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 ヴォルフハルトの城内の、客室がある一帯の更に奥。
 閉ざされた重厚な造りの扉を前に、アリアは大きく息を吸い込んだ。そして、肺の中が空になるまで それを吐き出す。
「心の準備はできたか?」
「うん。大丈夫」
 差し出されたギルフォードの手の上に、自分の手のひらを重ねる。
 青竜騎士団団長に伴われて入場。青竜ヴォルフハルトの元へと進み、宣誓を行う。
 アリアはアイザックから繰り返し教わった手順を思い出していた。何度も、記憶が擦り切れるくらいに 思い出したそれを、最後にもう一度なぞる。
「そうだ」
 ギルフォードがふと、思い出したようにつぶやいた。
「その服、似合ってる。そういう格好すると可愛いんだな」
「なっ…!?」
「じゃ、行くぞ」
 にやりと笑って、絶句しているアリアの手を引いて歩き出す。引っ張られるまま二、三歩進んだ ところで我に返った。やけに楽しそうなギルフォードの横顔を上目遣いににらむが、当の本人は どこ吹く風だ。
 扉の両脇に控えた衛兵がゆっくりとそれを押し開けていくのを見て、慌てて前を向く。目線は正面に 置いたまま、すぐ隣にいるギルフォードにしか聞こえないような小声で、最大限の抗議を表明する。
「そういう格好するとって、どういう意味よ」
「細かいことはあんまり気にするな。可愛いって、褒めてるんだから」
「素直に受け取れない…」
 そんなやりとりも両開きの扉が全開し、中の様子が明らかになると自然と消えた。代わって、 ギルフォードに対する恨めしさがふつふつと湧いてくる。
(なにが内輪だけしか集まらない、よ…)
 決して狭くない室内にずらりと並ぶ人々。老いも若きも、すべて身なりがよく、そんな姿が板に 付いている。彼らが、一斉にアリアの方を振り向いた。突き刺さる視線に、ひるむ。
「大丈夫だ。落ち着いて、堂々としてろ」
 つながった手をぎゅっと握られる。その暖かさに、励まされる。
 部屋の中央にまっすぐ敷かれた絨毯の上を、ギルフォードに導かれて進む。奥は何段か高く なっていて、上段ではオルフが、感情の読めない不思議な微笑みを浮かべてアリアを見下ろしていた。 そのすぐ下まで来たところで、ギルフォードが畏まった一礼をして、アリアの後ろに下がった。 ここから先は、アリア一人だ。アリアはゆっくりと、目の前の階段に足をかけた。オルフの前まで たどり着くと、教えられた通り膝を付く。
「アリア・ニールセン」
「はい」
 オルフの声が降ってくる。
 アリアは、頭を垂れてそれに答えた。
「あなたは、私の巫子となる意思のある者?」
「はい」
「空に、穏やかな風の吹き渡ることを望む者?」
「はい」
「暖かく、凍えることない日々を望む者?」
「はい」
「大地に、緑あふれることを望む者?」
「はい」
「命を育む、豊かな水の恵みを望む者?」
「はい」
 一通りの問答を終えて、顔を上げる。金色の、オルフの瞳をしっかりと見つめた。
「我らが青き竜、ヴォルフハルト。御身の傍近く侍り、御心に背かず、その御力を我がために 用いないことを誓います。我が心はあなたと共に、この大地の恒久の平穏を願うものであることを、 ここに宣誓致します」
「アリア・ニールセン。あなたを私の巫子と認め、私の力の代行者となることを許す」
 厳かに告げたオルフがすぐ脇に設置された台座から一振りのナイフを手に取り、鞘から抜き放った。 美しい装飾の施された華奢な刀身のそれは、人を傷つけることなど到底できないように思える。しかし、 どんなに無害な見た目をしていても、まぎれもなく武器なのだ。オルフが自らの手のひらをなぞるように ナイフを動かすと、その軌跡にはうっすらと深紅が刻まれた。
「私の中に刻まれた、契約の一部をあなたに」
 血の滲む手のひらがアリアの額に押し当てられる。オルフの手の暖かさを感じた、次の瞬間、 アリアの脳裏に何かが閃いた。人の一生分に相当するくらいの壮大な芝居が、高速で演じられているのを 見るような感覚。ものを考える余裕すらない。ただ目まぐるしいその流れに、眩暈がした。
