ある日突然、何の前触れもなく、急に変身が解けなくなった。
 科学技術を結集したウォッチの力で増強された脚力でもって、全力で廊下を疾走する。ついさっきまでメンバー全員で勝利の 打ち上げをしていた部屋に飛び込んだが、そこには既にねずピンクの姿しかなかった。
「イエロー…どうしたの?帰ったんじゃあ…?」
「山田太郎知りませんか!?」
 見るからにびっくり、という表情のピンクにずいと迫る。
 真正面で至近距離な私の顔をじっと見つめて、ピンクは頬に手をやり小首を傾げて考えるような素振りをしながら、答える。
「確か…司令室に戻るって言ってたけれど」
「司令室ですね。ありがとうございます!」
 礼を述べて踵を返し、再び走り出そうとした私をピンクが引き止める。さっと服の背中を捕まえられて、既に二、三歩踏み出していた 私は首が締まりそうになった。
「あっ、ごめんなさい…!」
 慌てたようにぱっと手を放す。それから、ピンクは立ち上がると、今後は私の袖の辺りをきゅっと握った。
「私も一緒に行くわ」
「え、でもピンク、お仕事忙しいんじゃあ…」
「大丈夫。ちょうど山は越したところだから。それよりも、何かあったんでしょう?良ければ、歩きながら聞かせて?」
 聖母のような微笑み。
「………っ。ピンク大好きです………!」
 思わず、私はピンクにぎゅうっと抱きついていた。



 そんな訳でピンクと二人、司令室を急襲する。
「山田太郎っ!」
 戦隊モノの司令室というより、お屋敷の書斎といった感じの内装。アンティークな雰囲気の椅子に座り、机に向かっていた 山田太郎は元の姿に戻れなくなったという私の訴えに、腕を組んでうむぅ、と唸った。
「簡単に故障するようなつくりにはなっていないはずなのだが。何か、心当たりはないかね?どこかにぶつけたりとか」
「あ…」
 そういえば帰り際、廊下の曲がり角で目測を誤って、ウォッチを装着した手を思い切り壁にぶつけてしまった。ウォッチが 間に入ったおかげで痛い思いをしなくてラッキー、と思っていたが、まさかこんなところで足をすくわれるとは。
「原因はそれだろうな。よっぽどものすごい勢いだったのか、打ち所が悪かったのか、それともその両方か」
 腕を組んだ体勢のまま、うんうんと山田太郎が頷く。
「なるほどわかった。では故障の原因が判明したところで、変態ウォッチを渡したまえ。すぐに修理させよう」
 差し出された山田太郎の手のひらに、某ネズミの金時計を乗せる。受け取ったそれを、山田太郎はさっとビキニの中にしまいこんだ。
「ちょっ…!」
 抗議しようとした声が最後まで形になるのを待たずに、山田太郎はつかつかといくつもある書棚の一つに歩み寄ると、 そこから本を三冊抜き取った。ガコン、と何かのスイッチが入るような音がする。そして。
「君たちはここで待っているといい。なに、さほど時間はかからない」
 低い音を響かせて、書棚が横にスライドする。書棚と書棚の間。そこにぽっかりと現れた穴に向かって、山田太郎は躊躇なく 身を躍らせた。突っ込み一つを入れる隙もなく、あっという間に司令室から消え失せる。
「………これ、どこにつながってるんですかね?」
「うーん…追いかけてみる?」
「いや、それはやめましょう」
 間髪入れず却下する。
 流石に、こんな突っ込みどころ満載な穴にダイブする勇気は私にはない。そうこうするうちに、ズズズと書棚が元の位置へと動き出す。 そしてあっという間に穴のあった場所を覆い隠してしまった。
「…そ、そういえば」
 気を取り直すように、わざとらしく大きな声を上げる。
「司令室って、中に入るの二回目です」
 ねずイエローの任を正式に受けたときに訪れて、それ以来は完全にご無沙汰だ。戦闘があるときはいつも現地集合だし、 打ち上げなど、みんなで集まるときは別の広い客室のような部屋を使っている。だから、そもそも司令室を訪れる理由がなかった。
「ここで待ってろって言ってましたよね」
 言いながら、私はぐるりと部屋を観察してみた。
 あの穴の他にも、同じような仕掛けがあったりするんだろうか。ふと、さっきまで山田太郎が向かっていた机、その上に本が 一冊置き去りになっているのが目に入る。好奇心に駆られた私は、警戒しつつもそれを手に取った。
 何の題名も刻まれていない黒い革張りの表紙。めくると、そこには。

