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 ガチャンと、カップがソーサーにぶつかる硬質な音が響く。
 自分の行為の結果として、思いがけず大きな音が出てしまったことにアリアは慌てた。
「アリア様?どうされましたか?」
「いや、あの…ごめんなさい、ちょっと勢いがよすぎたみたいです」
 竜の巫子であるアリアのために用意されたものはどれも高価な品物ばかりだ。勿論、今アリアが 手にしているカップも例外ではなく。それが有名な職人の手によるものだということくらいは、 ブランド物に疎いアリアですら知っている。
 とりあえず、カップとソーサーが共に無傷であることを確認し、アリアは詰めていた息を 吐き出した。
「お気分が優れませんか?」
「ううん、何でもないです」
 大丈夫、とシェラザードに首を振ろうとして、直前で思い直した。
 本当は何でもなくはない。ただ体調が悪いという訳ではなく、つい、苛々とした気持ちを外に 出してしまっただけだ。
「………ちょっと、嫌なことを思い出してしまって。つい八つ当たりを…」
 言いながら、発散したはずの苛々がまた心の中に溜まっていく。
 アリアが竜の巫子になって、五回目に迎える夕方の時間帯。それは即ち、巫子としての教育期間が 五日間終了したということであり、アスランから五日間、魔法を教わったということでもある。
 アリアが罪もない器物に八つ当たりしてしまうほどに不機嫌な理由は、すべて宮廷魔法使い筆頭、 アスラン・バロックワーズにあった。
 アリアに『お前が嫌いだ』と宣告をして以降、アスランの態度はあからさまなものだった。 元々わかりやすかったが、更に拍車がかかったと言っていい。
 この五日間、アリアはアスランから徹底的に馬鹿にされてきた。わからないことや、できないことに 遭遇するたびにアスランは馬鹿にしたように鼻で笑う。初めは自分の出来の悪さのせいだと 落ち込んでいたアリアだったが、段々とわかってきたことがある。
 アスランは、アリアを、見ていない。
 嫌いだという言葉も、馬鹿にした仕草も、すべてアリアを通り越して違うところに向けられている ように感じるのだ。
 それが、アリアは気に食わない。いっそ正々堂々とアリア自身を嫌ってくれればいいのに、これでは 挽回することもできない。
「……アスラン様と、何かありましたか?」
「っえ?」
 控えめな問いかけに不意を突かれて、思わず声が裏返る。
 目を剥くアリアに、シェラザードはやはり、という風に頷いた。
「アスラン様の訓練を終えた後のこの時間、いつも沈んだ様子でしたので」
「私、そんなにわかりやすかったですか?」
「いいえ。おそらく、他の皆は気が付いていないと思いますよ」
 シェラザードの返答にひとまず安心する。気のいい女官たちには、あまり心配をかけたくなかった。
 行儀悪くテーブルに頬杖をついて、アリアはシェラザードを見上げた。
「……特別に何か、トラブルがあった訳じゃないんですけど」
 ため息と共に話し出したアリアに、シェラザードは少し意外そうな顔をする。こうも簡単に、 アリアが悩みを吐露するとは思っていなかったのだろう。アリアもそう思う。おそらく、普段の アリアであれば大丈夫だと頑固に言い張っていたはずだ。しかし今回は若干、状況が違っていた。 アリアはアスランのことをほとんど知らない。しかしシェラザードならば、アリアの知らないアスランを 知っているのではないかと思ったのだ。
「私も、アスラン様と直接お話をしたことはあまりないのですが……」
 一通りアリアの愚痴を聞いて、シェラザードは考えるように眉を寄せた。
「確かに、率直な物言いをされる方ですが。進んで相手を傷つけることを言うようには 見えませんでした」
「率直な物言い、ね」
 とりあえず、あの口の悪さは元来のもののようだ。
「竜の巫子が嫌いとか?」
 王都クィンベリルに住んでいて、流石にそれはないだろうと思いつつも言ってみる。すると、 思いもよらない答えが返ってきた。
「アスラン様の母君は先代の竜の巫子様ですから、私にはわからない、何か特別な思いはあるのかも しれないですね」
「先代の、竜の巫子の?」
「ええ。もっとも、血のつながりはないそうですが…。…申し訳ありません。詳しくお話することが できず」
 せっかくアリア様が相談して下さったのに、と悔しそうに、残念そうに続ける。
「いいの、気にしないで。ありがとう」
 放っておいたら、そのまま跪いて謝罪しだしそうなシェラザードに笑いかける。
 何事にも真面目で完璧なシェラザードだったが、その行動は時として突飛だ。決して不愉快に 感じるものではないが、慣れるまでは些かどきどきする。ちなみにアリアは、この五日間で だいぶ慣れた。
(先代の竜の巫子の、息子…)
 シェラザードは謙遜していたが、とても重要な情報であるように思える。
(どうしてあの人は、私を見ようとしないんだろう…?)
