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「………」
「………」
 アスランはアリアにじっと視線を合わせたまま、一言も発しようとしない。
 アリアもまた、無言でアスランと向かい合っていた。いや、アリアの場合、何か喋るだけの余裕が なかったのだという方が正しい。表面上は必死で平静を取り繕ってはいたが、その実、心の中はぐるぐると 様々なことが渦を巻いていた。
(ど、どうしよう…)
 アスランが、あまりにもわかりやすくアリアを避けようとするものだから、つい引き止めてしまった。 勿論、引き止めた後でどうするかなど、まったく考えていない。
 やがて、深く重くアスランの口からため息が吐き出された。無言の間にアスランが何を考えて、 どのような結論に至ったのかはアリアにはわからないが、とりあえずこの場所に留まることにしたらしい。 本棚から一冊二冊と分厚い本を抜き取ると、アスランは近くの椅子に腰掛けた。


 アリアとアスランと、二人きりしかいないせいで、相手の息遣いや少しの身じろぎがやけに気になる。
 アスランは、アリアなどこの場にいないのだというように、その存在を完全に無視した状態で黙々と 本を読み進めている。
 一方のアリアは、さっきから同じページの同じ箇所ばかり何度も行ったり来たりしていた。アスランが いても気にならない、などと啖呵を切ってはみたものの、正直落ち着かない。つい、ちらちらと アスランを窺ってしまう。
「………アスランさん」
「………」
「……あの、アスランさん」
 二度目の呼びかけで、ようやくアスランは応じた。目線だけを、ちらりとアリアに向けてくる。
 いつもアリアを通して他の何かを見ているアスランの瞳。それが今この瞬間、アリア自身を 映しているような気がして。アリアの中でふと、覚悟が決まった。
「アスランさんは、私の何が嫌いなんですか?」
 包まず、隠さず、真正面から思いをぶつける。
 『嫌いだ』とアスランに言われた日からずっと考えていた。噂話を集めて、色々と考えをめぐらせて。 しかしどれだけアリアが考えても、それは憶測でしかなく、他人の心を真に知ることはできなかった。
「アスランさんのお母さんが先代の竜の巫子だったって聞いて、関係あるのかなって思って。 話を聞いてみても、それでもやっぱり、自分の何が原因なのかわからないんです」
 アスランは、アリアを『見て』いる。
「直せることなら直します。訳もわからないで、ただ嫌われているなんで嫌です」

「………サラのこと」
 ややあって、絞り出すような声がアスランの口からこぼれた。
「サラのことを、話したのはラーイ・ナゼルスか」
 一瞬、サラというのが誰のことだかわからなかった。しかしすぐにそれがアスランの養い親であり、 先代の竜の巫子であった人の名前であることに気が付くと、アリアは小さく頷いた。
 ちっ、と。アスランが微かに舌打ちをするのが聞こえた。
「余計なことを…」
「私がラーイさんに訊いたんです。ラーイさんは、私の質問に答えてくれただけです」
「どちらにせよ同じことだ」
 一刀両断に切り伏せられる。
 苛々とした様子で、アスランはさらさらの銀糸のようなその髪を乱暴な手つきでかきあげた。
「なぜ僕が、わざわざそんなことを話さなければならないんだ。お前には関係ない」
「関係あります!」
 思わずアリアは立ち上がった。それまで座っていた椅子が背後でがたん、と音をたてるのが聞こえたが、 構わずアスランをにらみつける。
「関係あります。アスランさんに嫌いだって言われて、私はすごく落ち込みました。今だって、 すごく悲しいです。それもこれも全部、アスランさんが原因なんです。それなのに関係ないなんて 言わせません!」
 言い過ぎだと、頭の片隅でもう一人の自分が諫める。しかしアリアは止めるつもりはなかった。元々、 うじうじと悩むのはアリアの性分ではない。それに今ならば、アスランに伝わるのではないかと 思ったのだ。
「あの日、アスランさんに助けてもらって、優しくしてもらって。それなのに、次に会ったときには 嫌いだなんて、ずるいです」
 最初から嫌われているならまだよかった。しかし一度優しくしておいて、急に手の平を返されるのは 納得することができない。
「アスランさん!」
「………うるさい。それ以上喋るな」
「嫌です。アスランさんが答えてくれるまで、止めません」
「うるさい!」
 びりびりと、空気が震えるような錯覚を覚えるほどに大きな声でアスランが叫ぶ。
