「あれ、ギルも来たの?」
「何だよ顔合わせるなり。つぅか、俺『も』ってなんだ。『も』って」
 ラーイと久しぶりに言葉を交わした、同日。今度はギルフォードがアリアの部屋を訪れた。
「ごめん。言い方が悪かった」
 思えば確かに、我ながらあんまりな言い様に素直に謝る。それからアリアはラーイとのことを 説明した。
「ラーイさんも最近ずっと忙しかったみたいで。そしたら今度は、やっぱり忙しそうにしてたギルが 来てくれたから。すごい偶然だなって」
 来てくれてありがとうと付け足せば、ギルフォードはなぜか一瞬視線をさまよわせた後、 鷹揚な仕草で片手をあげた。どういたしまして、とでも言っているのだろうか。
 リィラの先導で長椅子に座ると、ギルフォードは自分の両膝の上に頬杖をついた。
「セイグラムに聞いた。俺に用事だって?悪かったな、来るのが遅くなって」
「全然悪くないよ。忙しかったんでしょ?それなのに、私ばっかり優先してもらう訳にはいかないし。 もう大丈夫なの?」
 言いながら、この質問をするのは今日二度目だな、なんてことを考える。
 そして返ってきた答えも今日二度目のものだった。
「ああ。一応は落ち着いた」
「そっか。よかった」
 似たようなやりとりの繰り返しがおかしくて、笑う。
 アリアはギルフォードの向かいに座ると、エディードからの手紙を差し出した。
「エディード様から、ギルと、オルフと、カイによろしくって」
 何度も読み返したせいで、手紙は随分へたっていた。受け取ったギルフォードが丁寧な手つきで 紙を開く。
「…良い人だな、あの人」
 しばし無言で紙面に目を走らせて。ギルフォードがぽつりとつぶやく。
「なんというか、にじみ出てる」
 しみじみと言ったギルフォードに、アリアは嬉しくなった。
「うん、そうなの。すごく良い人。優しくて、いつだって私たちのこと考えてくれてるのよ」
「返事は?もう出したか?」
「ううん。それはまだ…」
「よかった。それじゃあ、もう少しだけ待っててくれ」
 言われた意図がわからず、アリアはきょとんとしてギルフォードを見た。
「俺も手紙を書く」
「ギルが?エディード様に?」
 なぜ、と顔に出ていたのだろう。
 ギルフォードは微かに眉を寄せると、じとっとアリアをねめつけた。
「…なんか今日はやけに俺に冷たくないか?」
 あまりにも想定外な言いがかり。
 驚いてぽかんとして、それからアリアは、間に置かれたテーブル越しにギルフォードに 詰め寄った。
「何それ。どうしてそうなるのよ」
「さっきといい今といい、発言が冷たい」
「さっきのは…だから、ごめんって…」
 出会いがしらの『も』発言をまだ根に持っているのだろうか。
「………」
「………」
 根に、持っているのかもしれない。
 さすがにあれはまずかったと自分でも思ってしまうだけに、いまいち強く出ることができない。
「え、と…あの…」
 何と言ったらいいものか。そんなことを考えていたところに、すっとギルフォードの手が 伸びてきて、思わずアリアはびくりとしてしまう。そんなアリアの、頭にぽふんとギルフォードの 大きな手が置かれた。くしゃくしゃっと髪の毛をかき回される。
「冗談だ」
「なっ…!?」
 二の句が継げないアリアと対照的に、ギルフォードは打って変わった上機嫌な態度で笑っている。
 そのあまりに楽しそうな笑顔に毒気を抜かれた。頭に触れるギルフォードの手を 軽く叩いてやることでささやかな抗議をして、聞こえるようにため息を一つ。
「…これで、さっきの私とおあいこだからね」
 ああそうしてくれ、などと応じながらアリアの頭を最後に一度ぽんと叩いて、ギルフォードの手が 離れていく。なんとなくその手を目で追ってしまってから、慌ててアリアはそこから目をそらした。
「と、いう訳で。本題に戻るとだな」
「本題…?」
「手紙だ、手紙」
 そうだった。
 エディードからの手紙を見せて、それにギルフォードが返事を書くと言って。そこで話が 脱線したのだ。
「青竜騎士団団長として、この国の第三王子として。あとは、俺個人としてもかな。一度、 きちんと礼を言おうと思ってたんだ」
 ますますわからなくなる。なぜ、ギルフォードがエディードに礼を言う必要があるのか。
「今のアリアがあるのは、あの人のおかげだろう?アリアをいい女に育ててくれて ありがとうございます、って言っとかないとな」
「………また冗談言ってる」
「なんだ。ばれたか」
「ばればれだよ。そういう台詞は、もっと真面目な顔して言わないと」
「そうだな。その通りだ」
