情けない。
 とにかく色々と情けなくて、ため息が出そうになる。
 梓に指摘されるまで考えもしなかった。異世界召喚の成否は召喚される側にも要因がある。まったくの素人である梓が召喚に 成功したのは、俺自身も無関係ではないのだ。
 どこか片隅で俺は、逃げたがっていたのかもしれない。挫折を繰り返して、結局、家業を継ぐという一番安易な道を選んだ。 そんな俺に直接何かを言う人間はいなかったが、どこかで俺は、居心地の悪さを感じていたのかもしれない。
 情けないにも程がある。
「どうしたの、ジャン?」
「…あ、いや何でもない」
 はっと我に返り、慌ててフォークを握った手を動かす。今が、夕食の最中だったことを思い出した。
 一人住まいであることを考えると十分過ぎるほどに大きなテーブルの上には、いくつも皿が並んでいる。肉や野菜を煮込んだ シチューのような料理に芋をまるごと焼いたもの、サラダにはあっさりとした味付けのドレッシングをかけて。昨日から見てきた感じ、 こちらの世界と俺のいた世界とでは、食文化の差はそれほどないらしい。
「料理、美味しくなかった?…って私が作ったんじゃないんだけど」
「いや…少し考え事をしていただけだ。別に味がどうとか、それで止まってたんじゃない」
 むしろ味は悪くない。
 悪くない、が、なんとなく物足りないと感じてしまうのは、俺の実家が食堂なんてやっているからだろうか。ハウスキーパーが 作り置きした料理を温め直して食べる。どんなにうまく調理されていても、できたての美味しさはそこにはない。食堂の身内用の まかない料理なんて大雑把なものが多かったが、いつだって作りたてで、そして美味しかった。
「それならいいんだけど…」
 どこか完全には納得していない様子で首を傾げた梓だったが、やがてぽつりとまぁいいか、とつぶやいた。
「あのね、ジャン。明日のことなんだけど」
 『まぁいいか』の言葉通り、梓自身の手で話題が方向転換される。
「明日はハウスキーパーさんが来る日だから、夕方くらいまで外で時間をつぶしてもらわないといけないの」
「ああ…。また、早夜か将生のところに行くのか?」
「それでもいいんだけど…」
 珍しく、梓が言い淀む。
「明日は私、アルバイトが入っているから一緒に行けないのよね」
「そんなことなら気にしないでくれ。どっちかと連絡だけとれれば一人でも大丈夫だ。いい年した大人だしな、一応」
「うん…」
 煮え切らない返事。言うか言うまいか悩んでいるような、そんな感じで。
「…明日、私のバイト先についてこない?」
 思いがけない提案をされてしまった。
「帰る方法を探さなきゃいけないってのはわかってるんだけどね。少しは気晴らしというか…観光?してもいいと思うのよ。 せっかく異世界まで来たんだし」
 言い訳でもするような早口言葉でまくしたてる梓。その勢いに、若干仰け反る。
 そして梓は、迫ってきたときと同じかそれ以上のスピードで、急速に身を引いた。
「……なんて、やっぱり嫌だよね。変なこと言ってごめん」
「いや…」
 驚いたが、提案の内容は決して嫌なものではなかった。異なる文化。珍しい景色。未知の技術。梓の言う通り、せっかく異世界に 来たのだから、見たいものはたくさんある。ただ口に出さなかっただけだ。昨日までは梓たちにこれ以上の迷惑をかけないために。 そして今は、そんな風に考えてしまうことこそが、逃げたいという欲求のあらわれなのではないかと思えてしまうために。
 しかし梓から誘いを受けたことで、大義名分ができた。
「わかった。明日は、梓についていく」
「え………いいの?」
「ああ。根を詰めたからって、結果が出るようなものでもないしな。気分転換するのもいいさ」
 寛大な顔をして頷く。実際は、他人を理由に仕立て上げて自分を誤魔化しているだけだ。
