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 昨日シェラザードと共に歩いた道のりを、今度は一人で辿っていく。
 二日目の休日。
 アリアは今日もまた、カイを訪問しようとしていた。もちろん、昨日のことを訊くためだ。 アリアが帰った後、カイとホーキンスがどのような話をしたのか。その結果報告を受けるべく、 アリアは青竜騎士団へと向かっていた。
(やっぱり、今日もシエラについてきてもらった方がよかったかな…)
 どこも似たような造りの廊下を歩きながら、ちらりと浮かんだ考えを頭を振って追い払う。 青の宮で生活するようになって既に一週間も経っているというのに、いつまでもそんなことで シェラザードの手を煩わせるわけにはいかない。おそらくシェラザードは嫌な顔一つせず、 快く案内を引き受けてくれるのだろうが、優しさに甘えてばかりいるのはアリアの性に合わなかった。
(大丈夫。こっちで間違ってない…はず)
 語尾が、若干情けないことになってしまった。
 きょろきょろと辺りの風景を確認し、角を曲がろうとしたアリアの背中に、 不意に声がかけられた。
「アリアさん?」
 聞き覚えのある声が、聞き覚えのない呼び方でアリアを呼ぶ。
 いぶかしく思いながら振り返ると、アリアを呼び止めた張本人はこんにちはと笑った。
「騎士団にご用ですか?」
 動きに合わせて、ラーイの亜麻色の髪がさらりと揺れる。
「あ、はい。カイに会いに…」
「カイ・ロクスウェルですか?彼ならつい先ほど、宮殿内の警固に当たっているのを見ましたが」
「え…」
 うっかりしていた。
 なんとなくカイも自分と同じく、今日も休みなのだと思い込んで、そういえばまったく 確認していなかった。
「カイ、お仕事なんだ…」
「彼に急ぎの用事ですか?」
「急ぎってわけじゃないんですけど、話したいことがあって。……でもお仕事中に、 邪魔しない方がいいですよね」
 残念だが、仕方がない。
 しかし困ったことになった、とアリアは腕を組んだ。今日の予定が何もなくなってしまった。 どうやって一日過ごそうか思案に暮れていたアリアは、くすくす、と小さく笑う声に気が付いて はっと顔を上げた。楽しそうなラーイの表情に、一瞬にして頬が熱を帯びる。
 またやってしまった。ラーイと話をしていると、自分がひどく幼くなったように感じることが 多々ある。エディードに似た雰囲気がそうさせるのか。無意識に、無防備になってしまうのだ。
「よかったら、少し私にお付き合い頂けますか?」
 ラーイの提案は、アリアにとっては願ってもないものだった。しかしラーイにはラーイの仕事が あるはずであり、青の宮の文官長たるラーイの多忙さは、付き合いの浅いアリアですら知っている。
「でも、ラーイさん…」
「ちょうど休憩にしようかと思ったところだったんです。本当ですよ?」
 申し出を辞退しようとしたところを先回りされる。
「さあ、行きましょう」
 そっと肩を抱かれて、促される。これ以上固辞するのも時間の無駄だろうとアリアはおとなしく ラーイに従って歩き出した。
「宮殿の敷地内に、温室があるのをご存知ですか?」
 まだ行ったことのない方向に入っていくラーイの隣を歩きながら、どこに向かっているのかと アリアが疑問を抱いたのを察したかのようなタイミングの良さで話しかけられる。
「私たちが生まれるより前の時代に、当時の巫子のために造られたものらしいんですが。 外れの方にあるので、ここで働いていても意外と知らない人が多いんですよ」
「ラーイさんは、よくそこに行くんですか?」
「あまり人が来ない場所なので。落ち着いて、ゆっくりとしたい時によくお世話になるんです」
「……私が一緒だと、落ち着かなくないですか?」
 やはり邪魔になってしまうのではないだろうか。
 最後の抵抗を試みたアリアは、次の瞬間思わぬ反撃に遭い、息を詰まらせた。
「私と一緒に休日を過ごすのは、お嫌ですか?」
「えっ…」
「私のことが嫌いだというのでしたら、無理強いはできませんが…」
「そんなっ!私はただ、ラーイさんに迷惑かけてるんじゃないかって思って」
「嫌ではないと?」
「嫌だなんて…。むしろ、誘ってもらって嬉しかったです」
「それはよかった」
 にっこりと。
