アリアと二人、こうして実家を訪れるのは何度目だろうとカイは思う。
 初めてアリアと共にこの道を歩いたのがもう随分と昔のことに思える。季節は巡り、庭はすっかりその装いを変えていた。 咲き誇っていた薄桃色の花の姿も今はもうない。
「お帰りなさいませ、カイ様。巫子様も、ようこそいらっしゃいました」
 二人を出迎える使用人の顔は、どれもみな一様ににこやかに見える。なんだか嬉しそう、と言えばいいのだろうか。 年若いメイドだけでなく、普段、表情をあまり表に出さないロマンスグレイの使用人頭までもが微笑みを浮かべているのだから、 これはもう一大事と言って過言ではないだろう。
「エレナ様はテラスにいらっしゃいます。今日はレニ様もご一緒ですよ」
 案内に立つ使用人の後ろについてテラスに向かう。道中いくつもの微笑ましいものを見つめるような視線にさらされて、 カイは思わずその場から走り去りたい衝動に駆られた。アリアが居心地の悪い思いをしているんじゃないかと隣に視線を向けると、 逆にどうしたの、と問いかけるような眼差しを返された。自分の懸念が杞憂であると知って、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。
「アリアちゃん!いらっしゃい、よく来てくれたわね」
 テラスに着くと、歓声を上げながらエレナが駆け寄って来た。ぎゅうっとアリアの両手を握り、うふふと笑う。 その向こうでホーキンスが椅子から立ち上がり、アリアに向けて礼をとるのが見えた。そして、カイに向き直る。 そのまなじりが心なしか柔らかい。
「さ、座って頂戴。アリアちゃんのために張り切ってケーキを焼いてみたの。一緒にお茶にしましょう。 今日はゆっくりしていけるの?」
「アリアは忙しいんだ。母さんにばかり付き合ってはいられないさ」
 息継ぎもなくしゃべるソプラノを止めるべく口を挟むと、エレナは今度はカイを相手にまくしたて始める。
「あら、どうしてこの子はそんな冷たいことを言うのかしら。私だって、アリアちゃんといっぱいお話ししたいのに」
「だから、アリアは忙しいんだって…。せっかくの休日なのに一日母さんの相手をしていたら、アリアが休まる時間がないだろ」
 そこで、くすりとアリアが笑った。カイとエレナが言い合うのを見て、それはそれは楽しそうに。
「アリア?」
「カイもエレナおばさんも、楽しそう」
「…は?」
 思いもよらない言葉に、間抜けな声をあげてしまう。
「ありがとね、カイ。心配してくれて。でも大丈夫。エレナおばさんと一緒にお茶するの、私もすごく楽しいから」
 充実した休日だわ、とカイを見上げたアリアの笑顔に世辞や追従の色はなく。
 ふ、と一息。やはりアリアには敵わない、と再認識する。
 そしてカイは口元に微かな笑みを浮かべると、エレナにエスコートされるアリアの後を追いかけた。



「ごめんな、アリア」
「どうして謝るの?」
 帰り道。馬車を出すと言うエレナに歩いて帰るからと別れを告げて、人気のないモザイクの石畳を二人並んで歩く。
「みんな騒がしくて…。疲れたんじゃないか?」
 初めは青竜の巫子として、カイの家にとってアリアは賓客の扱いだった。好奇の視線を抑えきれない者もいないではなかったが、 それはごく一部のことで。しかし、段々とアリアに対する目は変化していき、いつしか今のような、一線を置きつつも限りなく近しく、 親しげなものとなっていた。
「………」
 そこまで考えて、カイは沈黙した。
 この事態。その原因は明確だ。
 ロクスウェル家の者たちのアリアへの態度が変わったのは、アリアの立場が少しばかり変わったからに他ならない。すなわち、 青竜の巫子から、家の主人の孫息子の恋人でもある存在へと。
 はっきりそれとして紹介をした訳でもないのに、気が付いたらエレナをはじめ、屋敷のすべての人間、果てはホーキンスにまで カイとアリアの関係は筒抜けになっていた。
 カイとしては、恥ずかしくて仕方ない。
「疲れるだなんて、そんなこと全然ないよ。むしろ楽しいし、嬉しい」
「嬉しい?」
「うん。みんな、カイのことが大好きなんだなって、すごく伝わってくるんだ。屋敷の人たちみんなが家族みたいで、 あったかくて。……私のことも、家族の一員みたいに接してくれて」
 どきりとした。
 アリアは滅多に弱さをさらさない。他人のことばかり気遣って、自分は大丈夫だから気にするなと、そう言っていつも笑う。
 そんなアリアが一瞬、泣いているように見えて。
 気が付くと、カイはアリアの体を抱き寄せていた。抱き締めればカイの腕の中におさまってしまう、小さく華奢なその体。
「ずっと、アリアの傍にいる」
 父親を事故で亡くしたとき、カイは悲しかった。何気ない日常の中で、ふとした拍子に襲い来る喪失感と痛み。それは、 限りなくゼロに近づくことはできても、決してなくなることはない。
「アリアを置いていったりしない」
 アリアも同じなのだと、どうして今まで気が付かなかったのだろう。
「俺がアリアの家族になる。俺だけじゃない。母さんも、屋敷の人たちも、きっとアリアのこと家族だって思ってる。だから…」
 そこまで言ってはっとする。
 これでは、まるでプロポーズだ。
 もちろんカイとて将来的にはアリアと結婚したいと思っている。晴れて思いが通じ、恋人同士となった今なら尚更だ。 しかし、それとこれとは話が違う。
 しかも人通りがないとはいえ、ここは公衆の往来で。
「ごめんっ…!」
 慌てて離れようとする。そのカイの背中を、アリアが止めた。
「ありがとう」
 抱きつくというより、しがみつくような形でカイの胸に額を押しつけてくる。
「そんなこと言われたら、もう、嬉しくて泣きそう…」
「アリア…」
「大好きだよ、カイ」
 もう、誰かに見られても構うものか。
 湧き上がる衝動のままにカイは、アリアを再び強く抱きしめた。



 後日。
「アリア様、カイ様とご結婚されるって本当ですか?」
 アリア付きの女官が無邪気な様子で質問をぶつけてくる。
「カイ様がアリア様にプロポーズしたって、噂になっていますよ」
 ものすごい爆弾。カイが思わず息を詰まらせた。あのとき、目撃されていたのだろうか。誰かに見られてもいいと思った自分を 少しだけ後悔したくなる。
「またそんな噂話して…」
 ふう、と困ったようなため息をつくアリア。
「駄目よ、そんな根も葉もない噂をひろめちゃ」
「根も葉もないんですか?」
「うーん…根っこくらいはあるかも、だけど。…でも結婚とか、プロポーズとか、それはない」
 堂々と言い放ったアリアにカイは、なんだかほっとしたような、残念なような、なんとも言えない複雑な気分になった。
 どうやらアリアは、カイの間一髪な発言をまったく気にもとめていなかったらしい。
「…まぁ、いいか」
 自分にしか聞こえないくらいの小さな声でカイはつぶやいた。
 カイとアリアの結婚の噂。根っこはあるとアリアは言った。今は、その言葉で十分だ。
 いつか芽が吹き葉が茂り、そして花が咲く日まで。
「焦る必要はないさ」
 二人はこれからも、ずっと一緒なのだから。






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