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 広場は人であふれていた。
 見渡す限りの人、人、人。
 これだけの人間が一体どこにいたのかと首をひねりたくなるくらいの群衆が、アリアとオルフの姿を目にするや否や、 わっと歓声を上げた。びりびりと空気が振動するのを肌で感じる。それほどまでの迫力と、熱気。
(ちょっとこれは、予想以上かも…)
 流石のアリアも怖気付きそうだった。
 先に出て挨拶をしていたジェラルドが、わずかに振り向いて前へと促す。一呼吸、その間でなんとか覚悟を決めて、 アリアはバルコニーの欄干ぎりぎりのところへと進み出た。歓声が更に大きくなる。湧き立つ群衆に向けてジェラルドが 高く手を掲げてみせると、その動作に合わせて、段々と広場が静まっていった。
「さぁ、アリア殿」
「はい」
 頷くアリアに場所を譲るようにジェラルドが下がる。代わりに、オルフが一人立つアリアの隣に寄り添った。
 ヴォルフハルト国王によって新たな青竜の巫子が紹介され、巫子は竜と共にその姿を現した。多くの国民が見守る中、 巫子は就任の演説を行い、竜より託されたその力を披露する。
(それで退場、と)
 一連の流れを心の中で復唱する。
 アリアは眼下の人々にまっすぐ目を向けると、すっと、息を吸い込んだ。


 高く澄んだ青空に、歌声が広がる。
 それは聖歌隊でよく歌われる歌だった。我らが青き竜の君が大地に、人々に、どれだけの恵みを与えてくれるのか。 どれだけの慈愛をもって、国を守っているのか。慈しみ深き竜を讃え、感謝する歌。かつてアリアが、大嫌いだった歌だ。
 これからどうしたいのか。何を為すつもりなのか。そんな決意表明をすればいいのだと言われて、何を語るべきか、 ずっと考えたけれど結局うまく言葉にできず。それならいっそ、言葉にしなくてもいいのではないかと、そうアリアは思ったのだ。 美辞麗句を並べるだけが演説ではない。この歌の中に、アリアの思いのすべてがある。こんな風にアリアも、 オルフと共に国を守っていきたいと思う。
 アカペラに乗せた、これがアリアの決意表明だ。
 アリアの歌に聞き入っていた群衆の中から、ざわざわっというどよめきが起こる。
 花が、降っていた。
 雪が舞うように、ひらりひらりと。
 微細な水の粒子たちによって形作られた透明な花弁が太陽の光を受けて七色に輝く。
 人々の肩に、手のひらに、触れた瞬間それらは無数の光に弾けて、新たな花を咲かせていく。
 空には何本もの虹が交差して。
 水と光によって織り成される、それは幻想的な光景だった。
 アリアが紡いだ最後の一節が、余韻を残しつつ空にほどけていく。それと同時に花も、虹も、光も、溶けるように消えていった。
 一瞬の静寂と、そして。
 先ほどを上回る大歓声が、広場を包み込んだ。


 衣装にしわが寄るのも構わずに、クッションの効いた椅子に崩れ落ちるように座り込む。さっとシェラザードが差し出したグラスを 無言で受け取って、よく冷えた、微かに甘いその中身を一気に飲み干す。
「はぁああぁあ…」
 そしてアリアは、ため込んだ吐息をすべて吐き出した。
「………あー、驚いた」
 ぽつりつぶやいた言葉にシェラザードが首を傾げる。
「何かありましたか?私には、とても素晴らしかったように思えますが」
「ありがとうシエラ。その素晴らしさに、自分でもびっくりなのよ」
 花吹雪に、虹に光。そもそもアリアは、あんなことをする予定ではなかった。いや、あんなことができる予定ではなかった、 という方が正しいだろうか。
「アリアが強く願ったから。だから皆、それに応えた。魔法の本来の姿だよ」
「オルフ様に見出されたときも歌うことで御力を使われたということですし。巫子様の場合、歌が何かのきっかけに なっているのかもしれませんね」
「アリアの歌には心がこもっているから」
「………だが、あまり無意識下で力を使う癖をつけない方がいい。自身で制御できないものには、どんな危険が伴うかわからない」
 いつの間に現れたのか、アスランが、オルフとラーイの会話を遮るように割って入る。そしてそのまま足早にアリアの目の前まで やってきた。
「調子はどうだ。疲れていたり、気分が悪くはないか?」