『ある惑星においては、かつて、男がするものと言われていたという日記というものを私もしてみようと思う』

「…土佐日記…?」
 ついこの前の試験範囲だった。かの冒頭部分を思い出す。
「…じゃなくてこれ、もしかして山田太郎の日記!?」
 俄然興味が湧いてきた。
 勢い込んでページをめくろうとした私の腕を、いつの間にかすぐそばにいたピンクがつかむ。真剣な眼差し。怒られる、と思った。 しかし。
「………私も、読んでみたいわ」
 恥ずかしそうに頬を染めて。わずかに眉を寄せて、上目遣いをするピンクはものすごく可愛かった。



『今日も実に多忙な一日であった。しかし、これで我らがねず公星の平和が守れるのならば安いものだ』

「…あれ?そういえば私、どうしてこんな文字が読めるんだろう」
 普通に内容が理解できるので最初は気付かなかったのだが、よくよく見てみると日記に記されているのは見慣れた平仮名や 漢字ではなく、英語ですらなく、不可解な記号の羅列だった。おそらく、ねず公星で使われている文字なのだろう。
「変態しているときは、ウォッチの力でねず公星の言葉が自動で翻訳されるって聞いたわ。話し言葉だけだと思ってたけれど、 文字もわかるようになるみたいね」
 益々もってすごい技術力だ。人は見かけによらない、とは正にこのことなんじゃないだろうか。
 ともかく、素朴な疑問が解決できた私は、日記の先を読み進めることにした。

『街中で、いとけない少女が一人でいるのを発見した。どうやら迷子らしい。私の姿を見た途端に泣き出した。それまで気丈に 涙を堪えていた少女が…。私の制服姿に、国家公安警察エリートであると気付き、安心したのだろう』

「いや、普通に怯えて泣いてたんじゃ…」
 思わず日記を相手に突っ込んでしまう。

『この私の目の前で、堂々とひったくりが行われるとはなんたることか。既に奴は遥か遠くまで逃亡していたが、私はあきらめなかった。 エリートの執念でどこまでも追跡し、そしてとうとう、不届きな猫めを捕縛することに成功した。奴がくわえて逃げようとしたサンマも 無事に回収することができた』

「…お魚くわえたどら猫?」
 ピンクが首を傾げる。
 なんだか、どこかで聞いたようなシチュエーションだ。

『ミック・E・モーセ率いるマフィアたちによる、被害情報が届いた』

 知った名前の登場に、少し緊張する。
 マフィアによる被害の情報。
 その物騒な響きに読むのをやめた方がいいだろうかとも思ったが、意を決して、私はその先の紙面へと視線を走らせた。

『現場に急行した私の前に現れたのは、見るも無残な光景だった。真っ白な、建物の外壁を染め上げる紅。 つんと鼻を突く嫌なにおい』

 知らず、ごくりとのどが鳴る。

『白いキャンバスに赤色の塗料で、大きく描かれた、“ミック・E・モーセ夜露死苦”の文字。このにおいからして、 非常に落としにくい塗料が使われていることは間違いない。なんと非常な仕打ちであることか』

