気のせいだろうか。
 アリアは内心首を傾げた。
 なんだかやけに、辺りの空気がそわそわと落ち着かない雰囲気をまとっている気がする。
(そわそわというより…うきうき?)
 朝からなぜか、ちらちらと女官たちの視線を感じる。
(私、また何か変なことしちゃった?)
 今までとあまりに環境が違うため、初めの頃はよく、女官いわく『びっくりするような行動』を とってしまっていた。しかし最近では日常生活レベルであればつつがなく過ごせるようになってきた はずだった。
「あの…アリア様」
 遠巻きにしていた女官の一人、アリアと一番年が近く、仲のいいリィラが胸の前で両手を握りながら アリアを呼ぶ。
「お聞きしたいことがあるんです。……よろしいですか?」
「え?……うん。何だろう」
 なぜか後ろでリィラを応援している様子の女官たちを見やりながら、アリアは頷いた。
「アリア様は…」
「……?」
「アリア様は、その………カイ様と、お付き合いされているんですか?」
「………!?」
 あまりの衝撃に頭の中が真っ白になってしまったアリアをよそに、女官たちがきゃーっと黄色い歓声を あげる。隣同士で手を取り合って、飛び上がらんばかりのはしゃぎよう。
「…え、なんで?どうしてそんな話に……?」
「アリア様、一昨日カイ様と一緒に外出されましたよね?」
 大きな瞳をきらきらと輝かせた、リィラの視線がまぶしく突き刺さる。
「私、見たんです。お二人がそれはそれは仲睦まじいご様子で町を歩いているところを」
「帰りに乗ってきた馬車って、ロクスウェル家のものでしたよね?」
「アリア様、カイ様のご実家に何をしに行かれたんですか?」
 リィラを皮切りに、他の女官たちも堰を切ったようにさえずり始める。
「本当は私一人の胸にしまっておこうと思ったんですけど、もう、どきどきしてしまって…!」
 一人二人と話が広がり、そうこうするうちに新たな目撃情報も集まり、昨日一日をかけてこの有様に たどり着いた、ということらしい。
 一番最初に、本人に確認をして欲しかったとアリアはこめかみを揉んだ。
「あのねリィラ。それ、誤解だから」
「でも、あんなに親しげでしたのに…」
 私たちが騒いだから、怒ってしまわれたのですかとリィラが泣き出しそうになる。
「そうじゃなくて。……確かに一昨日はカイと出かけたし、仲がいいのも事実だけど。そういう関係じゃ ないから」
 なだめるようにかけた言葉に、リィラが小さく首を傾げ、微かに潤んだ瞳でアリアを見る。
「私とカイは、幼馴染なの」
 同じ町で、隣同士で生まれ育ったこと。カイがクィンベリルに引っ越したことで一度は離れ離れに なってしまったが、今回の巫子探しで再会したこと。よく世話になっていたカイの母親に、久しぶりに 挨拶をしに行ったのだということ。カイの実家を訪問するに至った経緯をざっくりと説明する。
「だから、私とカイは付き合ってるとか、そういうのじゃないの」
 一通りのいきさつを聞いて、なぜかリィラはがっかりとした様子で息を吐いた。
「そうなんですか…」
「……どうして、そんな残念そうな顔をするの?」
「それは………」
 ねぇ、と後ろの女官たちと顔を見合わせる。
「カイ様って、すごく人気があるんです」
「青竜騎士団の方々は皆様それぞれに人気があるんですけど、その中でも、特にカイ様を好きだって 言う子が多くて」
 突然、何を言い出すのか。
「カイが…人気者?」
「実は、私もカイ様好きなんです」
 恥ずかしそうに頬を染めて挙手するリィラに、女官たちが次々と追随する。ざっと見て、 半数以上が手を上げていた。
「つまらない嫉妬心なんですけれど、カイ様がお付き合いされるなら、私たちみんなが納得できるような 方じゃないとって思っていて…」
「でもアリア様なら、私、応援します」
「お二人ならとってもお似合いだと思います」
 なぜかガッツポーズで応援されてしまった。
 きゃあきゃあと楽しそうな女官たちに囲まれて、アリアは少しだけ途方に暮れた。