 今更、気付かないふりをすることもできない自分自身の情けなさに、俺は心の中で何度目かわからないため息をついた。



「しかしなんでまた、アルバイトなんかしてるんだ?」
 後ろ向きに走り出してしまいそうになる気持ちを切り替えるべく、とりあえず俺は手近な話題をふってみた。
「家を出て一人暮らしとはいえ、こんなところに住んで、しかもハウスキーパーまで付いてるんだ。 金に困っている訳じゃないんだろ?」
「生活に必要な分のお金はね。でも遊んだり、欲しいものを買ったり、自分のために使うお金まで親に頼るの、嫌なの。 本当は生活資金を出してもらうのも嫌なんだけど」
 返ってきた答えの中に、どこかとげとげしいものを感じたのは俺の気のせいだろうか。
「…親と仲悪いのか?」
 踏み込み過ぎかとも思った。しかし梓なら、嫌だと感じたら迷わず距離をとってくれるだろうという妙な安心感があった。
「んー…うん。仲、良くないかな。色々と複雑……でもないんだけど、事情があって」
 少し考えるようにして、それからやんわりと身を引く。そしてすぐに、笑顔。
「それよりもジャンの話、聞かせて」
「聞かせてって言われても…話して聞かせるようなこと、特にないぞ」
「じゃあ私が質問する。そうだなぁ…」
 結局、なぜかまた俺の話をすることになってしまった。



 梓のアルバイト先は、最寄りの駅から電車に乗って三駅と、更にそこから十分ほど歩いたところにあった。しかしこの電車という 乗り物、昨日初めて乗ったときにも驚いたが、やはりすごい。なんとかこの技術力を持ち帰ることができないだろうかなどと、 ついつい考えてしまう。
「おはようございます」
 落ち着いた雰囲気の外観。カフェと看板のかかった正面玄関を通り過ぎて、建物の横手の扉から中に入る。広くはないがきちんと 整理された厨房で、男が二人振り返った。
「おはよう、野宮さん」
 俺の父親と同じくらいの年齢に見える男がそう挨拶を返し、もう一人の若い男がうさんくさいものを見るような視線を 俺に送ってくる。
「家で預かってるって、その外人?」
「早夜の家で、ですよ相馬さん。今日は早夜がちょっと用事があるみたいなので、私が代わりに付き添っているんです」
 事前に打ち合わせした通りの設定をうそぶく。それを聞いて、梓が相馬と呼んだ若い男の眼差しから険しさが薄らぐ。やはり、 正直に梓の家に世話になっているなどと言わなくてよかった。
「店長…」
「きちんと説明しようとしたのに、聞く耳持たなかったのは相馬君だろう。『野宮さんが預かりものの男の子を連れてくる』とは 言ったけど、『野宮さんの家で預かっている』とは誰も言っていないぞ」
「………」
 ぐうの音も出ない相馬を置いて俺の方へ歩み寄ると、男はさっと右手を差し出した。
「店長の有賀です。よろしく」
「ジャン・オルトレーです」
「ほら相馬君。君も、挨拶くらいしなさい」
 有賀に呼ばれて、のろのろとした動作で相馬もこちらにやってくる。まっすぐ俺を見ようとしないのは、先ほど非友好的な態度を とった気まずさからだろうか。
「相馬浩太郎だ。……悪かったな、にらんで」
「いや…」
 そもそも嘘をついている身なので、それ以外何も言えない。
「見ての通りの狭い店だから、ジャン君にはこの厨房にいてもらうことになる。俺や野宮さんがホールに出ている間は、 相馬君が責任を持って相手をするように。これ、店長命令だから、しっかりね」
 ぽんぽん、と軽い調子で相馬の肩を叩いて有賀が厨房から去っていく。反論の隙を与えない素早い身のこなしに半ば感心しながら その背中を見送っていると、わざとらしい咳払いの音が聞こえた。
「…あー、ジャンでいいか?聞いての通り、今日はこの厨房で時間をつぶしてもらうことになった訳だが……あんた、 日本語は大丈夫か?」
「普通に会話する程度には」
