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 長い、長いため息が、木製のベンチに両足を投げ出して無造作に座るカイの口から吐き出された。
「絶対、後で何か言われる…」
 嫌そうにつぶやくカイの顔を、アリアは隣から覗き込んだ。
「みんな驚いてたね」
「驚くに決まってる。竜の巫子がわざわざ騎士団まで訪ねてきて、しかも俺の幼馴染だなんて」
「いいじゃない、本当のことなんだから。………迷惑だった?」
 長い付き合いの中でもあまり目にしたことのない、眉を寄せたカイの表情を見てふと不安になる。
 アリアの知らないカイがいるのと同じように、アリアしか知らないカイもいるのだと、 そう主張することができるのがなんだか嬉しくて、つい調子に乗ってしまった。やりすぎてしまったかと、 アリアの心に後悔が浮かぶ。
「迷惑じゃない」
 慌てたように、カイが首を振った。
「………嬉しかった。アリアに、会いたいと思ってたから」
「カイ…」
「ただアリアのことは、秘密にしておきたかったというか………独り占め、したかったんだ。 アリアと一緒にいた時間は俺にとって宝物みたいなものだから」
 それに、と続けようとした言葉の先が語られることはなかった。続きを促すアリアに今度はゆっくりと 首を振る。
「いや、なんでもない」
 小さな頃から、カイは意外と頑固な性格だった。普段とてもおとなしく、アリアの言うことは 何でも聞くような子供だったが、譲れない一線を持っていたように思える。そしてその部分に関しては、 何をされても決して屈することはなかった。それがまた他の子供たちにからかわれる原因と なっていたのだが、アリアはカイのその強さを好ましく思っていた。
 だからアリアは、それ以上詮索することをあきらめた。カイがなんでもないと言ったことを、 いくらアリアが尋ねたところで話すことはないだろう。
「せっかく、町まで出てきたんだ。何がしたい?」
 今日、カイを誘って町に出て。どうしてもやりたいことがアリアにはあった。
「私、カイの家に行きたい」
「え?」
「カイの、こっちの家に行ってみたいの」
 父親を亡くして、カイはクィンベリルにある母方の実家に引っ越していった。アリアと別れてから これまで、カイがどんな風に過ごしてきたのか。どんな場所で、大きくなったのか。それを見て、 知りたいと思ったのだ。
「久しぶりにエレナおばさんにも会いたいし」
 カイの母親のエレナとは仲が良かった。明るく、気さくな人で、お下がりと称してよく可愛いリボンや ブローチをアリアにくれた。昔はよくわかっていなかったが、今となってはどれも結構な高級品だったと わかる。子供ながら、流石に遠慮してみたこともあったが、そんなアリアにエレナは器用に片目を つぶって笑ってみせた。
「本当は私、自分の子供にこうやって、若い頃に使っていたものをあげるのが夢だったの。 でもカイにあげると、不機嫌な顔をするんだもの」
 変わった人だった。
 しかしアリアは、そんな変わり者な部分も含めて、エレナが好きだった。
「駄目、かな?」
 即答せず、頭を抱えて考え込んでしまったカイを上目遣いに見上げる。
「駄目というか、何というか…」
 こんなところも本当に変わらない。アリアがエレナに会うことを、カイはいつも嫌がった。 アリアにしてみれば自慢の母親だろうと思うのだが、色々と思うところがあるらしい。
「………」
 なにやら激しく葛藤しているらしいカイを黙って見守る。
「………はぁ」
 しばらくして、カイはがっくりと脱力した。
「わかった。行こう。……本当は、たまには顔を見せに帰ってこいって言われてたんだ」
「家に帰ってないの?」
「ああ。仕事も忙しいし、非番の日だって、探せばやることはいくらでも見つかるからな」
「……ごめんね、私の我儘に付き合わせて」
 やはり迷惑だっただろうか。
 そう思うと、つい先ほどまでの楽しい気持ちがみるみるしぼんでいく。
「だから、迷惑じゃないんだって」
「でも。家に帰れないくらい忙しいんでしょ?」
「帰れないんじゃない。帰らないだけだ」
 アリアをフォローしてくれようとしているのだろうが、親の立場からすればかなり失礼なことを言う。
「アリアは、少し我儘なくらいでいいんだ」
「…けなされてるのか、慰められているのかわからないわ」
「どっちでもない。本当のことを言っているんだ。アリアは他人ばっかり気にして、いつも 自分のことは後回しにするから。嬉しいんだ。頼られてるみたいで」
 意外なことを言われた。
 そんな風に考えたことなど、アリアは一度もなかった。いつも自分のやりたいことを、 やりたいようにやってきただけだ。
「アリアは優しいから。自分では気が付いてないだけだよ」
「………そんなに褒めても、何も出ないわよ?」
 これがカイでなかったら、からかうなと怒るところだ。しかしアリアはカイがこのような冗談を 言う人間ではないことを知っていた。カイは紛れもなく本心から語っている。だからこそ、 逆にたちが悪い。
 こらえきれず、アリアは赤面した。耳まで熱くなっているのが自分でもわかる。
(あぁ、もう。どうしてこんなことに…)
 いくら考えても、頭の中はただ空転するばかりだ。
 あまりの照れ臭さに、穴があったら埋まりたいと、心からアリアはそう思った。