「……で、どうしてここに来るんだ?」
 それまで黙ってアリアの話を聞いていたギルフォードが、ペンを持つ手を止めて顔を上げた。
「そんな冷たいこと言わないでよ」
「冷たいと言われてもな…」
 ふぅ、とため息を一つ伴って、ギルフォードは書類を置くとアリアの座るソファの向かい側にどっかと 腰を下ろした。
「結局、女官たちはどうしたんだ?」
「…カイとはそういう関係じゃないってとこだけ、頑張って説明した」
「納得はしたのか?」
「してもらったわよ。あのままじゃ、どこまでも噂話が広がっていきそうだったもの」
「じゃあ、何も問題ないじゃないか」
「そうなんだけど……」
 どうしてもアリアは、訊きたいことがあったのだ。誰に尋ねるのが一番いいかと考えて考えて、 ギルフォードのところにやってきた。
「あのね、ギル。率直な意見が聞きたいんだけど。………カイって、格好いいの?」
「はぁ?」
 何言ってるんだという顔をされて、急にアリアは恥ずかしくなった。つい言い訳をするように、 早口になる。
「リィラとか、みんながね、カイのこと格好いいって言うの。青竜騎士団の人たちの中でも、 特に熱烈なファンが多いんだって。ねえ、それって本当?」
 確かにカイは背も伸びて、男らしくなった。青竜騎士団正騎士という肩書きもすごいと思う。 しかしどれだけ見た目が変わっても、立派な肩書きが増えても、アリアにとってカイは守るべき弟の ようなものだ。そのカイが、たくさんの女の人たちから格好いいともてはやされている。 にわかには信じられなかった。
「……格好いいかと訊かれると、非常に答えにくいものがあるんだが…」
 ややあって。前置きを置いてから、ギルフォードは続けた。
「優秀だとは思う。経験は浅いが、見込みがある。これから伸びるだろうな」
「シエラと同じこと言ってる」
「見る奴が見ればわかることだからな。将来性があって、まぁ、見た目もいいんじゃないか」
 その辺りはアリアの方がわかるだろう、と言われて、アリアは考えた末に頷いた。
「…綺麗な顔をしてる、と思う」
 小さな頃は、初対面の人から女の子に間違えられることもあった。カイはどちらかというと母親の、 エレナに似た整った顔立ちをしている。
「格好いいとかって騒がれるだけのものは客観的に見てそろっているだろう」
「うーん。そうなのかなぁ…」
 確かに今挙げた条件を並べてみると、人気者たる資質は十分あるように思える。しかしそこにカイ という人物像を当てはめてみると、途端にアリアの頭に疑念が浮かぶのだ。
「実際、よく呼び出されたりもしてるしな」
 一人頭を捻っていたせいで、危うくギルフォードの言葉を聞き逃すところだった。
「呼び出されたりって…誰に?」
「城で働いている女官とか、その辺だな」
「呼び出して、どうするの?」
「告白でもするんじゃないか?」
「………!?」

 ひらひらと、ギルフォードに目の前で手を振られて、ようやくアリアは我に返った。
「そんなに驚くことだったか?」
「……驚くなんてものじゃないわよ…」
 どうやら少しの間、呆然としてしまったらしい。
 軽く頭を振るアリアを見て、ギルフォードが苦笑する。
「アリアがカイのことをどう思っているかは知らないが、あいつだって男なんだから、 告白したりされたりの経験くらいあるだろう」
「………」
 ゆらりと、アリアは立ち上がった。
「………私、そろそろ行かなきゃ」
 そろそろ午後の時間になる。もしまた遅刻でもしたら、今度こそアスランに愛想を尽かされてしまう かもしれない。
 小さな声でギルフォードに謝辞をつぶやいて、アリアは執務室を辞した。


 『あいつだって男なんだから』。
 ギルフォードの言葉が頭から離れない。
 『告白したりされたりの経験くらいあるだろう』。
 そうなのだろうか。
 そうなのかもしれない。
(男の人、だったんだよね…)
 今まで考えたこともなかった。
 アリアの幼馴染であるカイは、同時に内外共に立派な青年なのであり、恋愛だってしていても、 まったくおかしいことはないのだ。
(恋人とかいたりして)
 ちらりと考えて、すぐに否定する。
 もしカイに特定の相手がいるのなら、女官たちもわざわざアリアとの関係を噂したりしないだろう。
 そこでふと。アリアは、大変なことに気が付いた。
(もしかして私、カイの恋路の邪魔してる?)
 幼馴染のつもりで仲良くして。結果、カイと恋人同士であると誤解を与えて。もしそれが原因で、 カイに好意を抱いている人が身を引くようなことがあったら、完全にアリアのせいなのではないだろうか。
(どうしよう。それって、すごく迷惑かけてるんじゃ…)
 アリアの何気ない言動が、カイの将来にまで多大なる影響を及ぼしかねないということになる。 むしろ既に、及ぼしてしまっているのかもしれないのだ。
 恐ろしい考えに行き着いて、アリアは両手で顔を覆った。
「うわー…」






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