「アリア、ごめんね」
 大きな町だったから、同じ年頃の子供はたくさんいた。アリアの両親がまだ共に健在だった頃。 毎日、日が暮れるまで遊んだ。
 幼馴染たちの中でも、特に仲がよかったのがカイ・ロクスウェルだった。 家がすぐ隣で親同士も親しく、気が付いた時には一緒にいるのが当たり前になっていた。
 カイは他の男の子たちに比べて小柄でひょろひょろとしており、少しばかり乱暴に からかわれているところをアリアが助ける、というのが小さな頃の日課だった。
 アリアに助けられる度、カイは眼鏡越しにもはっきりとわかるくらいに瞳を潤ませて、 ごめんねと謝るのだ。
 しかしカイは、もうずっと昔にこの町から出ていった。働き盛りの父親が事故で亡くなり、 稼ぎ手を失った親子は母親の実家がある王都へと引越していったのだ。
 それきり、アリアとカイの関わりは途絶えた。


「嘘でしょ?あんたが、カイだなんて……全然別人じゃない」
 言われてみれば、確かに髪と瞳の色はカイと同じだ。眼鏡をかけているところも共通している。 しかし、それだけだった。それ以外のすべてが、とてつもなく似ていない。
「だって、カイはもっと細くて、小さくて…」
 カイと名乗ったこの男は細身ではあるものの、ひょろっとした印象はなく引き締まった体つきで、 背も見上げるほどに大きい。いつもアリアの後ろを付いて回っていた、泣き虫の少年の面影は まったくと言っていいほど見当たらない。堂々とした、立派な青年だった。
 信じられない。しかし、この男がカイ・ロスクウェルだという事実を受け入れれば、 その他のすべての事柄がしっくりくるのも確かだ。カイならば、アリアがこの場所にいることを 知っていても不思議ではない。元々ここは、アリアとカイの二人で発見した場所なのだ。
「………本当に、カイなの?」
「ああ」
「…そっか」
 ならば、きっとそうなのだろう。
 驚きはしたが、カイはアリアにとって大切な幼馴染だ。こうして再会できたことは純粋に嬉しい。
「………久しぶり」
 幼い頃にしていたように、笑う。
 カイはさっと顔を赤く染めると、慌てたようにあらぬ方向に視線をやった。