 がっと詰め寄られて、思わず仰け反るアリア。
「思いがけず大きな力を使ったんだ。暴走とは違うが、似たような疲労を感じていてもおかしくはない」
 わずかな異常も見逃すまいとでもするように、至近距離からアスランに見つめられる。
「だ、大丈夫です………多分」
 最後にぼそりと付け加えた一言で、アスランににらまれる。
 アリアは慌てて首を横に振ってみせた。
「今のところは問題ないです。疲れてはいるけど、気疲れというか…。緊張したせい、だと思います」
「そうか…」
 ものすごい勢いでやってきた割には意外と呆気なく、アスランは引き下がった。座るアリアを見下ろすアメシストの瞳が ふと和らいで、優しい表情になる。
「アスランさん…」
「………アスラン殿っ!」
 ドタドタドタバタンという騒音と共に人影が一つ飛び込んでくる。その人は、部屋の中にアスランの姿を見つけると、 一目散に駆け寄ってきた。
「こんなところにいたんですね、アスラン殿!勝手にいなくなられては困ります」
「うるさい、トリスタン。巫子の前だぞ」
「ああ、申し訳ありません巫子様。それにオルフ様も。御前をお騒がせ致しました。皆も、失礼を致しました」
 アリアをはじめ、場に居合わせた面々に向かって忙しなく頭を下げる。トリスタンと呼ばれたその男は最後に、 アスランに心底弱り切った風の顔を向けた。
「アスラン殿、すぐ戻って下さい。さぁ早くしましょう」
「うるさいと言ったのが聞こえなかったのか。だいたい、巫子の様子を少し見に来ただけだろう」
 大げさな、と吐き捨てるアスランと、逃がすまいとでもするようにその腕をがっしとつかまえるトリスタン。 お互い一歩も譲ろうとしないにらめっこが続く。ややあって、アスランは深々とため息をついた。
「…もし、少しでも調子が悪いと感じたら、絶対に我慢はするな。わかったな?」
「はっ、はい!」
「トリスタン。行くぞ」
 さっさと踵を返すアスラン。トリスタンはアリアたちに一度、深くお辞儀をすると、アスランを追いかけるようにして出て行った。
「………アスランさんって忙しいんですね」
 それしか、感想が浮かばなかった。
「まだ年若いですが、実力は確かですからね」
「伊達で宮廷魔法使い筆頭をやってる訳じゃないってことだ」
 ラーイとギルフォードがそれぞれフォローのような台詞を口にするが、その顔にはどちらも苦笑いが浮かんでいる。
「私もそろそろ失礼させて頂きます。巫子様はどうぞ、このまま休憩なさって下さい」
「あの、ラーイさん。この後なんですけど、私、本当に何もしないでいいんでしょうか?アスランさんもラーイさんも 忙しそうなのに…」
 お披露目を終えた後は自由にしていいと前々から言われてはいたのだが、忙しく働いている人がいる中で、自分ばかり 休憩していていいものなのかとアリアは思う。
「巫子様はもう、立派に務めを果たされましたから。あとは私たちの仕事です」
「でも…」
「でしたら、町に出てみてはいかがですか?青竜の巫子の就任を皆がどれだけ祝福しているのか、雰囲気を味わってみるのも いい経験だと思いますよ」
「しかし、危ないのではありませんか?今日は国中から人が集まってきていますし…」
 シェラザードが形のいい眉をひそめる。
 しかしラーイは、そんなシェラザードの心配をからりと笑い飛ばした。
「だからこそ逆に、ですよ。それにギルフォード殿が付いていて下さるのですから大丈夫でしょう」
「なんだ、いつの間にそうなったんだ?」
 何の前触れもなく登場した名前に、思わずといったようにギルフォードがつっこみを入れる。
「おや。ギルフォード殿は、巫子様のお供はお嫌でしたか?」
「嫌とは言ってないだろう、嫌とは」
「では何も問題はないですね」
「………」
 反論する隙間もないラーイの笑顔。にっこりと笑いかけられて、ギルフォードは自分の髪の毛をぐしゃぐしゃっとかき混ぜ、 ため息をついた。
「…わかった。護衛の任はしっかり果たす。フォルテ、お前も、巡回はいいから付いてきてくれ」
「はい。了解しました」
「もう少し休んだら、着替えてから出発だ。俺たちも一度戻るから、準備ができたら呼んでくれ」
 それじゃあな、と片手をあげて、ギルフォードが騎士たちを引きつれて去っていく。ラーイもその後に続いて、 仕事へと戻っていった。
