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 激しい雨粒がばちんばちんと弾ける音がする。
 獣の咆哮にも似た恐ろしい唸り声をあげて風が舞う。
 窓から覗く空は重く、黒く。
 一瞬見えた稲光は、空を駆ける竜のようだった。


 ふっ、と落下するような感覚と共に、アリアは目を覚ました。眼前に広がるのは、もうすっかり見慣れた広い天井。 青竜の巫子であるアリアのために用意された部屋。そのベッドに、アリアは寝ていた。
「あっ、アリア様」
 微かに身じろぎしたアリアの視界に、赤茶色の髪の少年の顔が飛び込んでくる。
「アリア様、おはようございます。ご気分はどうですか?」
「リュカ…?」
 ぱちぱちと数回瞬きをしてから、アリアはリュカの問いかけに首を横に振って答えた。寝覚めは決していいものではなかったが、 気分が悪いというほどではない。
「よかった。僕、シエラ様を呼んできますね」
 嬉しそうににこりと笑ったかと思うと、次の瞬間にはアリアに背を向けている。
「ギルフォード様。アリア様をよろしくお願いします」
 そう言い置いて、リュカは駆け足で出ていった。
 ゆっくりと体を起こしてその後ろ姿を見送るアリアの傍らに、リュカによろしくされたギルフォードが歩み寄ってくる。
「起きて大丈夫なのか?」
「少しぼうっとするけど大丈夫。それよりも、ギル。私どうして…?」
 なぜこんな風に眠っていたのか。自分のことであるにも関わらず、アリアには心に思い当たることがなかった。
「確か、竜の力を使う訓練をしていて…」
 アスランとオルフと、三人でいたはずだ。魔法を暴走させてしまったことも覚えている。 しかし、そこから今この瞬間に記憶がつながらない。
「訓練中に気を失って倒れたんだそうだ。制御しきれないほどの力を使ったせいで、精神が疲労したんだろうってことらしい。 といっても、俺も現場にいた訳じゃないから全部受け売りなんだが」
 言いながら、近くにあった椅子を引き寄せてそこに座る。
「まぁ何にせよ、大したことがなさそうでよかった」
 ギルフォードの手がアリアに向かって伸ばされて、おもむろに頭を撫でられる。元気出せ、とでもいうような、暖かい手のひら。
「………元気、ないように見えた?」
「なんとなくな。アリアのことだから、訓練中に倒れたりして落ち込んでるのかと」
「うーん……なくはないけど、大丈夫。頑張る」
 まっすぐ目を逸らすことなく言い切ったアリアに、ギルフォードがそうか、と頷く。 しかし相変わらずその手のひらはアリアの頭を撫でるままで。
「じゃあ、何で落ち込んでるんだ?」
 優しい声音に、アリアの心がふと緩んだ。自分自身でも無意識の奥底から本音が漏れ出す。
「………怖い夢、見たの。昔の夢」
 言葉にして出した途端、生々しくよみがえる情景にアリアがぎゅっと掛け布団の端を握った。
 あんな風に、激しい雨の日だった。あの日、アリアの両親は命を落とした。もうずっと長い間、見ることのなかった悪夢。 今更あんな夢を見てしまったのは、おそらく竜の力の恐ろしさを目の当たりにしたせいだろう。
「あのね、ギル。ありがとう…ここに連れてきてくれて。私を、竜の巫子にしてくれて」
「どうしたんだ?急に」
「何でもない。ただ、ちょっと言ってみたくなっただけ」
 竜の巫子になっていなかったら、万が一、力が暴走してしまったときに助けてくれる人などいなかっただろう。 竜の巫子として訓練を重ねれば、あの時のような災害を治めることもできるかもしれない。そう思ったら、 なんだか無性にありがとうと言いたくなったのだ。
「俺なんて大した役に立たなかったけどな。アリアを見つけたのはオルフだし、巫子になるよう説得したのはカイだ」
「そんなことないよ。ギルがいてくれて、すごく心強かった。ありがとう」
「………あー」
 左手で顔半分を隠して、ギルフォードがあーとかうーとかよくわからないうめき声を上げる。
「…っと、そういえば。カイが随分と心配してたぞ。後でアリアの様子を教えてくれって、すごい顔して迫られた」
 視線をさまよわせるギルフォードの態度はいささか不自然なものではあったが、それよりも、 アリアはその言葉の内容の方が気になった。