 唐突に訪れたその感覚は、消えるのもまた唐突だった。遠くなりかけた意識を、ふっと現実に 引き戻される。
 長い夢から覚めたばかりの時のような、ひどく虚ろなアリアの目の前にすっと手が差し出される。 オルフに促されるままに、アリアは立ち上がりその隣に並んだ。
「今、この時をもって、アリア・ニールセンは私の巫子となった。すべての生命を育む、 大地に祝福を」
 高らかな宣言。それに応じるように、人々が膝をつき頭を垂れる。
 その光景はなぜか、以前にも目にしたことがあるような、そんな不思議な感覚がした。


「アリア様。紅茶をお持ちしました」
 サイドテーブルに音もなく、湯気のたつティーカップが置かれる。だらしなく椅子に寄りかかっていた アリアがはっとして振り向くと、シェラザードが気遣わしげに覗き込んできた。
「随分とお疲れのようですが…。医師を呼んで参りましょうか?」
「う、ううん。大丈夫です。ちょっと休んでただけですから」
「そう、ですか…?」
 疑うように、シェラザードの形の良い眉が微かに寄せられる。
 しかしそれも無理からぬことだった。
 契約を終えたアリアは、つい先ほど通ってきたばかりの絨毯の上を、今度はギルフォードとオルフの 二人に挟まれるようにして歩いていた。そして廊下に出たところで二人と別れ、シェラザードと共に この部屋に戻り、額に残っていたオルフの血の跡を拭い取って、女官たちに手伝ってもらいながら 衣装を着替えた。おそらく、そのはずだ。
 断定できないのは、ひどく記憶があやふやだからだ。
 オルフの手のひらが額に置かれて、そこから後が、頭の中に霞がかかったようにはっきりとしない。 自分自身の目を通して見ているものが、すべて他人事であるかのような気分。ぼうっとする。
 ずっとそのような調子だったから、シェラザードも心配になったのだろう。
「そういえば、オルフとギルはどこに行ったのかわかりますか?」
 話題を転換するべく、深く考えずに言った台詞は逆に、墓穴を掘ってしまったらしい。 シェラザードが二、三回、大きく瞬きをする。
「アリア様…。お二人でしたら、自分たちも着替えるからと、青の宮に戻られました。きちんと 挨拶をして、お別れになりましたよ?」
「あ、はは…。そうでしたっけ?私も、もう年だってことですかね…」
 なんとか誤魔化そうと、愛想笑いを浮かべようとするのだが、乾いた笑いにしかならない。
 そんなアリアを、シェラザードは探るようにして見つめていたが、やがて一つため息をついた。
「……わかりました。アリア様がそこまで仰るのでしたら、もう何も申しません。ですが、少しでも 調子が悪いようでしたら、すぐ私に仰って下さいね」
 大人なシェラザードがくれた譲歩に、一も二もなく飛びつく。こくこくと何度も頷くアリアに もう一度、約束ですよと念押しして、シェラザードは少し困った風の、まるで手のかかる子供を 見守る母親のような表情をして微笑んだ。
「そろそろあちらの準備も整った頃でしょうし、私たちも移動しますか?」
「移動って…どこに?」
「勿論、青の宮にです。お荷物は先に運ばせてありますので、後はアリア様がお出でになるだけですよ」
「青の宮…」
 そこはこれまで、遠い噂でしか知らない場所だった。青竜ヴォルフハルトとその巫子が住まう、 その名の通り、青色を基調とした宮殿。これからは、アリアがその住人となるのだ。
 なんだかびっくりだった。それと同時に、頑張ろうと思う。
 大きく息を吸い込んで、肺に新鮮な空気を送り込むと、少し残っていた気だるい感じが晴れていった。 頭の中がクリアになる。
 シェラザードを見上げて、真面目な顔で口を開きかけて、ふと思い出した。
「その前に………紅茶、頂いてもいいですか?」
 きょとんとするシェラザードに、照れ臭く笑う。
