窓枠に肘をついて、見るともなく通りを行く人々の流れを眺める。大通りのあちこちで 賑やかな声があがり、様々な服装の人間たちが通り過ぎていく。
 王都を目指してアリアたち一行が旅立った日から五日間。ここまでで、およそ半分の行程を 消化したことになる。
 アリアはこれまで、自分の生まれ育った町から一度も出たことがなかった。こうして知らない町を 眺めているとわくわくする一方で、どこの町も意外と変わらないんだなという思いもある。 同じように市が立ち、同じように旅人が訪れ、同じように子供たちが笑う。大きな違いといえば、 内陸部に位置するこの町からは海が見えない、ということくらいだ。
 それだけ、この国が平和だということなのだろう。国全体が穏やかに安定し、どこにいても 最低限度の生活が保障される。そしてその平和を守っているのが、他でもないヴォルフハルトなのだ。
(ぱっと見た感じでは、普通の子供にしか見えないのに…)
 もっとも、普通の子供にしてはその外見はやや目立ちすぎるが。少なくとも目の前にいる少年が、 まさか自分たちの国を守っている竜の君だとは思いもしないだろう。
 そしてこの、何の変哲もないただの小娘が、竜の巫子なのだ。
「国守る、竜とその巫子、か…」
 正直、未だぴんとこない部分がある。
 巫子となる道を選んだことを後悔はしていない。アリアなりに、大切なものを守りたいと思った からこそ、こうしてオルフたちと共に王都へと向かっているのだ。しかしアリアにとって 守りたいものとは所詮、自分の周りの一握りに過ぎない。巫子としてこの国の、すべてを 守らなければならないと言われてしまうと。
「早くも、自信なくなってきたかも…」
 両親の死をヴォルフハルトのせいにしてきた自分の、いかに世間知らずな子供であったことか。
 思わずため息をついてしまう。肺の中の空気をすべて吐き出したところで、ふとある一点に目が 引き寄せられた。通りのちょうど真ん中の辺り。子供が、一人で立っている。見たところまだ 五歳くらいか。人波にのまれれば途端に見えなくなってしまいそうなほどに小さな少年が、 不安げな、今にも泣き出しそうな様子できょろきょろと視線をさまよわせている。
 この状況には、心当たりがあった。
「あの子、迷子…?」
 誰かに、助けを求める頼りない瞳。しかし周囲を通り過ぎる人々は誰もそれに気付かない。いや、 気付こうとしないのか。
「ちょっと…なんで、誰も助けてあげないのよ!?」
 次の瞬間、アリアは部屋を飛び出していた。階段を駆け下りて、宿の外へ出る。部屋の窓から 見た位置関係を思い出しつつ人波をかきわけていくと、ほどなくして、少年の小さな金髪が目に 飛び込んできた。
 アリアは少年に駆け寄ると、その顔を覗き込んだ。
「君、どうしたの?お母さんとはぐれた?」
 緊張の糸が切れたのか、少年の瞳にみるみるうちに大粒の涙が浮かんでくる。
「男の子がすぐ泣かないの。自分の名前、言える?」
 自分よりも小さな子供の扱い方は慣れていた。教会にいた頃は、もっとたくさんの子供たちを 相手にしてきたのだ。
「私はアリア。君の名前は?」
「………リク」
 ややあって、ぽつりとつぶやいた少年の頭を少し乱暴に撫でると、アリアは少年を連れて とりあえず通りの真ん中から避難した。
「リクは、どうして一人でこんな所にいるの?」
 リクを店先の花壇の端の方に座らせて、自分はその目の前にしゃがむ。
「…お母さん、いなくなっちゃった……」
 それだけ言って、また泣き出しそうになる。
「わかった。わかったから、泣かないで」
 すっくと立ち上がり、辺りを見回す。
 リクがこの調子では、母親の容姿やどこに向かう途中ではぐれたのかを訊き出すことは難しいだろう。 おそらく今頃は母親の方もリクを探しているのだろうから、迂闊に動くよりも母親に見つけてもらう方が 早い。
「とはいえ、ここじゃあなかなか見つけてもらえないよね…」
 少し向こうにベンチが置いてあるのを見つけ、アリアはそちらへと移動した。ベンチの上にリクを 立たせる。
「さて…」
 自らを鼓舞するように頬を二、三度叩く。服の端をつかんだリクに笑いかけて、 アリアは瞳を閉じた。
 アリアの喉が旋律を奏で、唇が歌を紡ぐ。
 うるさいくらいの雑踏の中、その歌声ははっきりとした存在感をもって響き渡った。
 人々のざわめきの種類が変わり、注目が集まるのを感じる。そのまま歌い上げて、道行く人たちが アリアに視線を向けているのを確認すると、アリアは再び声を張り上げた。
「この子のお母さんはいませんか?知り合いの方は!?」
 興味をなくしたように早足で歩き出す人や、さぁと首を傾げる人。
 群集に向かって、アリアはなおも呼びかけた。
「リク君のお母さんはいませんか!?」
 やがて、一人の女の人が息を切らせて走ってくるのが見えた。その人は迷わずアリアたちの方へ やってくると、リクを胸に抱き締めた。
「リク!」
「お母さぁん…」
 リクも、精一杯腕を伸ばして女の人にしがみついている。
「リク君のお母さんですか?」
 一応尋ねると、何度も頷いた。
「気が付いたら姿が見当たらなくて…本当に、ありがとうございます」
「気にしないで下さい」
 首を振ってみせる。そして、二人で手をつないで歩いていく後姿を見送った。
 リクが振り返り、ばいばいと手を振るのにアリアも手を振り返す。
 ほっと息をついて、宿に戻ろうと踵を返したアリアの肩が、何かにぶつかった。
「なんだぁ、姉ちゃん。痛いじゃねぇか」
 上から、ガラの悪い声が降ってくる。
「ごめんなさい。不注意で…」
「あー痛てえ。こりゃあ、腕が折れちまったかもなぁ」
 思わず、ぽかんと口が開いた。あまりにもわかりやすすぎる、ごろつきの常套句。そうなると、 次にくる台詞は。
「ちょっと付き合えや。たぁーっぷり、詫び入れてもらわねぇとなぁ」
「………」
 こういう輩は、まともに相手をしないのが一番だ。
 一瞬で状況を判断すると、アリアはにやにやしながら口上をたれている男を無視して、 さっと身を翻した。
「おいっ、こら!」
 男が何か叫ぶのが聞こえたが、構わず走る。足には少々自信があった。小さな頃から男の子たちに 交じって遊んできた賜物だ。
 走りやすい道、身を隠しやすい道を選んで何度も角を曲がり、やがて息があがってくる頃には、 男が追いかけてくる気配はすっかり感じなくなっていた。


