たとえば初対面の人間にはじめましてと自己紹介しようとするときに、言うべきかどうか悩んでしまうこと、というのは
誰にだってあるだろう。もちろん俺も例外ではなく、あまり公にできないというか、したくないというか、しない方が
よさそうというか、とにかく、そういうことがいくつかあったりするわけで。
「前々から疑問に思ってたんですけど」
最近、俺たちの仲間になったばかりのねずイエローがふと言う。
「みんな、戦闘以外のときも変身したままですよね。仲間内でも正体は秘密にしなければならない…とかルールがあったり
するんですか?」
戦闘を終えて、勝利祝い兼お疲れ様の打ち上げの時間。毎回恒例となっているお茶の時間だ。
変身ではない変態だ、と司令官が突っ込むのを完全に無視して、イエローは首を傾げた。
「特にそういった決まりごとはないと思うけど…」
答えつつ、自分もよくわからないけれどとピンクが首をひねる。ハの字になった眉毛の下の、困ったような瞳に見つめられて、
なんだか落ち着かない気分で俺はがしがしと頭をかいた。
「いや、どうなんだろうな…。なぁ司令官?」
困られても、俺だって困る。
困った俺は、イエローに無視されて泣きそうになっていた司令官に向けてパスを放った。突然飛んできたボールをそれでも
うまくキャッチして、司令官がおほんと咳払いをしてえへんと胸を張る。
「まぁ正式なルールではないが、暗黙の了解というやつだな。匿名性があった方が格好いいだろう。ヒーローとはそういうものだ。
孤高な存在なのだよ。これこそロマンだ、ロマン!」
「………」
「………」
「そうか、ロマンか………」
さすが、司令官は言うことが違う。感動した。孤高のヒーロー、なんて素晴らしい響きなのだろう。
俺がうっとりと司令官を見つめた、そのとき。司令官の向こう側、少し離れた席に一人座っていたねずブルーが、
ふんと鼻で笑ったのが見えた。
「何がおかしい」
反射的に立ち上がる。テーブルの上に身を乗り出すようにして、ブルーをにらみつけた。
「いや、別に」
「別にじゃねえ。何がおかしいかって訊いてるんだ。人の方見てにやにや笑いやがって」
「思い出し笑いだ。気にしないでくれ」
「んだとこら…」
人を小馬鹿にするような態度に、むかついた。ブルーに詰め寄ろうとしたところで、遮るように冷静な声が割って入ってくる。
「レッド」
「司令官…」
「落ち着きたまえ。ピンクとイエローが驚いているぞ」
言われて、はっとした。
ついさっきまで和やかにお茶を飲んでいた二人がぽかんとして俺を見ている。
「わ、悪い。驚かせたな」
慌てて怒気をおさめる。ゆるんだ空気に、ピンクとイエローがほっと息を吐いた。
「はぁ…びっくりしたわ」
「すごい、堂に入ってましたね。もしかしてレッドって元ヤンだったりするんですか?」
冗談めかして言うイエローに曖昧に笑う。イエローもそれ以上追及しようとはせず、あははと笑って終了した。
「…ああ、もうこんな時間か」
ふと時計に目をやると、いつのまにか結構な時間になっているのに気がついた。
「俺はそろそろ戻るよ。それじゃあ司令官、また何かあったら遠慮なく呼び出してくれ」
「ご苦労だったな、ねずレッド。次もよろしく頼むぞ」
部屋を出る前の一瞬、ブルーと目が合う。すかした顔。俺たちとは常に一線引いているような。ブルーの顔を見ていると、
なんだか無性に苛々してくる。
「………」
唇の両端をくいと持ち上げて笑みの形を作り、ひらひらと手を振るブルー。
それに無言で一瞥をくれて、俺はその場を後にした。
ある晴れた日、日本が宇宙人による侵略の危機にさらされているのだと言われて、それと戦う戦士になった。
科学技術の粋を集めた装置を用いてねずレッドとなり、邪悪な野望を阻止するべく敵と戦う。言うなれば、
