出動の際は、既定のコスチュームを身につけることになっている。ぴたりとした黒のスーツ、 というか全身タイツのような代物に、口元だけ出るタイプのねずみ耳付きマスク。完全に悪の組織の 戦闘員な格好だが、ただのコスプレでないのはさすが宇宙人というところか。マスクに内蔵された センサーが着用者の脳波を読み取り、どう動くか、何をしようとしているのかを正確に判断して、 それをスーツに伝える。そしてスーツはその情報を元に、動きを助けるよう働くのだ。俺たちは スーツの助けを借りることで素早く走ったり、高く跳んだりすることができる、という訳だ。 といっても相手も同じようなドーピングをしているようなので、スーツで強化して対等、という 状態なのだが。
「………っ!」
 打ち込んだ一撃はぎりぎりでかわされた。距離をとってひのきの棒を構えるねずピンクと正面から 対峙する。俺の動きを一つも見逃すまいとするように、ねずピンクは俺から目線をそらさない。
「………」
 やや垂れた目尻。綺麗というより、どちらかというと可愛らしい感じの顔立ち。前から思っていた のだが、似ている。我等が敵の一人、ねずピンク。名前の通りピンク色の髪とねずみ耳、そして つなぎ姿のその女の人は、俺の隣人である猫柳小梅さんによく似ていた。
 まさか猫柳さんがとは思うが、俺だって何の運命の導きによるものか、こうして宇宙人の手下を しているのだ。絶対にあり得ないとは言い切れない。
(眼鏡外した顔とやっぱり似てる気がする。…って、一瞬しか素顔見てないんだが)
 今朝、部屋の前でぶつかったときに見えた猫柳さんの素顔。今、俺の目の前にいるねずピンクと 極めて印象が重なる。
 なんてことを考えながらも、幾度もの出動経験を重ねた俺の体はねずピンクの一瞬の隙を突くべく ほとんど無意識に地を蹴り走り出していた。スーツの作用で一気に加速し、迫る。一撃、二撃、 防がれて三撃目、逆袈裟に振り上げた俺のひのきの棒を受け切れず、ねずピンクが体勢を崩す。
「きゃ…っ!?」
 すかさず左肩めがけて攻撃を繰り出す。狙い違わず、柔らか素材のひのきの棒は、ねずピンクの 最後の一つのライフポイントをとらえた。完全に俺の射程に入りつつもねずピンクが、なんとか かわそうとするように身をひねる。無理な体勢。そこに俺の一撃が入り、よろける。
 斜めに傾き、倒れそうになる体。
 とっさに、俺はねずピンクに向かって手を伸ばしていた。腕をつかまえ引き寄せる。勢い余って 抱きしめる形になってしまった、そのやわらかさは。
「………え?」
 ひどく無防備な表情でねずピンクが俺を見上げる。
 この瞬間、俺は確信した。ねずピンクは、間違いなく猫柳さんだ。俺の五感のすべてが そう告げている。
「どうして…?」
「傷つけたり、怪我させたりするのが目的で、俺はあんたたちと戦ってる訳じゃないから」
 よりにもよって猫柳さんに、こんな全身タイツ姿を見られるなんて。恥ずかしさに耐えきれず俺は 顔を背けた。
 もっとも、顔のほとんどを覆うマスクのおかげで猫柳さんの方は俺の正体に気付きもしていない ようではあるのだが。
「もっと気を付けた方がいい。………女、なんだから」
 怪我には気を付けろと優しく声をかけようとしたが無理だった。
 結局早口にそれだけ言うしかできず、逃げるように背を向けて、俺は仲間の救援を言い訳に 走り去っていった。



「なぁ佐伯」
 運命の出動から翌日。自分のデスクに向かいながら俺は、背中の佐伯に話しかけた。
「ちょっと意見を聞きたいんだが…」
「なんだいきなり、改まって」
 椅子ごと振り向いた佐伯に俺は背を向けたまま。
「………やっぱり、日本征服を企む宇宙人の下で働いてる男なんてもてないか?」
「はぁ?」
 思い切り、変な顔をされた。
「…やっぱりいい。今のは忘れてくれ」
「いやいやいや忘れるかよ。ばっちり聞こえたぞ今の。なんだ、女の話か?」