 衣装合わせをした日と今日と。シェラザードを顔を合わせたこの二日間で何回か、紅茶を 淹れてもらう機会があったのだが、とてもおいしかったのを覚えている。しかも毎回、茶葉を 変えているのだろう。あまり紅茶に詳しくないアリアにとっては驚くほど味も香りも異なっていて、 次はどんな紅茶を淹れてくれるのか、密かに楽しみにしていたのだ。
「……そんなに楽しみにして下さっているのでは、迂闊な紅茶は淹れられないですね」
 わざと重々しい言葉遣いをするシェラザードがおかしくて、アリアは声を出して笑った。


 王都クィンベリルの中心部、ぐるりと高い城壁に囲まれた敷地内には、一般に城という名称で 示されるもの以外にもいくつか建物がある。その内の一つが、青の宮だ。城よりも装飾的な要素が強く、 教会に比べると実務的でシンプルな外観。噂通り、そのすべてが様々な色調の青で統一されている。
 アイザックから聞いた話では、この宮殿は竜と巫子の居所であると同時に、ヴォルフハルト国中の 教会を束ねる総本山としての役割もあるのだという。多くの役人がここで執務を行い、また青竜騎士団も この場所に詰めているため、それらを受け入れる必要のある青の宮はかなり広い。城に比べれば だいぶ小さいらしいが、アリアにとってはどちらもあまり変わらないように思えた。
 広大な宮殿の、その最奥にある部屋へと案内される。今まで使わせてもらっていた客室よりも、 なお広い室内。今度は一間増えて、テーブルや椅子の配置された居間を真ん中にして、左に続く部屋には 寝室が、右に続く部屋には洗面や浴室など水まわりの設備が整えられていた。木目も美しい重厚な作りの 大きなチェストを開けると、アリアが持ってきた衣服や小物類が綺麗に納められていた。いや、 納めるというほどもない。収納の技などまったく必要ないくらい、チェストの中身はがらがらだった。
「すぐに一杯になりますよ」
 くすくすっとシェラザードが笑う。
「みんな、アリア様にどんなものがお似合いになるか、楽しそうにお喋りしていましたから」
「嬉しいけど……程々に、して下さいね?」
 この大きなチェストが一杯になるほどの衣服。一体どれだけの期間、同じ服を着ないでいられるの だろうか。
 是とも否とも見ることのできるシェラザードの笑顔に、お願いします、と念を押す。シェラザードは 一言、善処致しますとだけ頷いた。
「アリア様、シエラ様。入ってよろしいですか?」
 ノックと共にかけられる、はきはきとした大きな声。
 その主は、シェラザードがどうぞと許可するのを聞くか聞かないかの内に扉を開けた。部屋に入るや 否や、勢いよく頭を下げる。
「リュカといいます。アリア様、初めまして」
 お辞儀をしたその姿勢から、リュカは一向に頭を上げようとしない。戸惑って、助けを求めるように シェラザードを見る。
 シェラザードは、わざとらしい咳払いを一つ落とした。
「リュカ、頭を上げなさい。アリア様が困ってらっしゃいます」
「えっ?す、すみませんっ…!?」
 弾かれたように、ぱっとリュカが起き上がる。
 やっと見ることができたその顔をアリアはしげしげと観察した。
 まっすぐにアリアを見つめる榛色の大きな瞳。ふわふわの猫のような赤茶の髪と相まって、 どこか小動物を連想させる。
「アリア様。リュカは、この青の宮で下働きをしている者です」
「よろしくお願いします」
 にこっと笑う。
 尻尾を激しく振っている。そんな姿が目に浮かんできそうな、好意的な笑顔。
 それだけで、このリュカという少年の人柄がよくわかる。
「リュカ、何か用件があったのではないの?まさか挨拶をするためにわざわざ出向いたわけでは ないでしょう」
「あ、はい。そうでした」
 わたわたと慌てて、それからびしっと直立する。
「落ち着きましたら、執務室にお出で下さいとの伝言を、ラーイ様より預かってきました」
「伝言、承りましたとラーイ様に」
「はいっ。わかりました」
 失礼します、とお辞儀して、来たときと同じ慌ただしさでリュカは部屋から出ていった。