俺は正義のヒーローということだ。まず一つ、これが俺にとっておいそれと他人に言えないプロフィールに当たる。
そして、二つ目が。
「お疲れ様です、若頭」
「おう」
威勢よくお辞儀した角刈り頭に、鷹揚に手を振って返す。磨き上げられた広い廊下。肩で風を切って歩く俺の前に、
男たちが会釈と共に道を譲っていく。
何代にもわたってこの一帯を取り仕切っている由緒正しき極道、五百旗頭組。その組長の長男として生まれたのがこの俺だ。
堅気に迷惑をかけないことを信条に、極道の中でも穏健派で知られる五百旗頭組だが、それでもやはり一般の人たちからすれば
十分に怖い集団だろう。
そんな極道の若頭が、正義のヒーロー。
司令官は正義のために戦いたいと思う心の前には生まれや身分など関係ないと言ってくれたが、ピンクやイエローは
きっと怖がるだろう。
だから、ルールなどなくとも仲間たちに俺の正体は秘密だ。
それに司令官の言う通り、孤高のヒーローの方が、ロマンがあって格好いい。
「お前ら、下がっていいぞ」
振り返らずに言い放ち、自分の部屋に入って後ろ手にふすまを閉める。立ったまま、知らず漏れるため息と、つぶやき。
「疲れた…」
自分の組の人間をまとめたり、他の組と交流したり。若頭の仕事は結構忙しい。極道の家に生まれたことにも、
その若頭として毎日あちこち駆けずり回ることにも不満はない。いずれ親父の後を継いで五百旗頭組の組長になることも含めて、
すべて俺なりに納得して、望んでやっていることだ。
しかし、それでも、どうしても。
「疲れた………」
下の者に弱いところは見せられない。そうやって気を張っていることで、余計に疲れる。なんとも嫌な負の連鎖だ。
こんなときは、あれに限る。
廊下に面したこの部屋と、その奥の部屋と。二間続きになっている自室の奥の方の部屋に入る。作りつけのタンスの一番下の
引き出しを開けて、中の洋服をかき分けると、すぐに指先が硬いものに触れた。ずらりと並ぶDVDのパッケージ。その一つ一つを指で
撫でながら、どれにするか迷う。右端から左端まで行って帰って一往復。もう一度往路を行く、その途中で一本のDVDを取り出した。
いそいそとテレビの前に移動して、DVDをプレイヤーにセットする。外に音漏れしないよう、音量は小さめに。そして俺はテレビの
画面と向かい合い、畳の上に胡坐をかいて座りこむと、DVDの再生ボタンを押した。
「格好いいなぁ………」
世界征服をもくろむ悪の組織を打倒していく正義の戦士たち。その華麗さ、勇敢さをうっとりと眺める。
「格好いいぜ…」
何度見ても格好いい。
そう、俺はこの、いわゆる特撮ヒーローものと呼ばれるものが大好きなのだ。
小さな子供の頃から好きだった。少年になり、青年になってもまだ好きだった。大人になったら自然と興味をなくすんだろうと
思っていたが、実際にはまったくそんな気配はなく。結局、今でも好きなまま。極道一家の若頭が特撮ヒーローものにはまっている
だなんて、あまり表沙汰にしたくない事実だというのは俺にだってわかる。わかるが、変われなかった。だからこうしてこそこそと、
隠れてDVD鑑賞をしているのだ。
お気に入りのDVDの、ラストのクレジットまでしっかりと見届けてから、余韻に浸りつつテレビの電源をオフにする。
正義のヒーローで、極道で、特撮ヒーロー好き。
以上が、俺の非公開プロフィールのすべてである。
「お疲れ様、兄さん」
「……っ!?」
不意に後ろから声をかけられて、飛び上がりそうになる自分を抑えながら、俺は必死に平静を装って振り返った。
いつのまに入ってきたのか、ぴたりと閉ざしていたはずのふすまを開けて立っている男が一人。
「れ、黎…」
「どうしたんだ、兄さん?そんなに慌てて」
わざとらしい笑顔でわざとらしく訊いてくる。