 わざわざ立ち上がって俺の席までやってきた佐伯はやけに嬉しそうだ。
「俺の意見が聞きたいんだろ?相談に乗ってやるから、遠慮なく話してみろ」
 一見すると頼もしく思えるが、これは単に楽しんでいるのだろう。つい意見を求めてしまったことを 少し後悔する。
「だから、もういいんだって。俺がいいんだって言ってるんだからもう気にするな」
「人に話題を振っておいて、何も話さず止めるとか鬼かお前は。気になるだろうが」
「気にするな。そして気になるな」
 しっしっ、と追い払うように手を振る。
 佐伯はまだぶつぶつと言っていたが、俺はそれを徹底的に無視することにした。そもそも、 人に相談しようとしたのが間違いたったのだ。そしてその相手に佐伯を選んだのも間違いだった。 おもしろがられるだろうなんてこと、わかっていたはずなのに。
 こんな状況になって初めて気がついたのだが、俺は自分が思っていた以上に猫柳さんのことを 意識していたらしい。敵同士という相容れない関係に、結構な勢いでへこんでいる。
(失って初めてその大切さがわかるって…本当だったんだな)
 いつもより言葉少なに仕事を終えて、家に帰る。隣の部屋のドアを見た一瞬、思わず足を 止めてしまった。すぐ我に返り、ふうと小さくため息をつく。鞄から家の鍵を取り出すと、 自分の部屋のドアを開けた。暗い部屋の中に入ろうとしたその時。
「お帰りなさいっ、御影さん」
 突然、声をかけられた。
「………え?あ、はぁ…ど、どうも…」
 まさかと思いながら振り返ると、急いで飛び出してきました、という感じの 猫柳さんがそこにいた。
「御影さん、カレーはお好きですか?」
「す、好きだけど…?」
「よかったです。すみません御影さん、そのまま、少しだけ待っていて下さい」
 ばたばたばた、と部屋に引っ込み、少しだけと言った言葉の通りすぐに戻ってくる。 その手には、大きなタッパーが。
「あの御影さん。これ、よかったら食べて下さい」
 サンダルをつっかけて俺の前までやってくると、猫柳さんはずいとタッパーを差し出した。
「味は問題ないはずです。味見は、何度もしましたので」
 そしてその態勢のまま、ぺこりと頭を下げる。
「先日は、ゴミ出しを手伝って頂いてありがとうございました」
「それでわざわざ…?別に、気にしなくてよかったのに。実際、たいしたことはしていないし」
「それでも、私はすごく助かったし、嬉しかったので。この気持ちをおすそ分けさせて下さい。 御影さんの迷惑じゃなければ」
 迷惑なんてとんでもない。
 優しいというか、律儀というか、そんなところが可愛いというか。そんな猫柳さんを目の前にして、 今日一日うじうじ悩んで、完全に後ろを向いてしまっていた思考回路がぐるりと回って前を向く。 吹っ切れた。
「…それじゃあ。ありがたく、頂きます」
 両手で押し頂くようにして、俺はタッパーを受け取った。
「そ、それじゃあ、私はこれで失礼します」
 笑顔でもう一度頭を下げて部屋に帰っていく猫柳さんを見送る。ばたりとドアが閉まった後も、 俺はその場に立ったまま。
 確かに俺と猫柳さん、いや、ねずピンクは敵と敵という立場にある。しかしそれは、たまたま 俺の勤める会社が彼女、というか彼女の属する組織と敵対しているというだけであって、別に 猫柳さんに害意があってのことではない。『傷つけたり、怪我させたりするのが目的で、 俺はあんたたちと戦ってる訳じゃない』とあの時俺は言ったが、その通りだ。
「俺は、あくまで会社員なんだし」
 大人しく引き下がる必要なんてどこにもないじゃないか。自分自身に言い聞かせるように、 心の中でそうつぶやく。
 猫柳さんに手渡されたタッパーを手に、俺はさっきまでと打って変わった晴れやかな気分で 笑った。






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