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 ポイントカードを作ったり、会員の申し込みをしたりするとき、大抵の場合は職業欄という 記入項目があると思う。
 ひと昔前は学生だった。それから会社員となり、フリーターを経て今に至る訳だが。ついこの間、 新しく近所にオープンしたドラッグストアのポイントカードを作るべく申込書と相対したとき、 思わず俺は止まってしまった。ものの数秒考えて、それから会社員に丸をする。
 別に嘘を書いてはいない。いないのだが、考えてしまったのには理由があって。
「…っきゃあっ!?」
「ぅわっ!」
 家を出たところで誰かとぶつかる。考え事をしていたせいで反応が遅れた。ぶつかったそのままに 倒れそうになるその人の腕をとっさにつかまえて、引き寄せる。勢い余って一瞬抱きしめる形に なってしまった体のやわらかさに内心動揺しつつ、なんとか平静を装って、手を離した。
「大丈夫ですか?」
「は、はぁ…すみません、前方不注意で…」
 斜めにずれた眼鏡を直しながらその人、隣の部屋に住む猫柳さんは俺に向かって深々と礼をした。
「おかげさまで、私はなんともないです」
 さらりとこぼれた長い髪を耳にかけて、猫柳さんが俺を見上げる。
「どうもありがとうございました、御影さん。御影さんのおかげで助かりました」
「いや、俺の方も不注意だったから。怪我がなくてよかった」
 眼鏡の奥からじっと見つめられて、照れる。まっすぐ見つめ返すことができず俺は 視線をそらした。
「それより猫柳さん、どこか急いでたみたいだけど…?」
「ああっ、そうだった!」
 俺の言葉にはっとしたように叫ぶ猫柳さん。
「すみません御影さん、ゴミ収集車が来てしまうので失礼しますっ!」
 さっきぶつかったときに落としたのだろう。地面に放り出されていたゴミ袋を猫柳さんが 拾うより先に、俺はそれに手を伸ばした。
「あの御影さん…?」
「俺が持つよ。また、転んだら危ないし。………どうせ俺もゴミ捨て場の方まで行くから」
 言うだけ言って、また目をそらす。
「御影さん…」
「さ、急ごう」
 片方の手に鞄を、もう片方の手にゴミ袋を引っ提げてひた走る。ここからゴミ捨て場までは そう遠くはない。急いだおかげで、収集車が来る前ぎりぎりになんとか間に合うことができた。
「本当にありがとうございました」
 何度も礼を言いながら頭を下げる猫柳さんに、気にするなと手を振ってみせる。
「いや、本当に、俺もついでだったから」
「それでも、やっぱりありがとうございます、です」
 そして猫柳さんはにこりと笑った。
「お仕事、いってらっしゃい」
「………」
 誰かにいってらっしゃいと見送られるのは随分久しぶりだった。しかも家族以外の異性からなんて、 一体どれくらいぶりだろう。
「………いってきます」
 なんとかそれだけを返すと、俺は猫柳さんに背を向けた。熱を持ち、赤くなっているだろう顔が 猫柳さんに気付かれていないことを祈りながら。



 日本のサブカルチャーが集う町。そこの駅で電車を降りて、十分ほど歩いた場所に現在俺が 勤めている会社はある。
 地上は五階建て。少し古びているが、自社ビルである。クリエイターとユーザーをつなぐ役割を 担う、というのがこの会社の業務であるが、まあ簡単に言ってしまえば漫画、イラスト、小説から 動画にグッズなどの商品を売るのが仕事だ。普通の書店やおもちゃ屋と違うのは、クリエイターが プロかアマかを問わないという点だろう。いわゆる同人誌といった類のものまで広く取り扱い、 インターネットサイトを通じて通信販売している。
「おはようございます」
 挨拶しつつ自分のデスクにつく。
 俺はこの会社で、通信販売のためのシステム管理を担当している。そういった方面の事柄に関して 一般レベルの知識はあったものの元々技術職だった訳でなく、最初は非常に大変だったが、今では なんとか足手まといにならないくらいにはなったと自分では思っている。
「おはようさん。今週の当番よろしく」