「ならよかった。悪いが、俺は語学はからきしなんだ」
 何か嫌なことでも思い出しているのか、しかめ面で首を振る。そして相馬は梓に向き直ると、一転して笑顔になった。
「こいつは俺が見てるから、野宮も早く支度してこい」
「ありがとうございます、相馬さん。それじゃあジャン、また後でね」
 相馬にぺこりと頭を下げ、俺に小さく手を振った梓が、有賀が出て行ったのとは別の扉の向こう側に消えていく。
「さて、と。俺も仕事に戻るが、何かあったら遠慮なく声をかけてくれよ。忙しいときでなければ話相手にもなる。 あ、適当に椅子持ってきて、座っててもいいぞ」
 梓に見せた笑顔を俺の方にまで向ける相馬。梓のことを気に入っているのかと思ったが、単に、意外と面倒見のいい性格なだけ なのかもしれない。そんな無礼なことを考えつつ、俺はどうもと会釈を返した。



 昼の時間帯が近付くにつれ客数が増えてきたようで、厨房も段々と慌ただしくなっていった。いくつも入る注文を、 相馬一人でさばいていく。
 言われた通り、厨房の隅の方に持ってきた椅子に座りながら、俺は相馬の働く姿を眺めていた。時々、邪魔にならない程度に 歩き回り、食材やら調理器具やらを観察する。
「何かおもしろいものでもあったか?」
 注文が一段落ついたのか、凝りをほぐすように肩を回しつつ相馬が話しかけてきた。
「俺が料理するのなんて見ても、つまらなかっただろ」
 苦笑しながら相馬は言うが、決してつまらなくはなかった。かといって、おもしろいというのとも違うのだが。
「手際がいいと思って。実家が食堂をやっていて、俺も厨房にいたから。勉強になった」
「なんだ、ジャンも料理人か」
「…まだまだ見習いだけどな」
 その見習いの最中に、異世界に来てしまった。
「せっかくだから何か作ってみるか?なんなら今日のまかない、代わるぞ」
「いや、遠慮しておく。………食材がわからない」
 俺の世界にあったものと似た姿をしたものが多いが、見た目が似ているからといって味まで似ているとは限らない。 梓の家で食べた覚えがあるものもあるが、どんな工程で調理されたのかまでは知らない。うっかり思い込みで料理なんてしたら、 何が出来上がるかわからない。
「わからないって…そんな、珍しいもの使ってないんだけどな。国が違うとそんなものなのか?あんた、出身はどこなんだ」
「ガルディエラ国」
「ガル…?」
「ものすごく遠いところだよ」
 怪訝そうに眉をひそめる相馬を、曖昧な表現ではぐらかす。
「……聞いたことがないな。俺が馬鹿だからか…?」
 しきりに首をひねるが、当然、心当たりがあるはずもなく。しばらく考え込んだ後で、相馬はふぅと息を吐き出した。
「駄目だ。やっぱりわからん」
「ほとんど交流のない国だから、知らなくても無理ないさ」
 白々しいフォロー。それ自体は嘘ではないが、嘘を前提としてる。必要なこととわかってはいるが、こんな風に真剣に 考え込まれてしまうといささか後ろめたい。
「…まぁ、とにかく遠いところの出身ってことだな」
 釈然としないものは残るのだろうが、とりあえず納得してくれたらしい。
「よし。それじゃあ、せっかくだから食材を覚えていけ」
 一体何が『よし』なのか。来い来い、と手招きされる。
「ほら何してるんだ、早くこっち来い」
「え?いや、でも…」
「いや、もでも、もない。これからまかない作るから、あんたも手伝え」
 急な展開に俺が戸惑っていると、待ちきれなくなったらしい相馬にぐいと腕をつかまれ、調理台の方へ引きずられていく。 強引な手の強さはしかし、同時に暖かさも感じられて。それが悪意によるものでないとわかってしまうからこそ、 俺は振り払うことができなかった。






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