「はぁ、はぁ、はぁ…」
 近くの壁に寄りかかって呼吸を整える。同年代の女の子に比べれば体力はある方だとは思うが、 流石に疲れた。しばらくそのままで休憩する。
 さっきまで青空だったはずが、いつの間にか夕焼けすら通り越して、既に辺りは薄暗くなっている。 宿を出てからだいぶ時間が経っているようだ。
(そろそろ、帰らないと)
 顔を上げて、自分がまったく見覚えのない場所にいることにふと気付く。
「しまった…」
 どうやら今度は、アリアが迷子になってしまったらしい。
「ええと…確か、銀水亭だっけ?」
 泊まっている宿の名前は覚えている。町の中心を走る大通りに面した場所にある大きな宿屋だから、 通りに出ることさえできれば、すぐに見つけられるだろう。
 とりあえず人通りの多い所へ移動しようとしたアリアの肩が、不意に後ろから強くつかまれた。
「………っ!?」
 さっきのごろつきに見つかったのか。
 アリアは咄嗟に、自分の背後に向かって右肘を思い切り突き出した。どす、という重い感触がして、 アリアの肩をつかむ力が弱くなる。その隙に、振り向きざま手を振り払う。
「って、あれ…?」
 思わぬ人物の姿に、アリアは目を丸くした。
 脇腹を押さえてうめき声を上げているそれは、宿にいるはずのギルフォードだった。