 優しげなラーイの笑顔に、アリアは自分が完全に敗北したことを悟った。


 そこにあると知らなければ、つい風景の中に見落としてしまいそうになる。よく言えば閑静な、 悪く言えば若干寂れた雰囲気の空間。ラーイが言っていた通り、見渡す限り人の往来はない。
「お邪魔します」
 ラーイの声に応えるように、緑の合間からゆっくりとした足取りで初老の男が姿を現す。
「こんにちは、ラーイさん。今日は可愛らしいお嬢さんが一緒ですね」
「ウォルターさん。この方は、先日いらっしゃった青竜の巫子様です」
「ああ。そうでしたか」
 ウォルターと呼ばれたその男は、腰のベルトに引っ掛けられた使い古しのタオルで手を拭うと、 さっと差し出した。
「ようこそいらっしゃいました。私はこの温室の管理をしております、ウォルターと申します」
「アリア・ニールセンです」
 会釈と共にウォルターと握手をする。ごつごつとした、暖かい手のひら。ウォルターは一瞬意外そうに 片眉を上げて、それからすぐに笑顔になると、アリアの手を両手で握りしめた。

「私は仕事に戻りますが、お二人はゆっくりしていって下さい」
 温室の中に設えられたテーブルと椅子。そこに手際よく紅茶と茶菓子を用意して、それでは、 とウォルターは現れたときと同じように緑の中に消えていった。
「ウォルターさんに気に入られましたね」
 完璧に整えられたテーブルの上を眺めながらラーイが笑う。
「そうなんですか?」
「表向きは人当たりよくしていますが、あれで結構気難しい人なんです。ここまでしてもらえるなんて 滅多にないことですよ」
 私一人だったら茶菓子なんて出してもらえません、と楽しそうな、そしてどこか誇らしげな顔をする。
「歓迎しているんですよ、アリアさんを」
「あ…」
 まただ、と思うと同時に思わず声を出してしまったアリアを、ラーイが首を傾げて見つめる。
「アリアさん?」
「さっきも私のこと『アリアさん』って。いつもは『巫子様』って呼びますよね?」
「すみません、勝手に名前を呼んでしまって。お気に障りましたか?」
「そんなことないです。ただ、いつもと違っていたから気になって…」
 最初に廊下で呼び止められたときも不思議に感じたが、段々と、気のせいだったのかもしれないと 思い始めていた。この青の宮で竜の巫子を務めるようになって以来、アリアを名前で呼ぶのは オルフやカイ、ギルフォードを含めたごく一部の人たちだけだ。仕方のないことだと頭の中では 納得していても、どうしても感じてしまう巫子という呼称の重さや、そう呼ばれることの寂しさが もたらした錯覚だったのではないかと、そう思っていたのだ。
「巫子様と呼ばれてかしずかれるのは、あまりお好きでないのではと思ったので。今日は休みの日です から、今ここにいるあなたは竜の巫子ではなく、アリア・ニールセンという一人の人間でしょう?」
 我ながら屁理屈だとは思うのですが、と苦笑混じりに頭をかく。
「しかし、女性を勝手に名前で呼ぶなんて失礼でしたね」
「失礼なんかじゃないです。嫌でもないです」
 ぶんぶんと音が出そうな勢いでアリアは首を振った。
 そんな風に、思うはずがなかった。
「ラーイさんがよかったら、これからも、お休みの時だけでいいので名前で呼んでもらえませんか?」
 名前を呼んでもらえるという、ただそれだけのことでこんなにも心が軽くなるとは。
 巫子としての責任から逃げようとは思わない。逃げるのではなく、巫子という存在と向かい合うために。 時々でいいから、一休みさせて欲しかった。
「お許しを頂けてよかった。これからもよろしくお願いします、アリアさん」
 改まった仕草で握手を交わす。
 離れた手で頬にかかる髪をかきあげて、いつもと同じラーイの穏やかな眼差しがアリアを見つめる。
「……実を言うと」
 一瞬だけ、何かを迷うように視線を揺らがせて。
「先々代の竜の巫子は、私の妹だったんです」
 驚愕の事実を告白したラーイは、ぽかんと口を開けたアリアが言葉を発する前に話の先を続けた。
「お互いに立場があるとはいえ、小さい頃から一緒に育った実の兄に『巫子様』と呼ばれることを、 妹がひどく嫌がって。私的な時間や、二人でいる時だけは名前で呼ぶようにと、そうやって公私を 区別するようにしていたんです」
「……そうだったんですか…」
 驚いた。