 白っぽい石造りの、背の高い塀が並ぶ。足元の石畳はモザイクになっており、見る者の目を 楽しませる。町の入り口から王城までをつなぐ大通りや、商店街とはまったく異なる閑静な空気の中を、 カイの案内に従って歩いていく。このような雰囲気の場所はアリアが生まれ育った町にも存在していた。 アリアたち一般市民とは格の違う、富裕層の人々が居を構える高級住宅街。ここも、おそらく同じような 場所なのだろう。
 そんな場所をカイは、迷いない足取りで進んでいく。
「ねぇ。カイの家って、もしかしてすごいお金持ち?」
「そうらしいな」
 味も素っ気もない返事が返ってくる。アリアが不満顔なのを見て、カイは言葉を続けた。
「俺の祖父はヴォルフハルト国全土に支部を展開する、巨大な商業組織の役員を務めているんだそうだ」
「…なんだか、すごすぎて実感がわかないわ」
「だろ?俺もだ。何をやっているのか教わったことはあるが、いまいちぴんとこない」
 竜の巫子として王城に出入りするようになった今でも、アリアはそこに勤める人々の金銭感覚に 慣れることができずにいた。調度品から壁にかけられたタペストリーまで、すべてのものが一級品で、 それ一つで家族が一月は暮らせるというものさえある。扱っている金額が大きすぎて、なんだか 遠い世界のことのように感じてしまうのだ。
 当たり障りのない雑談をしながら歩く。程なくして、カイはひときわ大きな門の前で足を止めた。
「………ここが、カイの家?」
「ああ」
 広く立派な内装が、中に入らずとも用意に想像できるその屋敷をアリアはただ、ぽかんと間の抜けた 顔で見上げた。
 二人いた門番の一人が、カイの姿を目に留めて近付いてくる。
「お帰りなさいませ、カイ様。そちらの方は?」
「前に住んでいた町で、家族ぐるみで親しくしていた幼馴染です」
 アリアが呆けている間にも、どんどん会話は進んでいく。わずかな問答の後、無事に身分を 証明されたアリアはカイに手招きされ、はっと我に返ると慌てて駆け寄った。門番の二人に会釈しながら、 屋敷の敷地内に足を踏み入れる。
 門をくぐった向こう側は、予想に違わず広かった。綺麗に整えられた前庭はちょっとした 公園のようだ。その中に薄桃色の花が咲き誇る一角を見つけて、アリアは懐かしい気持ちになった。 あれは、エレナが好きだった花だ。
「おばさん、元気かなぁ」
 ここはカイの家で、ここにはエレナが暮らしているのだということが、ようやくアリアの中で 現実味を帯びてきた。
 どきどきと、少し緊張しながら、カイに続いて屋敷に入る。
「…カイ?」
 鈴を転がしたような声がアリアの頭上から降ってきた。
「カイ!カイでしょう!?」
 驚きと喜びが混じり合って、半ば叫ぶようにしてカイの名前が呼ばれる。それに、階段を下りる 軽やかな足音が続いた。
 シンプルな形のドレスの裾を両手で持ちながら階段を駆け下りてくるその人は、紛れもなくカイの 母親、エレナだった。最後にエレナの姿を目にしたのが七年前。七年という歳月は決して 短いものではない。現に、久しぶりに再会したカイにアリアは気付くことができなかった。 しかしエレナは、驚くほどに変わっていなかった。年齢を感じさせない可愛らしい顔立ち。 ドレス姿で走るという、快活な振る舞いも相変わらずだ。
「あら?あなた…」
 勢いそのままにカイに駆け寄ろうとしたエレナが、途中でその後ろに立つアリアに気が付いて足を 止める。下ろしたスカートのしわを二、三度払って、今度は淑やかに、しかしかなりの早足で 近付いてきた。カイを通り越してアリアの正面まで来ると、右手を自分の頬に当て、考え込むように しながらしげしげと観察する。
「人違いだったらごめんなさいね。あなた、もしかして……アリアちゃん?」
 考えた末に発せられた問いかけの答えは、是だ。
「お久しぶりです。エレナおばさん」
 名乗る代わりに、にこりと笑って軽く頭を下げる。
「やっぱり!すぐにわかったわ。アリアちゃん、全然変わってないんだもの」
 抱きつかんばかりに喜色満面なエレナの発言に、覚えていていくれて嬉しいと思う反面、 少々複雑な心境になった。
 七年でカイは見違えるほど変わった。エレナは昔のままだが、大人と子供とでは話が違う。 アリアだって、あの頃より背も伸びたし、体つきや顔立ちだって女らしくなっているはずだ。
(そのはず、なんだけど…)
 アリアのなけなしの、女としての矜持が崩れていきそうだ。
「本当、相変わらず可愛いわ」
「あ、ありがとうございます…」
「でも、アリアちゃん。どうしてクィンベリルに?」
「あ、それは…」
 アリアが答えようとしたその時。
「巫子様?」
 また新しく、誰かの声が降ってきた。
 エレナが下りてきたのと同じ階段の上に、いつの間に現れたのか一人の壮年の男が立っている。 使用人とは明らかに空気の異なる、身なりのよいその男はアリアを見て軽く目を見張った。
「やはり、青竜の巫子様」
 男はアリアの元までやってくると、さっと敬礼をした。
 癖のある茶色の髪と、鳶色の穏やかな瞳。アリアのことを知っているようだが、いくら考えても 会った覚えがない。
「なぜ巫子様がここに?」
「巫子様って…アリアちゃんが?」
 アリアの今の素性のみを知っているのであろう男と、逆に今のアリアを知らないエレナとが、 説明を求めるようにそろってカイを見る。アリアもまた、カイを見上げた。
「………」
 三方向からの視線にさらされて、こっそりとカイがため息をついたのが見えた。






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