「どうして僕の前に立つんだ。どうして僕に話しかけるんだ。どうしてお前は、 そんなに真っすぐなんだ…」
 段々と声は小さくなっていき、やがてアスランは力なく頭を抱えてうつむいた
「そんなお前を見る度に、僕がどんな気持ちだったかも知らないくせに」
「わからないです。アスランさんの気持ちなんて、アスランさんにしかわからないに決まってます。 言葉にしてくれなきゃ、わからないです」
 しかしアリアは、アスランの気持ちを知りたかったのだ。アスランが何を考えているのか、 話して欲しかった。
「だから教えて下さい。アスランさんは、私の何を嫌っているんですか?」
 最初の問いをアリアは、再びアスランに突きつけた。
 そしてアスランはしばしの沈黙を置いて、やがて観念した、とでもいうように。うつむいた姿勢は そのままにぽつりぽつりと語り始めた。
「………竜の力は、とても強いものだ」
 まったく関係ないように思えたが、アスランに誤魔化しを言っている雰囲気はなく。アリアは黙って 続きを待った。
「適性の高い人間であれば何の問題もないが、あまり適性のない人間が扱おうとすれば、それは毒となる。 ………サラには、適性がなかったんだ。しかし大水害で混乱していたこの国に、新たに巫子としての 適性を持った人間を探す余裕はなかった。ただ、宮廷魔法使い筆頭のサラなら、訓練を経ずに竜の力を 扱うことができるだろうと、そう言ってサラが竜の巫子に選ばれた」
 竜の力を扱うことと、魔法を使うことはよく似ているという。当時、最も魔法を使うことに長けた者が、 宮廷魔法使い筆頭たるサラ・バロックワーズだった。
「竜の力を使う度にサラは弱っていった。あんなに元気だったのに…巫子になって、三年も経たずに 死んだんだ。大水害さえなければサラが竜の巫子になることはなかったし、死ぬこともなかった」
 大嫌いだ、と。
 アスランは吐き捨てた。荒々しくない、抑えた声音が、かえってアスランの思いの深さを表している ようにアリアには感じられた。
「大水害を起こした先々代…リルカ・ナゼルスを僕は恨む。お前だって同じだ。年も変わらず、 馬鹿で感情的で。きっとまた災いを招く」
「私は…」
「それにどうして、今更お前は現れたんだ。高い適性があるなら、なんでもっと早く名乗り出なかった。 あの時お前がいてくれれば、サラは死なずにすんだのに」
 大水害が起こってしまったこと。
 サラが竜の巫子になったこと。
 サラの死後に、アリアが見出されたこと。
 どれもアリアにはどうしようもなかったことであり、アリアには何の責任もないことだ。
「…お前に責任がないってことくらいわかっている。それでもお前を見ると、なぜと思わずにいられない んだ。お前のせいだと、そう思わずにいられない。僕は………醜い。お前と向かい合っていると、 僕はいかに自分が醜いかを思い知らされる」
 アスランの両腕が、自身をぎゅっと抱きしめる。まるで、そうしないと崩れ落ちそうな自分を守ろうと しているように。
「だから僕はお前が嫌いだ。お前は、僕の醜い部分をすべて映すから」
 アリアは、なんとなくわかったような気がした。
 アスランはアリアと同じなのだ。いや、アリアだけではない。アリアが教会にいた頃に出会った 子供たち。親や、友人や、大切な存在を失って、悲しむ人たち。アスランもまた、そのうちの一人なのだ。 サラが死んで、アスランはきっととても悲しかったのだろう。
 アリアはアスランに歩み寄った。椅子の上でうずくまるように背を曲げたアスランの頭を、そっと 胸に抱き寄せる。
「…っ、何を!?」
「アスランさんの気持ち、少しわかります」
 泣いている子供をあやすときのように、後ろに回した手で頭を撫でる。
「サラ様のことが大好きで、大好きで。それだけ、サラ様がいなくなってしまったのが悲しくて。 八つ当たりだってわかっていても、誰かを嫌わずにはいられなかったんですよね」
 誰でもいい。ただ、お前のせいだと、仇を恨むことで少しだけ気が紛れた。
「知った風なことを…!」
 アリアの腕から逃れようと、暴れるアスランを強く抱きしめる。
「そういう気持ちなら、私にも覚えがあるから」
 ぴたりと。アスランは暴れるのをやめた。
「大水害で両親を亡くして。私、ずっと竜の君が嫌いでした。竜の君が守ってくれなかったから、 だから死んだんだって、ずっと思ってました」
 そうやってアリアは長い間、心の平穏を保ってきた。その時間があったから、おそらくオルフが 実際に目の前に現れたとき、比較的すぐに受け入れることができたのだ。
