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 報告の書類と一緒に、一通の封筒を手渡された。なんだろうと見上げると、にこにこと頷かれる。怪訝に思いつつ目を落とせば、 そこに綴られていたのは、見覚えのある署名。
「エディード様…!」
「報告書に同封されていました。巫子様宛ですよ」
 嬉しい驚きに思わず封筒を胸に抱きしめながら、もう一度見上げる。
「ありがとうございます!」
 幾筋か白いものの混じった髪を後ろに撫でつけ、小さな丸眼鏡を鼻に引っかけたその男、アリアの執務の補佐を務めるトレドは 笑い皺の刻まれた目尻をますます下げて笑った。
「礼には及びませんよ。私は届け物をお渡ししただけですから」
「でもすごく嬉しかったので。だから、ありがとうございます」
「いえいえ。どういたしまして」
 手紙をいそいそと机の引き出しにしまいこむアリアに、トレドがおやと器用に片眉を上げる。
「お読みにならないのですか?」
「後でゆっくり読みます。今は、お仕事の時間ですから」
「さようですか。それでは、頑張って今日の執務を終わらせてしまいましょうか」
 はいと頷きながら、アリアは机に積まれた紙の束へと手を伸ばした。


 懐かしいその筆跡を見ただけで胸が暖かくなる。封筒の隅に記されたエディードの名前をもう一度なぞって、それからアリアは しっかりと押された封に手をかけた。
 お元気ですか。そんなお決まりの書き出しも、書き手がエディードであるだけでとても優しいものに感じられる。こちらは皆元気です という簡単な近況報告とアリアを気遣う言葉と、そして最後にオルフやギルフォード、カイによろしくと手紙は結ばれていた。 さっとそこまで目を通して、もう一度最初から、今度はゆっくりと読み進めていく。
「エディード様、相変わらずだな」
 じっくり堪能した手紙を元のようにたたみながら、アリアは自分の口元に笑みが浮かんでくるのを感じていた。
 紙面のほとんどが他の人に関する事柄で、エディード自身のことはわずかにしか触れられていない。いつだって、自分より周りのことを 気にかけている。そんなエディードの性格がよく表れているように思う。
「返事書かないと…」
 手紙ありがとうございます。みんなが元気そうで嬉しいです。城の人たちは皆が優しくて、私も元気でやっています。
 そこまで考えて、ふと止まった。自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。どきんどきんと、その音を意識した途端に、 なんだか息がしづらいような、息苦しいような、そんな錯覚に襲われる。
「………」
 アリアは大きく、深く息を吸い込むと、そのすべてを思い切り吐き出した。そして立ち上がる。
「アリア様?いかがしましたか?」
「オルフのところに行こうと思って」
「今からですか?」
 ちらりとシェラザードが窓の外をうかがう。午後の予定をすべて終わらせ、既に夕刻と言える時間帯になっている。 今はまだ明るいが、じきに日も傾くだろう。
 ほんのわずか考えるように間を置いて、しかしすぐにシェラザードはアリアに向き直った。
「では、ご一緒致します」
「…でもシエラ、お仕事中だったんじゃあ…?」
「いいえ、私は大丈夫ですから。お気遣いありがとうございます」
「………」
 この感じは、もしかしなくとも。あのときの女官から、アリアがあらぬ場所に一人でいたことは既にシェラザードに報告済み、 ということなのだろう。
 後ろめたさのあるこの状況では、シェラザードの鉄壁の笑顔に勝てるはずもなかった。
「あの、仕事の邪魔になるようだったら本当に言って下さいね?」
「邪魔だなど、とんでもないです」
 シェラザードと二人、青色の廊下を歩く。
 アリアに与えられた部屋からオルフがいる場所まではさほど遠くない。まだ数えるほどしか訪れたことのないその部屋を、 初めて見たときにはとても驚いたものだ。
(部屋……というか)
 扉の前に立つ衛兵が二人、アリアの姿を見て敬礼する。青竜騎士団の制服に身を包んだ彼らの顔には見覚えがあった。前に一度、 カイと一緒にいるときに挨拶をしたことがある。確か、フォルテとノアだったか。
「お疲れ様です」
 足を止めて会釈する。
「オルフに会いたいんですけど…入ってもいいですか?」
「勿論です、巫子様。どうぞお通り下さい」
 ありがとうございますともう一度軽く頭を下げて、アリアが重厚な木製の扉をノックする。しかし中から返事はない。
「奥にいるのかな…?」
 このような状況は初めてではない。その特殊な構造ゆえに、『奥』に入ってしまうと部屋の中はほとんど無人のような状態に なってしまう。そのため前に訪れたときも結局、オルフに会えないまま門前で引き返すことになってしまったのだった。
 少し緊張しながらアリアがドアノブに手をかける。何の抵抗もなく、すっと扉は内側に開いた。
「…じゃあ、ちょっと行ってきますね」
「では私はここでお待ちしております」
 前回のことがあった後、アリアはもしまた同じようなことがあったら、その時は自由に部屋に入ってきていいとオルフから 言われていた。だから、アリアが緊張する必要はどこにもないのだが。
「お邪魔します…」
 いくら本人の許可があるとはいえ、勝手に人の部屋に上がるのはなんだか気が引けた。