 ラーイに妹がいたこと。それが先々代の巫子であったこと。そして、自分があまりに何も知らないの だということに。
「私はあなたに、謝らなければいけないことがあります」
「謝るって…一体何を?」
「アリアさんは、ご両親を大水害で亡くされたと伺いました」
「………はい」
 そのことがラーイと、何の関係があるというのか。
「大水害のあった三年前に竜の巫子を務めていたのは妹でした。妹は巫子として、水害を治める責任が あった。しかしできなかった」
「………」
「その結果、多くの命が失われました。私はあの子の兄として、残され傷を負ったすべての人々に 謝らなければいけない。……謝りたいと、ずっと、思ってきたんです」
 テーブルの上で握り締められた両のこぶしが、ラーイの思いの内を表すように微かに震えている。
「どれだけ謝罪を重ねても足りない、ということもわかっています。それでも………本当に、 申し訳ありませんでした…」
 ラーイがこんな風に内心を吐露するのは初めてなのではないかと、アリアはなんとなくそう思った。 ずっと人知れず自分を責め続けて、つらい気持ちを笑顔の下に押し込めて。ラーイは優しいから。 話せば、その人に心配をかけてしまうとわかっているから。
 きっとラーイもまた、大水害で傷ついた人間の一人なのだ。
「私、ずっと竜の君が嫌いでした」
 ぽつり言ったアリアの声に、ラーイがくしゃりと微笑む。とても痛そうな、そんな微笑み。
「そう思われても仕方ありません。それだけのことがあったのですから」
「ラーイさん。まだ結論じゃないです。最後まで私の話、聞いて下さい」
 アリアはまっすぐにラーイを見つめた。
「竜の君が嫌いで、竜の巫子も嫌いだった。お父さんとお母さんを守ってくれなかったから」
 少し前まで、それがアリアのすべてだった。
「でも今は違います。嫌ってなんかいない。恨んでなんか、いない」
 アリアが生まれるよりずっと前の時代から、竜の君と巫子たちはこの国と、そこに生きるすべての命を 守ってくれた。守る義務があるわけでなく。誰かに強制されたわけでもなく。それはただ、竜の君の 優しさゆえに。
「私が今こうしていられるのは竜の君…オルフと、巫子の人たちのおかげだから。守ってくれて ありがとうって、感謝する気持ちも忘れて、自分ばっかりつらい顔をするのは違うと思う。それはただ、 甘えてるだけだって、そう思うんです」
 オルフと出会って、アリアは変わることができた。
 きっと皆、きっかけ一つで変わることができるのだろうと思う。世界はこんなにも優しさで 包まれているのだから。
「だからラーイさんが、そんな風に、自分を責める必要はないです」
 それでもまだラーイのこぶしは握られたまま解けようとしない。
 その手に触れようとして、ためらって、結局アリアはラーイの袖口をそっとつかんだ。
「…ラーイさん。少しだけ、偉そうなことを言ってもいいですか?」
 突然の行動に驚いたように、ラーイがアリアを見つめる。
「大水害で家族を亡くして、すごく悲しかった。友達とか、仲のいい人たちが悲しんでいるのを見て、 すごくつらかった。私は、大水害の被害者ですよね?」
「それは…その通り、でしょう」
「被害者である私が、同じ被害者の人たちの代表として」
 大げさなほどににっこりと、明るく、アリアは笑った。
「ラーイさんを、許します」
「………!?」
「ラーイさんが後悔していること、全部、私が許します」
 その瞬間のラーイの表情を、一体何と言い表せばいいのだろうか。驚き。呆れ。安心。喜び。 どれに当てはめることもできないようでいて、そのどれもが正解のようにも感じられる。
 ラーイの手がアリアの手に重なる。初めはそっと触れるだけ。次に、ぎゅっと力が込められる。
「………ありがとう、ございます」


 アリアが知らないことはたくさんある。
 アリアの知らないところで、ラーイのように、きっとたくさんの人が傷を抱えているのだろう。
 何ができるかわからない。
 何もできないかもしれない。  それでもアリアは、何かをしたいと思った。
 竜の巫子としての義務や、責任や、そんなものではなく。
 ただ誰かに優しくできる人になりたいと、そう思った。






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