 まだサラが亡くなってから、たったの半年しか経っていない。悲しみを癒すのに十分な時間を 与えられることなくアリアが竜の巫子になって。持て余した思いをぶつけるのではなく、アリアを 遠ざけようとした。それはきっと、アスランの優しさゆえのことだ。
「私はサラ様に会ったことがないから、アスランさんの悲しい気持ちを全部理解することは できないけど。だけど、少しならわかるつもりです。だからもう、一人で悲しまないで下さい」
「お前は、どうして………僕に、優しくできるんだ。僕はずっとお前を、勝手な理由で傷つけてきた んだぞ?」
「私だって、同じことしてましたから」
 悪戯を告白する子供のように笑う。
 アスランは目を閉じると、大きく息を吐いた。それから何度もためらって、やがて、おずおずと アリアの背に腕を回す。ぎゅっと、見かけに反して強い力でしがみつかれた。
「……サラの死を、名誉だと言われたんだ。国を守って死んでいったのは、誇るべきことだと。 サラが死んだことを、誰も悲しんでいないような気がしてつらかった」
 アリアはただ黙ってアスランの頭を撫で続ける。
「この国や、町の人たちや、そんなものよりも、僕は………サラの方が、ずっと大好きだったんだ」
 腕の中のアスランは暖かい。
 アスランの言う嫌いという言葉も、目をそらす仕草も。抱きしめたアスランの体と同じように、 本当はとても暖かいものなのだろうと、そう、アリアは思った。


 こんこん、とノックをすると、中からすぐに返事が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
 左手に提げた荷物を後ろ手に隠しながら、アリアはラーイの執務室の扉をくぐった。
「おや、アリアさん。一体どうしたんですか?」
 机に向かっていたラーイが、わざわざアリアを出迎えにやってくる。
「すみません、お仕事中に。すぐに帰りますから」
「いいえ。大丈夫です。こう見えても結構有能ですから、少しアリアさんとお話しするくらいで 仕事が滞ったりはしませんよ」
 おどけた仕草のラーイの台詞に笑い返す。
「あの、ラーイさん…」
 目の前に立つラーイを見上げて、アリアはえいやっとばかりに隠していた荷物を差し出した。
「これ、よかったら休憩のときにでも食べて下さい」
 さっと上にかけていた白い布を外してみせる。現れたのは、バスケットに詰められた焼き立ての パウンドケーキ。アリアはそれを、ラーイに手渡した。
「さっき厨房を借りて、私が作ったんです。あ、味は大丈夫のはずです。ちゃんと味見しましたし、 教会にいた頃はよく子供たちに作っていたので」
 まくしたてるアリアにふ、と微笑んで、ラーイは両手でバスケットを抱きかかえるようにして持った。
「ありがとうございます」
 無意識のうちに緊張していたのだろう。ラーイの笑顔に、アリアはほっと息をついた。
 そして姿勢を正すと、深々と頭を下げる。
「ラーイさん、ありがとうございました」
「何か、お礼を言われるようなことをしましたか?」
「私のこと、慰めてくれました。あと、書庫に連れて行ってくれたことも。本当にありがとう ございました。私、頑張れそうです」
「それはよかった」
 満足そうに頷くラーイを、アリアは上目遣いに見上げた。
「あの…それでですね、ラーイさん」
 急にもじもじとし始めたアリアに、ラーイが首を傾げる。
「実はこれ、口止め料も入っているんです」
「口止め……ですか?」
「あんな弱音を言ってしまって…。実は、恥ずかしいことをしたなと自分でも思っているんです。 なので、これで他の人には黙っていて頂けないかと……」
 本当に、カイやギルフォードには絶対に見せられない失態だった。ラーイがむやみやたらに 言いふらすとは思っていないが、何らかの拍子に話が出ないとも限らない。そこで礼を兼ねての、 この口止めなのだ。
 くすり、とラーイの笑う声。思わずびくりとするアリアに、ラーイは堪えられないという風に 笑いながら何度も頷いた。
「わかりました。絶対に他言しません」
「…ラーイさん。どうして笑うんですか」
「すみません。アリアさんがあまりに可愛らしかったもので」
「ラーイさん、私、本気でお願いしているんですけど…」
「わかっています。私も本気ですよ」
 ラーイはすっと人差し指を一本、顔の前に立ててみせた。
「アリアさんと私と、二人だけの秘密です」
 ね、と微笑むラーイ。その顔はなぜか、とても嬉しそうにアリアには見えた。






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