「本当にいいのかなぁ」
 随分と人口密度の少なくなった部屋で、アリアはぽつりとつぶやいた。
 忙しい人がいるのを差し置いて遊びに行くだけでは飽き足らず、人の仕事の邪魔までしてしまっているのではないだろうか。
「行ってくるといい、アリア」
 オルフが、アリアの手にそっと触れる。
「誰もアリアが邪魔だなんて思っていないよ。アリアの優しさは皆が知っているから。皆、アリアのために何かすることを、 煩わしいと思ったりしない。だから大丈夫」
 アリアを見つめる金色の瞳は微笑みを浮かべている。その暖かい、優しい色を見つめているとなんだか、 すべての懸念が氷解していくような、そんな気がした。
「行って、楽しんでおいで」
 ぽんと背中を押すようにかけられたその言葉に、アリアはようやく、素直に頷くことができた。


「すごい…!」
 普段の王都も、アリアにとっては活気にあふれた賑やかな町だ。しかし今日の王都は、そんないつもの様子をはるかに上回っている。 大通り以外にもびっしりと屋台やテントが軒を連ね、呼び込みをする売り子の声や行き交う人々の話す声、笑い声や、時には 怒号のようなものまで聞こえてくる。きょろきょろと辺りの様子を見回していたアリアの腕が不意にぐい、と引かれた。
「わっ…」
 たたらを踏んだアリアのすぐ傍らを、人の肩がすれ違って行く。あのまま歩いていたら思い切りぶつかっていたであろう距離感に、 庇ってくれたのだと気付く。
「ありがと、カイ」
「いや…」
 短くそれだけを応えて、カイはつかんでいたアリアの腕を離した。そのまま、アリアの半歩後ろを付いてくる。
 準備万端整って、いざ町に出けんとしていたアリアを迎えに来たのはギルフォードと、なぜかカイの二人だった。一方で、 同行する予定だったはずのフォルテの姿はどこにもなく。
「せっかくの機会なんだから、よく知った相手と一緒の方がアリアも楽しいんじゃないかって、フォルテの提案でな。 カイと持ち場を交代したんだ」
 ということらしい。
 そんなわけでアリアは今、カイとギルフォードと三人で町を歩いているのだった。
「アリア。何か見たいものとか、買いたいものはあるか?」
 数歩前を行くギルフォードが、足は止めずに振り向く。
「今日は国中の商人たちも集まってきているからな。たいていのものなら揃ってるはずだぞ」
「うーん…見たいものっていうか。何か、お土産にできそうなものってないかな?」
「お土産?」
「青の宮のみんなに。…って言っても、さすがに全員分は無理なんだけど。いつもお世話になってるお礼も兼ねて、 何かあげたいなって」
「…そんなに気を遣わなくていいと思うぞ?」
 歩く速度を緩めたギルフォードが、アリアの隣に並ぶ。
「人を気遣えるのは美徳だと思うが、あまり気を遣ってばかりいると疲れるぞ」
「大丈夫」
 わずかに眉間にしわを寄せたギルフォードにアリアは笑って見せた。
「私がやりたくてやってることだから。ありがとね、心配してくれて」
「本当に、大丈夫なのか?」
「大丈夫だってば。ほらギル、そんな顔してると癖になるよ、しわ」
 殊更に明るい調子でそう言って、眉間を揉む仕草をする。そんなアリアをギルフォードは観察するようにしばらく見つめて、 そして。
「…わかった」
 ため息に似た吐息と共に吐き出して、やれやれというような、そんな顔で笑う。
「それじゃあ、何か適当に当たりをつけて、どっか探すか」
「うわぁ何その適当な発言」
「お前の言う『何かお土産にできそうなもの』っていうのが、そもそもいい加減過ぎるんだ」
 そんなやりとりを交わしながら、雑踏の中を歩いていく。あちこちの店頭を冷やかして、時には買い食いをしたりしながら辺りを 一回りしたアリアたちが休憩を入れようかとベンチに腰かけたときには、既に太陽は中天を通り越して西に傾こうとしていた。 いつの間にか、それだけの時間が経過していたという事実に驚くと同時に、その時間の経過にまったく気付かなかった自分自身に アリアは驚いた。
「嘘っ!?もうこんな時間?」
 そして、慌てる。
「そろそろ帰らないと…」
 今にも飛び出して行かんとするアリアの肩を、落ち着けというようにギルフォードがぽんぽん、と叩く。
