そもそも、こちらですと案内された場所がおかしかった。
 地上五階建てのビル。その三階で、俺は面接を受けていたはずだ。面接官の男は部屋を出ると、 来たときとは別のエレベーターの下行きに乗った。普通なら階数分のボタンがあるはずのそこには 現在いる階を示すボタンともう一つの、合計二つのみしかなくて。社長室直通なんだろうか、 なんて疑問に感じつつ乗っていたエレベーターは、なかなか目的地に到着しなかった。
 つい堪えきれず、男に尋ねる。
「あの…エレベーター、故障してませんか?」
「いや、故障はしてないですよ」
「なんだかさっきから、随分長くエレベーターに乗っている気がするんですが…」
「もうすぐ着きますから」
 まったく動じた風もなく言い切られては、それ以上食い下がることもできない。 追究をあきらめエレベーターのドアをにらむように見つめていると、ほどなく降下のスピードが 遅くなるのを感じた。ふわりと微かな浮遊感と共に、停止する。ゆっくり開いたドアの向こうは、 オフィスというより病院に近いような無機質な廊下だった。
「………」
 チラシを受け取って以降、何度腹を据えてもことごとく覚悟の斜め上を行かれている気がする。 そもそも、俺が今いるここ一体どこなんだ。ほんの少し前までは、どこにでもありそうな、 何の変哲もないビルの中にいたはずなのに。
 動揺渦巻く内心をなだめてすかして、男の後ろについて歩く。どこまで行っても同じ景色に見える 廊下の角を一回、二回、三回曲がって、辿り着いた扉は鉄製だろうか。鈍い色のその扉は内開きなのか 外開きなのか、それともスライド式なのか、それすらわからない不思議なデザインをしていた。
「社長、森堂です」
 男は扉の脇にあるボタンを押して、そこに向かって話しかける。インターホンのようなもの、 だろうか。すぐに音もなくすっと扉が開いた。ちなみに、扉はスライド式だった。
「この先で社長がお待ちです」
「ひ、一人で行くんですか?」
「お帰りの際は、内線にかけて頂ければ迎えにきますので」
 なんだかやけに楽しそうに見えるのは俺の被害妄想だろうか。
 ともかく、中まで案内してくれる気はないらしい。仕方なく俺は、小さく息を吸い込み吐き出すと、 社長が待つという部屋へと足を踏み入れた。
 部屋、というか。
 扉の向こうはまた廊下だった。しかし今度の廊下は短く、すぐつきあたりに次の扉が見える。 扉は、数歩手前まで近づくと入口と同じように音もなくスライドして開いた。
「よく来てくれた、御影士狼君」
 さっき、エレベーターからこのフロアに降りたとき。まるで病院みたいだという感想を抱いたが、 それは間違いだったことを俺は悟った。病院ではない。ここは、秘密基地、だ。
 扉と同じく鉄っぽいが何だか正体のわからない材質の壁に囲まれた部屋は、およそ世間一般の 社長室のイメージとはかけ離れていた。よくわからない機械がずらりと並び、あちこちでランプが 点滅している。そして部屋の正面、社長のものと思われる机が置かれた向こう側には、 ずらりとモニターが。そのすべてに、見覚えのあるものからまったく知らないものまで実に様々な アニメや、特撮映像が映し出されていた。座っている人間の姿を完全に隠してしまうくらい 大きな背もたれの椅子が、くるりとこちらを振り向く。
「私は偉大なるミック・E・モーセの従兄弟の嫁の弟の三男、マイキー・モーセ。 このカンパニーの社長を務める者だ」
 金髪碧眼。甘い顔立ち。高そうなスーツに身を包み、そして、側頭部に丸い耳がぴょこりと 付いた白いふわふわの被り物をした、少年と言ってもいいくらいの若い男。
「歓迎しよう、御影士狼君。我が同志よ!」
 いわく社長だという、その男は大きく両手を広げたポーズで高笑いした。ふはははは、 と笑う声が反響して、俺の周りをぐるぐる回る。
「あ、あの…」
「うむ。どうして部屋にカメラが仕掛けられているのかが気になっていたのだったな。 防犯対策…と言ってしまえば月並みだが、奴等はなかなか侮れないからな。念には念を 入れているのだ。我等としても厳選して人員をスカウトしているつもりなのだが、 敵というのはどこから紛れ込んでくるかわからんからな。あのような形で確認をさせてもらっている のだ。もちろん、通常は同志たちのプライバシーを侵害するようなデリカシーのない真似はしないので その点は安心したまえ」
「………えー、と」
 口を挟む隙がなかった。
 マシンガンのような怒涛のトークの合間に、なんだかやけに物騒な単語が聞こえたような 気がする。
「敵、というのは…?」