「………」
「………」
 つまり、落書きか。
 マフィアが落書き。しかも“夜露死苦”って、そんな文化が異星にもあったとは驚きだ。
 しかし、国家公安警察エリートがしたためた事件簿の内容が迷子に、お魚くわえたどら猫に、落書きとは。
「なんて平和な…」
 それでいいのか、と問いただしたくなってくる。
「でも…だからこそ私たち、なのよね」
「………?」
 ピンクの言った意味がわからなくて、問いかけるようにピンクを見る。
 頬に手をやり考えるポーズで、ピンクはぽつりぽつりと答えた。
「そういう、平和な星だから、侵略されている私たちも平和でいられる。もし乱暴な手段に訴えてくるような人たちだったら、 今頃は大変なことになっていただろうし…戦えって言われても、私、怖くてできなかったかもしれないわ。だから、私たちが 今こうして一緒に戦っていられるのは、ねず公星が平和な星だからなのかなって思うの」
 言われて、私も考えてみた。
 誘拐され、脅迫されて、ねずイエローになったが。もしマイキー・モーセとの戦闘が血で血を洗うような命懸けのものだったら、 果たして今まで戦い続けられただろうか。
「…そうですね」
 多分、無理だった。
 少なくとも、こんな風に山田太郎の日記をこっそり読んで突っ込みを入れることができるような、ある意味平穏な心持ちでは いられなかっただろう。
「私も、そう思います」
 異星人と戦うなんていう、小説よりも奇なこの現実の登場人物が、山田太郎たちでよかった。珍しく、素直に山田太郎に 感謝したい気分になる。
「やあっ、待たせたなイエロー!」
 突然、叫び声と共に山田太郎が降ってきた。何かの例えなんかではなく、文字通り、本当に、上の方から降ってきた。見上げると、 天井の一部に四角く穴が開いている。私が見つめる中、するすると音もなく天井板が動き、元の通りに穴をふさいだ。
 十点満点のポーズで着地を決めた山田太郎は何事もなかったように私に向き直ると、ビキニからウォッチを取り出した。 腰に手を当て胸を張り、堂々と、私に向かって差し出す。
「しっかりと直しておいた。これでもう大丈夫だ」
「………」
 やっぱり、感謝なんてする必要はなかったかもしれない。山田太郎の奇行を改めて目の当たりに見て、思う。なんだか感謝して 損した気分だ。
「ど、どうも…」
 受け取る一瞬、ためらう。ついさっきまで山田太郎のビキニの中に収納されていたのだ。ぬくもりとか、湿り気を帯びていたりしたら 嫌過ぎる。
 しかしいつまでも受け取り拒否している訳にもいかない。そう考えて、私はウォッチに手を伸ばした。ゴミを拾い上げるような 手つきになってしまったことは勘弁して欲しいところだ。
 そんな私の心配をよそに、ウォッチはひんやりと金属らしい冷たさを帯びていた。もしかすると、山田太郎のビキニは四次元空間か 何かにつながっているのかもしれない。そう考えれば、戦闘の度に人数分のひのきの棒と大量のライフポイントがあのビキニの中から 出現する謎にも説明がつく。
「…おや?」
 ふと、山田太郎が目を止める。その視線の先には、机の上、私たちが盗み読みしていたときのままページを開かれ置きっぱなしの、 黒革の日記帳が。まずい、と息をのむ私の目の前で、日記を手に取って。
「いかんいかん。置いたままにしてしまったか」
 ふ、とやけに男前に笑う。
「あの…ごめんなさい」
「ん?どうしたのだピンク」
「その、日記を…」
「…ああ、もしかして、読んだのかね?」
 伏し目がちにピンクが頷く。こうなってしまったら、私だけしらを切る訳にはいかない。どのみち言い逃れのしようもないだろう。 観念して、ピンクの隣に並ぶ。
 何を言われるだろう。流石に怒られるだろうかと、後ろめたさもあってビクビクしてしまう。
「これは、まだ私が駆け出しの新米だった頃から書き続けている日記でな。時折読み返しているのだ。あの頃の熱意や、志や、 そういうものを思い出して、初心に帰ることができる」
 予想に反して、山田太郎が私たちを咎める言葉を発することはなかった。
「…怒らないの?」
「これ見よがしに置いていった私も悪い。それに別段、機密情報が書かれている訳でもないのだしな。もっとも、少しばかり 羞恥心は覚えるが」
 どうしよう。
 今、少しだけ山田太郎が格好良く見えてしまった。
 動揺のあまり、ふらりとバランスを崩した体を支えようと、咄嗟に机に手をつく。
「…えっ?」
 机に触れた手が、何かを押した。ちょうど体重をかけた部分がへこむ。
 嫌な予感。
「っきゃあぁぁぁ…!」
 足元の床が、ぱくりと割れた。浮遊感は一瞬で。あとはひたすら、すべり台をすべっていく。長いような短いような時間、 すべり落ちて。それから私は勢いよく空中に投げ出された。ばふん、とちょうどよく設置されていたふかふかのマットの上に 尻から着地する。
「………なんなのよこれ………」
 状況からして、落とし穴などトラップの類ではなく山田太郎が使ったような移動経路の一つなんだろうと予想はできたが、 つい愚痴ってしまう。
 マットのおかげで怪我はないが、精神的な被害は甚大だった。
「なんで私がこんな目に…」
 やっぱり、山田太郎に感謝なんてしてやるものか。
 格好良いなんて思ったのも、大いなる気のせいだ。
 ショックにふるふると震えながら、誰もいない一人きりの中、私は思い切り叫んだ。
「山田太郎の………変態っ!」






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