 ぽん、と放るように、俺の机に可愛いんだか不細工なんだかよくわからないねずみのぬいぐるみが 置かれる。置いたのは、後ろの席の佐伯だ。職歴的には数ヶ月先輩の佐伯だが、年齢が同じという こともあって色々遠慮なく話すことのできる相手である。
「そろそろ出動ありそうだから、それ計算して仕事した方がいいぞ」
「そういや、先週は出動なかったな」
「おう。先々週に出動があってから、今日で十日目だ」
 当番。そして出動。これらが、俺が会社員に丸をつけるのをためらってしまう理由だ。
 ことの始まりは俺の失業だった。
 リストラ、なんて言葉は知識として知ってはいても、まさかそれが現実に自分の身に 降りかかってくるなんて思いもしなかった。しかし不況のあおりというやつで俺が新卒以来勤めていた 会社の業績が悪化し、上司に気に入られるタイプではなかった俺は真っ先に目をつけられたんだろう。 あれよあれよという間にフリーターにジョブチェンジ。わずかな貯金と失業保険でなんとか生活は できたもののなかなか次の仕事が見つからず、途方に暮れかけていたある日のこと。郵便受けに、 一枚のチラシが入っていた。
 『やる気のある人募集!職歴、経験など問いません。とてもフレンドリーな職場です。 あなたも、私たちと一緒に働いてみませんか?』。
 あやしい。明らかに胡散臭い。そもそも何の会社なのかもわからない。しかも、こんなチラシで 求人するなんて普通とは思えない。けれど。
「あの…」
「ああ、面接ですね。こちらへどうぞ」
 三日後、俺はチラシを手に記載の会社住所を訪れていた。
 訪問するだけなら取って食われることもないだろう。いざとなったら逃げれば大丈夫だ。 なんて言って自分を納得させつつも及び腰で乗り込んだ俺だったが、様々な最悪の想定に反し、 意外と普通で逆に驚いた。扱う商材は若干アレだったが、そんなことは二の次だ。ほぼ履歴書で 落とされてしまう今の世の中、せっかく面接してくれると言うのだ。細かいことを気にしている 場合ではない。
 応接室のような部屋に通されて、三十代前半くらいに見える男と一対一。自己紹介と職歴を簡単に 説明し終えた瞬間、突然テーブルの上の電話が鳴った。
 思わずびくりとした俺にすみません、少々お待ち下さいと断りを入れて、男が電話に出る。
「……はい。はい、そうです。………わかりました」
 受話器を置いた男が席を立つ。
「社長がお会いになるそうです」
「は…?」
「是非、社の一員になって欲しいと。採用ですよ」
「え………?」
 意味のある返事ができない。
 男はなぜか壁に掛けられていた時計を外すと俺に向けて差し出してきた。
「実はですね…ここに、カメラが付いてるんですよ。わかります?」
 ここです、と男が指差す先を見てみる。言われてみれば、確かに。言われなければ気付かない くらいにさりげなく見えるこれは、カメラのレンズだろうか。
「すみません。気を悪くしましたか?」
「あ、いえ…でもどうしてカメラが?」
「それも含めて、とりあえず社長と一度お話して頂きたいんですが。いかがですか?」
 その誘いを断る理由はなかった。
 不思議というか、不審というか。怪しい部分は多々あるが、とにかくこれはチャンスなのだ。
 目の前に差し出された『採用』の二文字に俺は飛びついた。
「まさか宇宙人とは思わないよな…」
「なんだ、社長のことか?」
 思わずこぼした独り言を耳聡く佐伯が拾う。
「まぁ普通そうだよな。俺も、初めて会ったときは相当驚いたし」
 椅子ごとぐるりとこちらを向いて、完全に話し込む体勢の佐伯。もう就業時間は始まっていると いうのに、こいつは暇なんだろうか。
「いいだろ、少しくらい。お前だって考えごとしてたんだろうが」
 もっともだ。確かに俺も、仕事に集中していたとは言い難い。
「しかも見た目があんな感じだしなぁ…」
 遠い目をする佐伯。それにならって、俺はあの後の社長との初対面を思い出していた。
 





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