親父に似て厳つい強面の俺と違い、おふくろ似の綺麗に整った顔立ち。最低限の義務教育のみでこの道に入った俺とは違って、
一流大学に入学して現在は経済学を学んでいるという。あれもこれも、とにかく俺とは正反対な道を歩いているこの男は、
これでも一応、俺の実の弟だったりする。
「俺相手にいまさら隠し事なんてしないでいいだろう。兄さんのことはよく知ってる」
親しげな顔をして、ちくりと弱みを突いてくる。
この出来のいい弟が俺は苦手だった。ずっと昔、それこそ無邪気に特撮ヒーローに歓声を上げていた頃は、普通に仲のいい兄弟
だったような気がする。いつから、何のきっかけで、弟相手に苦手意識を抱くようになったのかはわからない。
「たまには俺も誘ってくれればいいのに」
「…何の話だ?」
わかっていて、しらばっくれる。
「それよりも、黎。勝手に人の部屋に入ってくるんじゃない」
「勝手じゃない。声はかけた」
「本当か?全然聞こえなかったぞ」
「俺が部屋に入ってきたのにも気付かなかったくらいなんだ。無断で勝手に入ったというより、声をかけられたけど
気が付かなかった、っていう方が無理のない説明なんじゃないか?」
「………」
情けないが、反論できない。
「それだけ集中していたんだろ」
何に、と。黎は言わない。明言はせず、お互いだけが知っている内緒話のように会話する。そして実際、さっき黎が口にした、
俺のことを『よく知ってる』という台詞は伊達ではないのだ。俺にとって都合の悪いことも含めて、黎は俺のことを本当に
『よく知ってる』。これも、おそらく俺が黎を苦手な理由の一つなのだろう。
「………それで、何の用だ?」
この弟に口で勝つのは難しい。
あきらめて俺は、話を変えることにした。
「別に。用はない」
ひょいと肩をすくめる黎。
「用もないのに来たのか」
「用がないと来たらいけないのか?」
逆に問い返されてしまった。
「用がないと、兄に会いに来たらいけないと?お疲れと一言、兄に挨拶しようと思ったことがそんなに罪なのか?
弟相手になんて冷たい」
俺が口をはさむ暇もなくまくしたててくる。『兄』、『弟』という単語がやけに強調されて聞こえるのは気のせいか。
「組長といえば組員たちを守る家長のようなものだ。兄さんは将来、後を継いで組長になるんだろう?未来の組長が、
実は家族に対する情の欠片もない男だった…なんて知ったら、皆はどう思うだろうか」
「………」
「悲しむか、怒るか、失望するか…。兄さんはどう思う?」
頭が痛くなってきた。思わず渋面になって、こめかみを揉む。
「わかった。わかったから、もういい。挨拶するのが目的ならもう用は済んだな。ならお前も、自分の部屋に戻れ」
また何か言い返されるかとも思ったが、予想に反してそうはならなかった。ただ一度、ふっと息を吐いて見下すように黎が笑う。
「仕方ない。今日のところはこれで退散するとしよう」
くいと唇が弧を描く。それじゃあと手を振りながら、黎は俺の部屋から出ていった。
その背中を見送って、見えなくなったところでようやく、深い深いため息をつく。
「………一体なんなんだ、あいつは」
黎のことが心底から理解できない。
顔を合わせれば、あのうすら笑いで皮肉を言う。俺が黎に苦手意識を抱いているのと同じように、おそらく黎は俺のことが
嫌いなのだろう。そのくせ、今のようにわざわざ俺に会いに来るのだ。嫌いならば、会わなければいいのに。同じ家に住んでいる以上
まったく顔を合わせないのは難しいかもしれないが、それでもなるべく会わないように避けることは可能だろう。それとも、
文句の一つも言わなければ気が済まないほど俺が嫌いなのだろうか。
「なんでこうなっちまったんだろうな…」
本当に、わからない。
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