「カイ、そんなに心配してた?」
「ああ。ものすごくな」
「そうなんだ……」
 今にもにやりと緩んでしまいそうな頬を必死で引きしめる。一時はもう傍にいない方がいいのではないかとまで思い詰めていたのだが。 いや、そこまで思っていたからこそ、カイが心配してくれたということがアリアは嬉しかった。 心配している側からすれば迷惑な話だろうが、頭ではわかっていても、どうしようもなく顔が喜んでしまう。
「…後で、カイに会いに行かなきゃ」
 会って、大丈夫だよと、心配かけてごめんね、ありがとうと伝えたい。
 すぐにでも飛び出していきそうなアリアを落ち着かせるようにぽんぽん、と二、三度やってから、 ギルフォードは椅子の背に仰け反るようにもたれかかった。
「カイと仲直りしたんだな」
「だから、喧嘩なんてしてないってば」
 すかさず訂正を入れるが、はいはいと軽く流されてしまった。全部お見通しだとでも言いたげなギルフォード。 アリアはその顔を、じとっと上目遣いににらんだ。
 そんなアリアのささやかな抗議を笑って受け流してから、ギルフォードは急に身を乗り出してきたかと思うと声をひそめた。
「…ところで。結局のところ、カイとはどうなったんだ?」
「………どうって何よ?」
「付き合ってるのかって訊いてるんだ。傍からみるとお前たち、かなりいい雰囲気だぞ」
 なんだか、ついこの間もシェラザードに同じ質問をされたように感じるのはアリアの気のせいだろうか。
 不思議を通り越して最早不審に近い思いを胸に、アリアは内心首を傾げた。
「…そんな、みんなに誤解されるほど仲良いかな、私たち。まぁ仲が良いのは事実なんだけど」
 アリアとしては普通に、家族と接するように、カイとも一緒にいるつもりなのだが。 なぜそれが、周囲の人間には仲睦まじい恋人同士のように映ってしまうのだろう。
「私なんかと噂にしたら、カイに失礼だよ。カイには好きな人がいるんだから」
「それ、カイが言ってたのか?」
「うん。誰のことかは教えてくれなかったけど」
 水臭いなと、自分にできることがあったら応援したいのにと思うが、かといって無理矢理に聞き出す訳にもいかない。 ことはカイのプライベートなのだ。
 そこでふと、アリアはギルフォードがなんとも言えない微妙な顔で自分を見ていることに気がついた。
「…なぁ、アリア。俺が言っていいことじゃないかもしれないんだが…」
 苦虫を百匹くらい噛み潰したかのように、盛大に眉をしかめるギルフォード。
「………カイは、アリアのことが好きなんだと思うぞ」
「私もカイのことが好きだよ」
 一体、それの何が問題なのか。
「………」
 しばしの沈黙。そしてギルフォードは深く深く、肺の中の空気を全部吐き出してしまうかの如く、長いため息をついた。
「鈍いというか、何というか…」
 ぼそりとつぶやかれた言葉は小さくて、はっきりとアリアの耳には届かない。
 きょとんと見上げるアリアを見てギルフォードはもう一度、今後は小さくため息をついた。金色の髪をくしゃりとかき混ぜて、 瞬きを一つ。次の瞬間、瞼の下から現れた瞳はいつものギルフォードとはまったく違う色彩を帯びていて。
「…アリア」
 ギルフォードの手が、アリアの手を握る。優しく包み込まれて、そのままそっと持ち上げられたかと思うと、 暖かく柔らかい感触が押し当てられる。
 呆然として、手に口付けられたのだとアリアが気付くのに数秒かかった。
「………っ!」
 咄嗟に振り払おうとするが、思いのほか強い力で握られた手を解くことができない。伏し目がちにされた、 長い睫毛の合間から覗く黒色に、アリアの背筋をぞくりと何かが走り抜けた。
「好きだよ」
「ギル…?」
「アリアが好きだ」
 ギルフォードのことが好きだと、以前アリアはそう言ったことがある。
 アリアはギルフォードが好きで、ギルフォードもアリアのことが好きで。どこにも問題なんてないように見えるのに。
 ぐい、とギルフォードに手を引かれる。
 倒れこむように体を引き寄せられて、反射的にアリアが目をつむった、その瞬間。

 唐突で、完全に予想外の衝撃がアリアの額を襲った。いつの間にか解放されていた手で、 じわじわと痛みを主張するそこを撫でさする。
(………でこぴん…?)