「王都に行ってからどうしてたの?こんなに大きくなって、いきなり帰ってくるなんて。 しかも竜の君と一緒に」
 最後に言葉を交わした日から、もう七年が経つ。つもる話はたくさんあった。
 草の上に、二人横に並んで座る。
「引っ越してから二年くらいして、士官学校に入ったんだ」
「士官学校に!?」
「そう。それで、三年前の、ちょうど大水害があった後くらいに、運良く青竜騎士団の 従騎士になった」
 世間話をするようにカイは話すが、青竜騎士団といえば竜の君や巫子を守る、国の花形的存在だ。 そこに所属しているということは、それだけでこの上ない誉れとなる。
「死ぬ気で訓練して、去年の叙勲式で晴れて正騎士に認められて。今はオルフ様の巫子探しの 護衛として、ギルフォード様の補佐をしてる。この町に立ち寄ったのは、その途中だったんだ」
「ギルフォード…って、金髪の?」
 竜の君とカイと、もう一人いた男。そういえば名前を聞いていなかったと、今更ながらに思う。 あの時はそんな余裕もなく、逃げ出してしまった。
「あの人も青竜騎士団の人なの?」
 カイが、何とも言えない微妙そうな顔になる。
「な、何でそんな顔するの?様付けってことは、カイの上官の人?」
「…青竜騎士団、団長」
「え?」
「あの方は、青竜騎士団団長にしてこの国の第三王子、ギルフォード様だ」
 青竜騎士団団長。第三王子。
 カイに言われた二つの単語が、アリアの脳内をぐるぐると回る。しばらく呆然として、 ようやく事の重大さに気が付く。
「私…思い切りひっぱたいちゃったわよ!?」
「不意を突いたとはいえギルフォード様に平手打ちをくらわせるなんて、本当に変わってないんだな」
「変なところで関心しないでっ!」
 とりあえずカイに突っ込みをいれてから、アリアは頭を抱えた。
「何でそんな大事なことを早く言ってくれなかったのよ。あの人がそんなに偉い人だって知ってたら…」
「平手打ちなんて、しなかった?」
「当たり前じゃない!……………とは、言い切れない、かも…」
 十七年も生きていれば、自分の性格はだいたい把握している。直情的で、かっとなりやすい。 アリアの悪いところだ。
「どうしよう…。私があんなことしたせいで、エディード様がお咎めを受けたりしたら…」
 教会と青竜騎士団はどちらも青竜ヴォルフハルトのために存在するが、より竜の君に近しい 騎士団の方が教会よりも上部組織に当たる。たかが一教会の責任者と騎士団団長とでは、 地位も権力も比べものにならない。
「ギルフォード様は、そういうことをする人じゃないよ」
「…そうなの?」
 うん、とカイが頷く。
「すごく、器の大きい人だから。あの若さで騎士団を束ねていけるんだ。それだけ、 実力も人望もあるってことだ」
 そう語るカイの中にも、ギルフォードという人間に対する尊敬の念が見え隠れしている。
「カイが、そこまで言う人だったら安心かな」
 ギルフォードという人のことは知らないが、カイのことはよく知っている。
 ほっと笑顔になると、カイはまたふいっと顔を背けた。その耳朶が、微かに赤く染まっている。
 心地よい沈黙が、二人の間に広がる。まったく別人のようだと思ったが、こうして隣に並んでみると、 昔のカイも今のカイも大本の部分は変わっていないのだとわかる。外見や言動は見違えるほどに 男らしくなったが、纏う空気は変わらず優しい。そのことに気付いて、アリアは嬉しくなった。
「………ねえ、カイ」
 揃えた両膝を抱えるように腕を組み、その上に顎を乗せて、まっすぐ町を見下ろして。 ぽつりと呼びかけたアリアに、カイもまた振り返らずに応じる。
「あの人が言った…私が、危険だって。あれは、本当?」
「………俺も、騎士団に入って日が浅いからあまり詳しくはないけど……」
 そう前置きをして、続ける。
「巫子が竜の君の力を使うのは、魔法を使うのに似てるらしい。魔法使いがするように、 色々なことを学んで、訓練して、ようやく扱える類のものだって言われている」
 この町にも、魔法使いを生業とする者は存在している。アリアは彼らとあまり接する機会は なかったが、魔法使いの業がどんなものであるかくらいは知っている。
「まして、竜の君の力は通常の魔法使いが扱うものとは比べものにならないくらい大きい。 それだけ使いこなすのは難しいし、万が一暴走させてしまった時の危険が大きいのも事実だ」
「………私のせいで、また、大水害が起こったりするのかな?」
「…可能性は、あると思う」
「………そっかぁ」
 町中に幾筋も走る運河の両脇を固めるようにして、赤い屋根の家々が建ち並ぶ。 大通りには色とりどりのテントが張られ、たくさんの屋台が賑わっている。整備された石畳の上を 軽快な音をたてて馬車が走り、荷や人を運んでいく。
 ようやくここまで復興することができた。大水害から三年。ようやく、以前の生活を取り戻すことが できた人々を、今度はアリアが傷付けてしまうかもしれない。
「あんな風に、悲しいのはもう、見たくないな…」
 誰もが何か大切なものを失った。
「竜の巫子なら、この景色を守れるのかな?」
「ああ」
「私なんかに、本当に巫子ができるのかな?」
「ああ」
「それなら、私………巫子に、なる」
「ああ。………アリアなら、できるよ。俺も力になる」
「………ありがと」
 遠い空の下を海鳥が一羽、澄んだ声で鳴きながら飛んでいった。