「大丈夫だ。今日はゆっくりしてきていいって、各方面の了承は取ってある」
「ゆっくり…もう充分したような気がするけど」
「まだまだ、これからが本番だ」
 なぜかにやりとするギルフォード。断言されたその言葉に安心したような、していないような、よくわからない微妙な心地だったが、 ひとまずギルフォードの隣に座り直す。そしてアリアは、傍らに直立不動しているカイを見上げた。
「カイ、座らないの?」
「いや、俺のことは気にせず」
 アリアが買い物した荷物を両手に抱えたまま、短く答える。
「私が買ったものなのに、全部持たせてごめんね。ありがとう」
「…いえ」
 やはりそれ一言だけの短い返答だったが、その褐色の瞳は柔らかな色を帯びて見える。もう一度カイにありがとうと繰り返して、 アリアは未だ途切れることのない人混みへと目を向けた。
 腕を組んで歩く男女に、アリアたちと同様にベンチで休憩する親子。子供たちが歓声を上げながら、アリアの目の前を 駆け抜けていった。
「…みんな、楽しそうだね」
 たくさんの人々。
 昔のアリアのように、遠く離れた町で青竜の巫子が就任したという知らせだけを受け取る人も、おそらく、 もっと大勢いるのだろう。
「なぁ、アリア」
 ぼうっと意識を飛ばしていたところに名前を呼ばれて、我に返る。思わずびくりと体を震わせたアリアをからかうように、 ギルフォードが唇の端を上げた。
「またお前、難しいことをぐるぐる考えてたんだろ。全部、顔に出てるぞ」
「…別に、考え事なんてしてないもん」
 ふい、と顔を背けるアリア。
「ただ、頑張ろうって。そう思ってただけ」
「それをぐるぐる考えてたのか」
「………」
 反論できなかった。
「こんなことを言っても多分、アリアはまた大丈夫だって答えるんだろうけどさ。無理して、思い詰めることはするなよ。 自分では大丈夫だって思っていても、実際は大丈夫なんかじゃないときだってあるからな。まだまだ先は長いんだ。 もっと気楽に構えて丁度いいくらいだと俺は思うぞ」
 青の宮で働く先輩からの助言だと思って素直に聞いておけ、などと言われては、もうこれ以上否を唱えることはできなかった。 しかし。
「気楽に、って…具体的にどうすればいいの?」
 何しろアリア本人としては、完全に無意識なのだ。気の抜き方がわからない。
「とりあえず、もっと人に頼れ。何でもかんでも自分一人で解決しようとするな。前にも言っただろ、俺を頼れって。 俺は、どんな些細なことでもアリアの力になりたいって思ってるんだからな」
「俺も…!」
 思わずといったように割り込んできた声に、アリアとギルフォードはそろって振り向いた。二人の視線を受けて声の主であるカイは 一瞬口を閉じかけたが、思い直したように、すぐに後を続ける。
「俺も、傍にいるから。力になるから。絶対に守る。だから…」
 その続きは、カイの口から語られることはなかった。
 きり、と居住まいを正したカイが騎士の顔になる。
「…お話し中、差し出がましいことを言って申し訳ありませんでした」
 礼を一つ、直立不動の荷物持ちに戻る。
(ああ、本当に…)
 ギルフォードを見て。カイを見て。
 本当に、真剣に、心から。
(二人がいて、良かった)
 この人たちとめぐり合うことができてよかったと。
 そう、アリアは思った。


 ふいに、周囲のざわめきが大きくなる。
 あちこちで足を止めて、もうほとんど藍色に染まり、深い闇色へと変化していこうとする空を仰ぎ見る人々。
 つられるように上を向いたアリアの目の前で、体の芯に響く低い轟音を伴って、艶やかな花が夜空に咲いた。
 わぁっと上がる歓声に応えるように一輪、また一輪。
 大輪の花火が、次々と上がっていく。
「お、始まったな」
「さっき言ってた『これからが本番』って、もしかしてこのこと?」
「ああ。青の宮からでも見えなくはないが、ここからの方が角度の関係でよく見えるんだ」
「綺麗…」
 呆けたように、ただ見惚れる。
 菊先に牡丹、葉落、千輪、錦冠。色とりどりの花たちが、夜闇に咲いては散っていく。
 それはとても、とても、綺麗だった。






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