 ギルフォードは笑っていたけれど、その顔はなんだか少し困っているようにも見えた。


 ふと目が覚めた。
 肌に感じる空気はしんと静かで、今がまだ人々が眠りについている時間なのだろうことがわかる。
 もう一度眠ろうとアリアは目を閉じた。しかしいっこうに寝付くことができない。 何度目かの寝返りをうったところで、観念して体を起こす。
 なんだか落ち着かない。心がざわざわとして、気が昂っている感じ。
 アリアは寝間着代わりのシンプルなワンピースの上から薄手のショールを巻くと、寝室を出た。 明かりを落とした暗い室内。慣れを頼りに椅子やテーブルの間を通り抜け、そっと部屋の扉を 押し開ける。
「巫子様、いかがされましたか?」
「なんだか眠れなくて…。少し、散歩をしようかと」
 オルフの部屋と同様、アリアの部屋も青竜騎士団の人間によって警護されている。今は、アリアも 何度か顔を合わせたことのある、若い騎士二人が立っていた。
 部屋の主人の手によって内側から開かれた扉に驚いた様子の騎士たちだったが、アリアの返答に その表情が困惑に変わる。
「今から…ですか?」
「すぐに戻りますから。………駄目、ですか?」
「…わかりました。その代わり、私もお供致します」
 正直なことを言ってしまえば、本当は一人の方がいい。けれど、この場面でそれを言うことが 我儘であるとわかるくらいには、アリアは自分の立場を理解できるようになっていた。日中人通りの 多いときならともかく、この時間では他に歩いている人間などほとんどいないだろう。 警備中の騎士たちか、それこそ不審者くらいだ。
 気を遣ってくれているのだろう。アリアの少し離れた後ろを、あまり音をさせずに歩く騎士に 心の中で感謝する。
 静まりかえった廊下。窓からのぞく外の景色は、夜の闇は彼方の空にわずかに色を残すのみで、 その後を引き継ぐように淡い青色が中空に広がっている。夜中より早朝に近い、そんな空だ。
 部屋の最寄りの出入り口から外に出るのでなく、あえて回り道をしたのは気まぐれだった。 なんとなく、いつもと違う道を歩きたかった。黙々と石畳の上を歩く。途中で、ふと道を外れた。 低木に混ざって背の高い木々が広がるように枝葉を伸ばしている。土を踏み、時折地面に落ちた葉を 踏む、自分の足音しか聞こえない静謐さ。朝露に湿った緑のにおいが清々しい。一瞬、強く吹いた風に 混じって名前を呼ばれたような気がしてアリアは振り向いた。しかしそこには誰の姿もなく、 気のせいかと首を傾げつつ視線を戻す。
「………っ!?」
 ちょうど、前に向いたそのとき。アリアの腕を誰かがつかんだ。
 腕をつかまれたこと自体もそうだが、気付かぬうちにそこまで人の接近を許していたことに驚く。 弾かれるように振り返って、アリアは再び驚いた。
「あなたは…」
 思わず見惚れてしまうくらい綺麗なプラチナブロンド。黒色と思った深い色の瞳は、間近に 見上げてみれば深緑であることがわかる。呆けたようにただ目の前のその人を見つめることしか できないアリアに顔を寄せて。
「………ここから西に少し行ったところに、大きなギンケイの気がある。日が傾く頃、 そこで待ってる」
「え…あ、え?」
 そして、アリアの返事も待たずに男はつかんでいた腕を放すとさっと身を翻した。 あっと言う間もなく、その後ろ姿が見えなくなる。
「待ってる、って…」
 夢か幻でも見たのかと思うほどに突然で、瞬く間で、一方的で。けれどつかまれた腕に 残る力強さが、確かに男はそこにいたのだと証明している。
 どうしてそんなことを言うんですか、とか、そもそもあなたは誰なんですか、とか。 問いかけ損ねた言葉がぐるぐる回って、茫然自失としてしまう。
「………巫子様!」
「はっ、はい!」
 またも呼ばれ、またも振り返る。
 突然声をかけられて走る心臓をなだめながら見やったそこに、護衛として付いてきてくれていた はずの騎士の姿を見つけて、アリアははっとした。
「もしかして…私、はぐれてました?」
 応えはないがおそらくそうなのだろう。その顔は、なんとなくさっきよりも疲れて見える。
「そろそろ、お部屋に戻りませんと。皆も起き始める頃かと思います」
「そ、そうですね。すみませんでした。ありがとうございます、付いてきてくれて」
 騎士に駆け寄りぺこりと頭を下げる。
 後ろ髪を引かれるように辺りを見回して、それから、アリアは来た道を戻っていった。






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