 その背中をアリアは無言で見送った。というより、呆気にとられて何も声をかけることができなかった という方が正しい。しかしそれは不愉快な騒々しさではなく。むしろ、アリアにとって極めて親しみの あるものだった。


 新たに名前の登場したラーイという人物は、シェラザード曰く、青の宮における実務を 取り仕切っている人らしい。アイザックのような祭事を司る人や、全国の教会組織を統制する人は 別として、青の宮の総責任者ということになるそうだ。青の宮における組織図はいまだよく わかっていない部分が大半だが、とりあえずラーイという人が偉い人なのだということだけは十分に わかった。
 一体どんな人物なのだろうと、緊張混じりにあれこれ膨らませたアリアの想像は本人を目にした瞬間 大きく裏切られた。
 第一印象は、若い、ということだった。総責任者という肩書きから連想されるよりも ずっと若く見える。しかし穏やかに微笑む草色の瞳は若者らしからぬ落ち着きを醸し出していて、 もしかすると見た目以上に年を重ねているのかもしれないとも思える。
「私の顔に、何かついていますか?」
「い、いいえっ。何でもないです」
 まさか、あなたの年齢を考えていましたとは言えない。不意打ちに若干、声が裏返ってしまった。
 部屋の中には主であるラーイの他に、オルフとギルフォードがアリアを待っていた。 ここまで案内してくれたシェラザードは、早々に退室してしまっている。
「巫子様は、魔法の手ほどきを受けたことはありますか?」
「いいえ。ないですが……」
 魔法使いを志す者は専門の学院に通うか、もしくは他の魔法使いに弟子入りすることでその教えを 受ける。アリアの生まれ育った町に魔法を教える学院はなかったし、身近に魔法を扱う人もいなかった。
「竜の君の力を扱うことは、魔法を使うことに似ています」
 それは以前、カイから聞いたことがあった。
「これから巫子様には、オルフ様の持つ力を制御できるようになって頂く必要があるのですが、 そのために、まずは魔法を学んで頂きます」
「魔法を…?」
「魔法の基礎を学ぶことで、力の扱い方の基礎を学んで頂くのです。そのために、特別に人を 呼んでいるのですが…」
 一旦言葉を切って、ため息。そして苦笑する。
「わざわざ巫子様に来て頂いたのに、まさかお待たせすることになるとは……」
「俺が呼びに行くか?」
 言うと同時にギルフォードが立ち上がる。返事を待たずに部屋を出て行こうとするギルフォードと、 その背中にお願いしますと声をかけようとしたラーイをオルフが静かな声でさえぎる。
「待って。その必要はないよ。……来たみたいだ」
 オルフはそう言ったが、アリアには、人の気配は感じられない。ギルフォードも同じだったようで、 中途半端に歩みを止めた体勢のまま、その向こう側を通し見ようとするように扉を見た。
 程なくして。複数の人の足音と、話す声がアリアの耳に微かに届いた。
 ほらね、というようにオルフが首を傾げる。ギルフォードはため息と共に無造作な手つきで 前髪をかき上げると、そのまま扉の脇に控えるように立った。ラーイがゆっくりとソファから 立ち上がるのを見て、アリアもそれに倣う。
 皆の注目を浴びながら、執務室の扉が開く。
 現れたのは、いたって地味な男だった。この人が魔法を教えてくれるのかと、挨拶するべく口を 開こうとしたアリアに、男はあっけなく背中を向けた。
「アスラン殿。既に皆、集まっておられますよ。急いで下さい」
「うるさい、大声を出すな。聞こえている」
 不機嫌そうなその声には、聞き覚えがあった。
 男に腕を引かれて、後ろからもう一人の男が姿を現す。声から受けるイメージそのままの、 不機嫌な顔をした男。アメシストの瞳が、アリアを捉える。
「お前は……」
 ヴォルフハルト城で過ごす初めての夜。道に迷ったアリアを助けてくれた、名も知らぬ男は、 そこだけ時が止まってしまったかのように凍りついた。






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