「先ほどは、申し訳ありませんでした」
 カイと共に教会に戻り、つい今朝方飛び出していったばかりの応接室の扉をくぐると、 待ち人を出迎えるように三人の視線がアリアに注がれた。その中を早足に歩き、 長椅子に背をもたせかけるようにして座っているギルフォードの傍まで来ると、アリアはそう言って 勢いよく頭を下げた。
「…ゆっくり頭、整理できたか?」
 落ち着いた声音で返されて、思わず頭を上げてしまう。まじまじと見つめると、ギルフォードは 怪訝そうな表情を浮かべた。
(本当に、怒ってないんだ。いきなり平手打ちされたのに…)
 微かに赤くなっている左頬を見る。アリアの視線に気付いたのか、ギルフォードは自分の頬を 隠すように撫でた。
「俺のことはいいから。気にするな」
 ひらひらと手を振る。
「それよりも、あんたはどうなんだ。結論、出たか?」
 ギルフォードの黒色の瞳が挑むようにアリアを見つめる。オルフも、エディードも、 ただ黙ってアリアを見つめている。
 心を決めて戻ってきたはずなのに、いざ言葉にしようとするとひどく緊張した。 喉がつかえたようにうまく喋ることができない。無意識に、カイのいる方を見てしまう。
 アリアと目が合うと、カイは一つ頷いてみせた。

『アリアなら、できるよ。俺も力になる』

 カイがくれた台詞が頭に浮かぶ。暖かいその眼差しに、励まされる。
「私、やります」
 エディードを見て、ギルフォードを見て、最後に、オルフに視線を合わせる。
「私にできることがあるなら。私、巫子になります」
 言い切ったアリアに、オルフはふと微笑んだ。喜びや、苦悩や、後悔や、様々なものが入り混じった、 しかし表面はあくまで静かな、そんな微笑み。
 その瞬間、アリアはこの小さな少年が真実、青竜ヴォルフハルトなのだということを初めて実感した。 たかだか数十年に過ぎない人間の生命では、こんな顔で笑えるようには到底ならないだろう。 それだけ多くのものを内に抱え込んだ、そんな風に、見えた。


 空には雲一つなく、気持ちのいい青空が広がっている。降り注ぐ日差しは柔らかく、暖かい。 一陣の風がアリアの髪をさらって去っていった。
「それじゃあ、行ってきます」
 玄関先にずらりと並んだ人々に軽く礼をする。シスターや子供たち、モニカも、エディードも皆が アリアを見送ってくれている。
 王都からの客人が教会を訪れた日から三日。これからアリアは、彼らと共に王都を目指すことになる。 そこで正式に巫子の座を継ぎ、一人前の巫子になるべく様々なことを学ぶのだそうだ。
「まさか、アリアがこんな風に出て行くなんて思わなかったわ」
「私だって」
 冗談めかして言うモニカに、軽く肩をすくめてみせる。
「…モニカ」
 ふと真面目な顔になって、アリアは右手を差し出した。
「みんなのこと、お願いします」
「……ばか」
 その手はすぐに、少々乱暴な勢いで迎えられた。アリアよりも少し小さい、しかしとても頼りになる、 モニカの両手がアリアの手を握りしめる。
「そんなの当たり前じゃない。みんな…アリアも、私の、大切な家族なんだから」
「モニカ…」
「たまには、手紙くらい書いてよ」
「…うん」
 返事をするように、モニカの手を強く握り返すアリアの頭を、今度はエディードが撫でる。
「エディード様」
「自分の決めた道を、精一杯頑張りなさい」
「はい」
 頷くアリアをもう一度くしゃっと撫でると、エディードはオルフに深々と頭を下げた。
「アリアを、よろしくお願いします」
「アリアは必ず守るよ。アリアを必要としているのは、私の方だから」
「別れを惜しんでるとこ悪いが、そろそろ出発するぞ。乗合馬車が出ちまう」
 懐中時計を片手にギルフォードが出立を促す。アリアの足元にある荷物をカイが無言で手に取った。 自分で持てる、と引き止める間もなく、肩に担ぎ上げる。
「ちょっ、カイ…!?」
 慌てるアリアを置いて、カイはエディードに会釈をすると踵を返した。他の二人も各々挨拶を 済ませて、さっさと歩き出す。
「行ってらっしゃい、アリア」
 笑顔のエディードの横で、モニカが早く早くと手を振る。
 一瞬迷って、それから皆にぱっと頭を下げると、アリアは三人の後を追って駆け出した。 子供たちが口々にあげる歓声に押されるようにして、アリアは走っていった。






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