 そうとしか考えられない。が、なぜそんなことをされたのかがさっぱりとわからない。ひたすらに混乱しているアリアの前で、 ギルフォードはにやりとしか形容できない類の笑みを浮かべた。
「ばーか」
「なっ…」
 体中の血流が一気に頭のてっぺんまで駆け上る。
「ギル…!」
 掴みかかろうとするアリアをひらりとかわして、ギルフォードは笑い声を上げながら逃げていく。
 ギルフォードの後を追おうとベッドから降りかけたアリアの出端を挫くようなタイミングで、失礼しますと入口の扉が開かれた。
「アリア様がお目覚めになったと…」
「ご苦労、シェラザード。俺は仕事に戻るから、後は任せた」
「は…ギルフォード様?」
 流石に事態をつかむことができず目を白黒させるシェラザードの肩をぽん、と叩いたギルフォードは最後に一度振り返って、 しかしそれ以上アリアに何か言葉をかけることもなく。ただアリアを見つめて、そして去っていった。


「…気が散っているぞ」
 声をかけられて、アリアははっと我に返った。
 目の前でぐにゃりと歪み、形を変えようとしている球体に慌てて意識を集中させる。その身を震わせる水面が鎮まるのを見て、 詰めていた息を吐き出した。
「何か、他のことを考えていたな?」
「う………すみません」
 図星だったアリアは、素直に謝ることにした。
 あの時のギルフォードの笑顔を思い出して、心が乱れたのがダイレクトに影響してしまったらしい。
 実践的な訓練を開始して今日で四日目になる。本当にもう時間がないのだと、アリアはふっと浮かんでしまったギルフォードの顔を 消しにかかった。仕事の心配をしてしまうほど頻繁にアリアの元を訪れていたギルフォードが、あれ以来まったく姿を 見せなくなったことなど、自分には関係ない。
(関係ないもん…)
 アスランのように自在に操るにはまだまだ遠いが、こうして目の前の水球とにらみ合ううちに、アリアにもなんとなく わかりかけてきたような気がする。しっかりとつながったオルフの手を通して流れ込んでくる何か。おそらくこれが、 竜の力というものなのだろう。ほとんど無意識に近いアリアの心の動きにも敏感に反応して流動するそれの手綱を取ることは、 言うことを聞いてくれないやんちゃな子供たちを相手にするのとよく似ている。とにかく冷静に、泰然とすること。 激昂するのは逆効果だ。
(蛇……は、ちょっと怖いかも。水…海…魚、とか……)
 連想ゲームをするように、イメージを膨らませていく。
(……そういえば昨日食べた魚、美味しかったな)
 淡白な中にも味わいがあって、非常に美味だった。アリアが育った地方の海では獲れない種類だったため、 食べたのは昨日の夕食が初めてだったのだが、何という名前だったか。
「………おい」
「…っえ?」
 少しばかり脇道に逸れてしまっていた思考を呼び戻されて、アリアは夢から覚めた瞬間のようにびくりと体を震わせた。
 怒られる。
 そう思って、恐る恐るアスランを窺い見たアリアの目に飛び込んできたのは。
「嘘…」
 つい昨夜、食卓の皿の上にくたりと横たわっていた件の魚が、何匹も、群れをなして宙を泳いでいた。 群れはアリアの頭上を通り越して悠々と宙をかき、やがて集まって一匹の巨大な魚の姿となる。 尾びれを優雅にひらめかせて部屋の中をぐるりと泳ぎ回ると、魚はアリアの目の前でその動きを止めた。
「あ……」
 なんとなく、催促されているような気がして、アリアは慌てて魚へと手を差し伸べた。
 その手にわずかに身を寄せて、水から生まれ出でた魚は再び水となり、そして消えていった。
「やったね、アリア」
 オルフが自分のことであるかのように嬉しそうに笑う。アスランがアリアに向けて、一つ頷いた。
「出来たじゃないか、その調子だ。今の感覚を忘れるな」
「は、はい…」
 神妙な顔をして、アスランに返事をしてはみたものの。
 まさか訓練中に晩のおかずのことを考えていたとも、その食欲がきっかけで力の制御に成功してしまったのだとも、 アリアは申告することができなかった。






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