 アスランの心中を好き勝手に憶測することすら、アリアにはできなかった。

「そういえば、アリア様」
 思案に沈んでいたアリアをシェラザードの、気を引こうとするような明るい声が引き戻す。
「明日はお休みの日ですよね。何か、ご予定はあるんですか?」
「あ……」
 言われて、初めて気が付いた。
 明日と明後日はアリアに与えられた、初めての休日だった。
「そっか、お休みなんだ」
 すっかり忘れていた。というよりも、それどころではなかったのだ。
「何も考えてなかった…」
 休日なのだから、本来はゆっくりと休んでいればいいのだろう。しかし一日中ごろごろとして時間を 使うのは、なんだかもったいないように感じてしまう。
 教会にいた頃は、休日などアリアにはあまり関係のないものだった。子供たちはいつだってお腹を 空かすし、食事をすれば食器は汚れる。日常的な家事が主な仕事であったから、丸々一日、自分の時間を 持てることなどなかったのだ。両親が健在だった子供の頃以来かもしれない。
「……そういえば」
 そこまで考えて、ふと気付く。
「最近、全然カイに会ってない」
 一度気が付くと、やけにそのことばかりが気にかかる。最後にカイに会ったのはいつだっただろうか。 契約の儀を行なう前に少しばかり言葉を交わして、それきりのような気がする。
「カイというのは……青竜騎士団の、カイ・ロクスウェル様ですか?」
 シェラザードの口からカイの名前を様付けで聞くと、別人のように聞こえる。
 それがなんだかおかしくて、くすくすと笑いをこぼしながら頷く。
「そう。カイは、私の幼馴染なんです」
「幼馴染、ですか」
「小さい頃はよく一緒に遊んだんですよ。いつも私の後ろをついてきて…」
「アリア様の後ろを…?」
「弟がいたら、あんな感じだったのかなって。すごく、仲がよかったんですよ」
「………」
 なぜかシェラザードが沈黙する。宙に浮いた目線が二、三度揺れる。
「………私の、見知っているカイ様とは、随分とイメージが違います…」
 アリアが語った、幼馴染としてのカイの姿を思い描こうとして失敗したらしい。深く息を 吐き出しながら、シェラザードは首を振った。
「…そんなにイメージ違うかな」
「ええ。想像できません」
 そこまで言われると逆に気になる。シェラザードが知る、青竜騎士団のカイとは一体どんな人物 なのだろうか。
 尋ねると、シェラザードは少し考えた後、一言で答えた。
「優秀な方ですね」
「…優秀な?」
「そう思います。正騎士になってすぐに、オルフ様とギルフォード様の供を任ぜられるくらいですから、 青竜騎士団内での評価も高いのでしょう」
「ふぅん……」
 今度はアリアが沈黙する番だった。カイが褒められるのは勿論、嬉しいし誇らしい。しかし、 幼馴染のカイと、優秀な騎士であるカイ・ロクスウェルという本来、同一人物であるはずの 二人の姿がどうしても一致しない。そしてアリアの知らないカイがいることを、また、それを シェラザードは知っているのだということを、ずるいと感じている自分がいることに、アリアは 気が付いていた。
 胸の奥が、もやもやとして気持ち悪い。
「………決めた」
「アリア様?」
 何をお決めになったのですか、と首を傾げるシェラザードを見上げて、アリアは宣言した。
「明日はカイに会いに行く。それで、幼馴染の溝を埋めてくる」
 よくよく考えてみるとカイと再会して以降、離れていた間のことについてあまり話をしていなかった。 士官学校に入って、青竜騎士団に選ばれて、正騎士になって。そんなアウトラインを聞いただけで、 なぜそうしたのか、何を頑張ってきたのか、アリアはまったくと言っていいほど知らない。 これは由々しき事態だった。
(朝一番でカイのところに行って、町に誘ってみようかな…。今度は遅くまでいられるし、その方が ゆっくり話せるかも)
 そう決めると、一転して気分がうきうきとしてくる。我ながら現金なとは思うが、楽しみに 感じてしまうのは仕方ない。
 ピクニックに行く前日の子供のようにあれやこれやと思いをめぐらせる内に、あっという間に 夜は更けていった。






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