 話し終わりの息継ぎのタイミングをねらって、俺は恐る恐る質問を投げかけてみた。
「我が野望を阻まんとする忌々しい国家の犬、公安の連中だ」
 しかし返ってきた答えは解決を導くどころか、逆に疑問が増すばかりだ。
「奴等は私に対抗するために、地球人の力を借りて様々な研究を行っているようなのだ」
「ちきゅうじん…」
 それは地球の人、と書く地球人のことだろうか。
 しかしそれではまるで、自分は地球人ではないのだと言っているように聞こえるのだが。
「その通りだ、御影士狼君。私は偉大なるミック・E・モーセの従兄弟の嫁の弟の三男、 マイキー・モーセ。ねず公星よりやってきた、誇り高き宇・チュー人である!」
 その名乗りに俺は思わずドッキリのカメラを探したが、残念ながらどこにも見つけることが できなかった。



 外資系の会社なんかは最近よく見るようになったが、社長が宇宙人なんて話は聞いたことがない。
「日本の漫画とかアニメが好き過ぎて、日本を侵略しに来たとか…なんの冗談かと思ったな」
 しみじみ言う佐伯に同意する。
 しかしそんなとんでもな話も、自分の置かれたとんでもな状況を説明するには一番しっくりと きた。
 なかなか目的地に到着しないエレベーター。後で聞いた話では、オフィスは一見すると地上五階建て に見えるが、実は地下深くにかなり広い敷地を有しているらしい。何の材質でできているのか わからない扉や壁。そして、謎の機械の群れ。ぐるりとそれらを見回して、それから目の前の 自称宇宙人を見て、ああそうなのかと俺は納得してしまった。
 宇宙人、それも日本征服をたくらむ、映画なんかでは間違いなく悪役の方が経営する会社の社員。 それだって、一言で言ってしまえば会社員だ。
 こんな組織の一員になってしまって大丈夫なのかと不安に思わないでもなかったが、 逆に仲間にならない方が不安なんじゃないかという可能性に思い至ったのが入社の決め手だった。 宇宙人とか、日本征服とか。そこまで知っておいてハイサヨウナラ、なんて恐ろし過ぎる。 あと大きな声では言えないが、提示された給料がかなり良かった。意外と会社が儲かっているのか、 それとも宇宙人は景気がいいのか。ともかくそんな経緯で俺は今ここにいる訳だ。
「なんて言いつつ実は、あの人になら侵略されてもいいやって半分くらい本気で思ってるんだけどな、 俺」
 苦笑と共に佐伯の口からこぼれた本音。
「そこらの下手な日本人より日本のこと好きだし。まあ、ちょっと色々偏りそうな気はするが… 悪いようにはしないと思うんだよな。元々たいして良い世の中でもないし、それだったらうちの社長が 一回くらい舵取ってみてもいいんじゃないか、なんて」
 頭の後ろで両手を組んで、椅子の背もたれに体重をかけながら、冗談めかして佐伯が言う。
「………俺もわからなくはない、かな」
 実際のところ、この組織での活動は普通の会社勤めとほとんど変わらなかった。普通に出社して、 普通に仕事をして。ただ、例の公安の奴等、とやらと戦う出動当番が週替わりでまわってくる くらいだ。しかしそれも蓋を開けてみればスポーツチャンバラみたいなもので、宇宙人だの日本征服 だの戦闘だの公安だのと、穏やかでない単語の数々から想像されるような危険にさらされることは 一度もなかった。あっても軽い打ち身とか、せいぜい筋肉痛になるくらいだ。
 『私はこの国を滅ぼしたい訳ではない。むしろこの手で、より一層発展させたいと考えているのだ。 それなのに、前途ある若者の命をいたずらに奪うような真似をする訳がないだろう!』
 以前社長がそう言ったことがある。つまり、そういうことなのだろう。相当に変な人、 もとい宇宙人だが、俺は社長のことが結構好きだった。
 不意に、ピンポンパンとなんとも平和なチャイムが鳴る。次いでアナウンスが。
「出動のお知らせです。今週の当番の方は、本日一七〇〇、各自準備を済ませた状態で所定の場所に 集合して下さい。出動のお知らせです…」
 二回同じ内容を告げて、始まりと同じチャイムの音で締めくくる。
 タイミングのいいアナウンスに、思わず佐伯と二人顔を合わせて笑ってしまった。
「さて。今日は早めに仕事終わらせないとな」
「ま、何かあったら声かけろよ。当番特権だ。手伝ってやるから」
「その時は遠慮なく」
「…いや、やっぱり少し遠慮しろ。家で彼女が俺のことを待ってるんだ」
「彼女って…今度は何の恋愛ゲームだ?」
「うるさい二次元に恋して悪いか」
「…いや…別に悪くはないけどさ……」
 





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