 開いた隙間から中をのぞく。机と椅子と、向かい合わせのソファとその間に置かれたテーブル。それに、背の高い棚が壁際に並ぶ。 アリアの執務室と似たレイアウトの室内には、やはりオルフの姿はなかった。それらをぐるりと見回して、それからアリアは身を すべらせるように部屋に入った。奥にある、隣室へ続く扉の前に立つ。一見して何の変哲もないその扉のノブを試しにひねると、 拒まれるように重い手応えが返ってきた。鍵がかかっている。しかし、どこにも鍵穴はない。
「アリア・ニールセンの名の下に、開け」
 ドアノブを握ったままつぶやく。瞬間、手のひらを伝って何かが通り抜けるようなぴりっとした感覚の後、今度はすっと扉が開いた。
 調度品の一つもないがらんとした部屋の中央に階段がある。ぐるりぐるりと螺旋を描きながら下へと向かうその階段をアリアは 降りていった。宮殿の他の場所と同様、薄い青色をした壁面には等間隔にぼうとほの白く輝く明かりが取り付けられており、 不思議な明るさに包まれている。三階建の構造をした青の宮の一番上、つまり三階にオルフの部屋はある。上から下まで、 せいぜい二階分の距離しかないはずなのになぜか、遥か高い塔のてっぺんから延々歩き続けているような気がしてしまう。
(何度来ても不思議…というか、変な感じ)
 もうそろそろ到着だろうかというアリアの願望混じりの推測に応えるように、長い螺旋階段が終わりを告げた。前の部屋と同じく 何もない部屋の中に、扉が一つ。それをノックすると、今度はすぐに応じる声が返ってきた。
「どうぞ」
 先ほどと同じく鍵穴は見当たらないが、こちらはそもそも鍵自体が付いていない。ドアノブをひねれば抵抗なく扉は開いた。
 室内のはずなのに、明るい。
 吹き抜けになった高い天井とあいまってまるで太陽の下にいるかのような錯覚を覚える。更に足元は土に覆われた地面が広がり、 周囲には緑が生い茂っていた。建物の中に入ったはずが、そこもまた外だった。そんな感じの空間。
「いらっしゃい、アリア」
「ごめんね、急に来て。邪魔じゃないかな?」
「そんなことない。アリアが会いに来てくれて、嬉しい」
 人形のように綺麗な顔が微笑みを浮かべる。
 なんとなくほっとして、アリアはオルフの側に寄った。
「オルフに見せたいものがあって」
「見せたいもの?」
「うん。手紙がね、来たんだ」
 そう言ってアリアは上着のポケットからエディードの手紙を取り出した。少ししわが寄ってしまったのを指で押さえて伸ばして、 オルフに差し出す。
「オルフと、ギルとカイによろしくって」
 はいと手渡す。
 受け取った紙面にさっと視線をすべらせたオルフの金色の瞳がふ、と優しい色を帯びた。
「優しい手紙だね」
 綺麗に折りたたんで、ついさっきアリアがしたように、しわを伸ばすよう紙を撫でる。手紙を返してもらうとき、 アリアを見上げるオルフと目が合った。なんだかとても真剣な眼差しで、心の中まで見透かされるような強い視線を 感じたような気がしたが、それはほんの一瞬で。見上げる形のまま、オルフが少し首を傾げる。
「懐かしい?」
 言葉少なな疑問形に何のことだろうと思いかけて、すぐにそれがエディードのことだとわかった。いや、エディードを含めた 故郷のこと、だろうか。
「うん。すごく懐かしくて、嬉しかった。みんなが元気でやってるってわかって安心した」
「会いたい?」
「……それは半分半分、かな。今エディード様に会ったら私、甘えちゃいそうだから」
「………」
 唐突にぎゅっと、オルフに手を握られた。そしてそのまま手を引かれる。
「おいで、アリア」
「え…オルフ?」
 連れていかれたのは部屋の中央、水たまりというには大きく、泉というには小さい、そんな水辺だった。細波もない静かな水面は 恐ろしく澄んでいる。底まで見通せそうなほど透明で、しかし決して水底は見えない。それほどに深い。
「ここに手を入れてみて」
 内心を疑問符だらけにしながらも、オルフに言われるままアリアは泉の縁に屈みこむと、そっと水に指先をつけた。冷たいかと 思ったが予想に反して、泉はさながら大地に手を触れたときのような温かみを帯びていた。小さくかきまぜるように手を動かしてみれば、 そこを起点に波紋が生まれ、ゆっくり、大きく広がっていく。湖面いっぱいに幾重にも輪が広がり、そして不意に、像を結んだ。
「え…?」
 最初に見えたのは、大きなテーブル。使いこまれた深い色合いをしたそれの周りには同じように年を経た椅子がいくつも並び、 そしてその傍らにある人影は。
「エディード様…」
 椅子の一つ、いつもエディードが使っていた席に座するその人に話しかけるように別の人物が現れる。そして後ろから、 更に他の人たちが。
「マナさん、モニカ、みんな…」
 それは懐かしい光景だった。アリアも少し前までその一員だった。教会の皆で、一つの食卓を囲む団らんの光景。
 服が汚れるのに構う様子もなく、オルフがアリアの隣に片膝をつく。
「この場所は、ちょうど逆鱗があったところに位置するんだ」
「逆鱗?」
「そう。竜の、力の源。だから他のどの場所よりも、ここは力に満ちている」
 つまり竜の力を扱いやすい場所、ということだろうか。だからこんな、まだ『見る』ことすらできないアリアでも 故郷の姿を映し出すことができるのだと。
「誰にでもできることじゃない」
 先回りするようにオルフが言う。
 すっと伸ばされたオルフの右手がアリアの頬に触れた。泉の水と同じ、暖かい手。
「ねぇアリア」
 心地よい温もりに、思わず目を閉じてしまいそうになる。
「力の使い方をもっと覚えたら、会いに行こう。アリアの大切な人たちに」
「………うん」
 オルフの手にそっと自分の手を重ねて。小さく、アリアは頷いた。






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