。応じるように目を開けば、ぶれてぼやけた視界の中で、梓が俺に向かって叫ぶのが見えた。
「私、勉強する!ジャンの世界に行って、ジャンの役に立てるように。こっちのこと、化学とか物理とか、 とにかくいっぱい勉強するから!だから…っ!」
 梓に向かって手を伸ばす。
 梓もまた、俺の方へと手を伸ばした。
 指先が触れる。梓の温もり。そして俺は、その小さな手のひらを握りしめた。
「俺たち、絶対にまた会える。約束だ」
 ぐいと、強い力で引き離される。後ろから引っぱられているような、もしくは落下するような。堪え切れずに目を閉じて、 再び開いた時、そこは一瞬前までいたはずの場所ではなくなっていた。
 木目の浮かぶ壁。ベッドと机と本棚と、タンスを置いたらそれで一杯になってしまうような狭い部屋。梓の部屋とは全然違う、 俺の部屋だ。窓は外に向かって開け放たれていて、風が吹く度、カーテンがふわりふわりと宙を泳ぐ。
 俺は窓辺へと歩み寄ると、外の風景を見下ろした。中天に位置する太陽の光が降り注ぐのはアスファルトでなく、 石が敷き詰められた道。車ではなく馬車が荷を運び、様々な色彩の人々が歩く。
「帰ってきた…」
 故郷の空気を、俺は胸一杯に吸い込んだ。



「結界。異世界と道をつなげる場を作る」
 指示に従い、詠唱句を紡ぐ。床に描かれた術紋陣がぼぅ、と淡く白い光を帯びた。
「請願。異世界の者を召喚することを願い出る。選定。誰を求めるのか、どんな人を召喚したいのか、条件付けする」
 定められた言葉を音に乗せ、求める者を思い描く。
「授与。言語能力の付加」
 召喚の術式が、組み立てられていく。
 あれから五年が経った。
 やはり術士を目指したいと、食堂の後を継ぐことはできないと言った俺を、両親は応援すると言ってくれた。 後で出世払いで返すからとその言葉に甘えさせてもらい、とにかく勉強に専念し。なんとか認定試験に合格して、 術士になってからは一級の称号を得るために更に勉強をして。ようやく、召喚術の使用許可をもらうことができた。
 ここまで随分と待たせてしまった。梓は、怒っていないだろうか。
「気を散らすな。集中するんだ」
 すかさず叱責が飛んでくる。
 はっとして、俺は術式に意識を戻した。
 召喚術のような難しい術式を初めて扱う時には、危険がないよう必ず指導官がつく。この国でも有数の召喚術の使い手が 指導についているのだ。これで失敗するはずがない。
「…我が声を聞き、我が元へ来たれ!」
 結びの句を紡ぎあげる。
 瞬間、陣がひときわまばゆく光った。目がくらむほどの強烈な閃光。そして。
「………」
 その人は、ゆっくりと瞼を開けた。
 記憶の中にあるよりも随分と大人っぽくなった。薄く化粧もして、これだったら子供と間違えることはないだろう。 しかしどれだけ見た目が変わっても、その眼差しは少しも変わらず。大きな瞳には強い意思が宿って見える。 二、三度瞬きをして、俺の姿をその目に映した。
「………梓」
 瞳が、揺れた。
「………ジャン………?」
 つぶやきがこぼれ落ちたようなささやかな声で名を呼ばれて、頷く。
「っ、ジャン…!」
 飛び込んできた梓の体を、俺は両手でしっかりと抱きとめた。



 あの日、交わした約束は果たされた。
 けれどそれは終着点ではなく。むしろ、これからが始まりなのだろう。
 今日を生きるのに精一杯な俺には、先のことなんてわからない。
 今はただ、この奇跡に感謝したいと、心からそう思った。






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