「くそっ、効いた…」
「も、申し訳ありません、ギルフォード様」
 本当に、どうしてこうなってしまうのだろう。初対面で平手打ちをしてしまったかと思ったら、 今度は肘鉄だ。
「ごろつきが追いかけてきたのかと思って、つい…」
 平身低頭して謝るアリアに、ギルフォードはやはり気にするな、という風に手を振った。
「……いや、いい。油断してた俺が悪い」
 痛みを吐き出すように長く、息を吐く。
「しかし、護身術でも習ってたのか?平手打ちといい肘鉄といい、素人とは思えない」
「いえ、護身術とかそういうのは特に。………喧嘩なら、よく、してましたが…」
「喧嘩ぁ?」
「はい、近所に住んでいた男の子たちと」
 言ってから、女の子の言うべき台詞でないことに気付いて赤面する。両親はあまり気にする人たち ではなかったが、教会に引き取られてからはよく、エディードに心配をかけてしまった。 いずれにせよ、普通の女の子は男の子を相手に喧嘩などしないのだ、ということはわかっている。
 ふと見ると、ギルフォードが微かに肩を震わせている。しばらくして、とうとう堪えきれなくなった というように大声で笑い出した。
「っははははは…!あんた、おもしろいな」
 呆気にとられているアリアをよそに、涙すら浮かべて笑う。
「そんな…笑うこと、ないと思います」
「わかってる、わかってる」
 わかってると言いながらも、笑いは一向に納まりそうにない。
「ギルフォード様!」
「ギル」
「…え?」
 涙を指で拭いながら、しかしアリアが思わずどきっとしてしまうような真剣な眼差しで、 ギルフォードがアリアを見つめる。
「様はいらない。ギルでいい。あと、敬語もなしだ」
「そんなこと、いきなり言われても……」
「けじめは確かに必要だ。けどあんたは、俺に敬語なんて使う必要ないだろ」
「でも、あなたは…!」
「よーく考えてみろ。あんたは竜の巫子なんだぞ。で、俺はそれを守るためにいる。立場で言ったら、 むしろ俺の方が下だ」
「……この国の王子に、無礼な真似はできません…」
 ギルフォードが微かに笑みらしきものを浮かべる。その表情が、どこか寂しそうに見えたのは 気のせいだろうか。
「同じことを言って、この国のほとんどの人間は俺に膝を付く。…正直なところ、つまらないんだ。 どいつもこいつも、俺と向き合う気が端からない」
 小さな頃は一緒になって遊んでいたはずの幼馴染たちが、いつしか女だからという理由で アリアを仲間に入れようとしなくなった時のことを思い出した。アリアがどれだけ頑張ろうと、 彼らは『だって、女だし』というたった一言でアリアを切り捨てた。女であるという、自分の力では どうすることもできない事柄を盾に取って、彼らはアリアを対等なものとして見ることをやめたのだ。
 悔しかった。悲しかった。そして何より、寂しかった。
 ギルフォードも、同じなのだろうか。アリアと同じ思いを、味わってきたのだろうか。
「まぁ、いいさ。無理に押し付けたって意味ないしな」
 そう言うと、ギルフォードはアリアに背を向けた。
「さっさと宿に戻るぞ」
 先に歩き出そうとする背中を、追いかける。
「ギル!」
 ギルフォードの足がぴたりと止まる。
「先に行かないで…よ。道、わからないんだから」
「あんた…」
「あんたじゃなくて、アリア。ギルだって私のことまだ、ちゃんと名前で呼んだことないの、 わかってる?」
 ギルフォードに追いつき、隣に並ぶ。
 ね、と少しだけわざとらしく小首を傾げた。
「………ああ」
 ふっと、ギルフォードの周りの空気が変化した。限りなく穏やかで、優しいそれに合わせるように、 ギルフォードが微笑む。
「そうだな。悪かった、アリア」
 優しく微笑まれて、名前を呼ばれて、アリアの胸が大きく鼓動を打つ。
「こら、道わからない奴が先に行ってどうする」
 熱を帯びた頬を悟られないように、アリアはギルフォードを追い越して先に歩いていった。

「そういえば、どうしてギルがここにいるの?」
「アリアを探してたんだよ」
「私を?」
「ああ。部屋を訪ねたら、もぬけの殻だったもんでな。一人でふらふらと出歩いて誰かに 絡まれてやしないかと思って探してたんだ」
 ちくりと棘を刺される。
「だって…急いでたのよ。何も言わないで、心配かけちゃったのは悪かったけど」
 どうして宿を出ていったのか、いかに急ぐ必要があったのかを、存分に主観を織り交ぜて説明する。
「もたもたして、何かあったら大変じゃない」
「まぁ、その通りではあるんだがな…」
 これからは誰か見張りにでもつけるか、などと聞き捨てならないことをぶつぶつ言う。
「それにしても、面倒見いいんだな」
「…目の前で困っている人くらい、助けたいじゃない。竜の巫子としてはそんなんじゃいけないんだろうけど」
 つい愚痴るようなことを言ってしまう。
 呆れられてしまったかと、隣を歩くギルフォードをちらちらと盗み見る。自分から竜の巫子になることを 選んだというのに。こんなことを言うようでは、巫子として相応しくないと思われてしまったかも しれない。
 しかし、次にギルフォードの口から出た台詞は実にあっけらかんとしたものだった。
「別に、いいんじゃないか?」
「…え?」
「だから、別にいいんじゃないかって言ったんだ」
 よっぽど間の抜けた表情をしていたのだろう。
 ギルフォードがもう一度、同じことを繰り返して言った。
「巫子って言ったって人間だぞ?聖人君子じゃないんだから、まったく見ず知らずの、国中の人間を 助けようなんて思えないだろ。むしろ、目の前にいる奴を助けようとできるだけ、 すごいことだと思うぞ」
「でも竜の巫子は、国の守りなのよ?それが一握りの人間しか助けられないんじゃ、 巫子失格じゃない」
「少しずつでいいんだ」
 いつの間にか足を止めたギルフォードが、アリアを見つめる。
 漆黒の瞳。初めはどこか恐ろしいと感じたその色が、今はとても優しいものに感じられるのが 不思議だった。
「少しずつ、この国や、住んでいる人たちのことを見て、知って、守りたいと思えるように なれればいいんだ。まだまだ、先は長いんだからな」
 下手な慰めや気休めなどではなく、ギルフォードは本心からそう思っているのがわかる。 そのことが何よりも、アリアの心を軽くした。


 できることからやっていこうと思った。
 無理をして、背伸びするのではなく。
 自分の心のままに、いつか、この国のすべてを愛することができるように。






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