「アスランさんって優しいですよね」
「何だ、急に…」
 読んでいた本から顔を上げ、わずかに眉間にしわを寄せる。
「だって、よくこうして私が勉強するのに付き合ってくれるじゃないですか。アスランさん、すごく忙しいのに」
 王城の敷地内にある書庫。閲覧用にと置かれている大きなテーブルに向かうアリアの、斜め向かいの席にアスランが座る。 これが、最近の二人の定位置だった。以前は書庫の隅に椅子を移動させて、ひっそりと本を読んでいたアリアだった、 その場所では目を悪くするからとアスランがやめさせた。それ以来の位置関係。
「僕はただ、自分が本を読みに来ているだけだ」
「でも、わからないことがあったら訊いていいって」
「それくらいで邪魔されるほど僕は馬鹿じゃないからな」
 読書を再開する振りをして、アスランはアリアから目をそらした。
 今言った言葉は、半分本当で半分嘘だ。時折質問をぶつけられたくらいでアスランの集中は途切れたりしない。ただアリアが相手だと、 どうにも動揺してしまうのは事実で。アスランの話を聞くため近くに顔を寄せ見つめてくる瞳や、疑問が解決したときの嬉しそうな笑顔を 見ていると、平静でいられなくなる。
「初めて会ったときも、私のこと助けてくれたし」
「城内で迷子なんて迷惑だと思っただけだ」
 考えるより先に口をついて出た言葉に、言い過ぎただろうかとふと心配になる。ちらりと横目でアリアをうかがうと、 テーブルの上に頬杖をついたアリアがアスランを見ていた。思い切り、目が合ってしまう。
「でも、あのときは本当に助かったんですよ?一人でどうしようって、すごく不安だったから」
 だから嬉しかったです、とアリアが笑った。
「ほら、やっぱりアスランさんは優しい人なんですよ」
 なぜか誇らしげに胸を張るアリア。
「………別に」
 そのまっすぐな賛辞が照れ臭くて、つい、反論してしまう。
「別に、僕は誰にでも優しい訳じゃない」
 本当に優しい人というのはアリアのことだとアスランは思う。誰に対しても平等に心を砕くことができる人。アスランには、 そんな真似はとてもできない。
「どうでもいい相手にまで優しくできるほど、僕は人格者じゃないさ」
「………それって」
 アリアの表情に、アスランは自ら墓穴を掘ったことを悟った。しまったと思ったのはしかし、ほんの一瞬で。
「………言っただろう。僕は、お前のことが好きだと」
 目線を外したくなる衝動を必死で堪える。
「もう忘れたのか?お前は、そこまで馬鹿じゃなかったと思ったが」
 アリアと向かい合い、アリアの目を見て。
 たまらない恥ずかしさの反動でまた厳しい言葉を口にしてしまったが、今のアスランにはこれが限界だった。
 アリアの方も、そんなことを気にする余裕もないといった様子で。
「…アスランさん、顔、真っ赤です…」
「うるさい。言うな…」
 指摘するアリアの顔も赤い。
「な、なんかどきどきしてきちゃいました。どうしましょうアスランさん」
「そんなこと僕に訊くな。そもそも、お前が変なことを言うから…」
「私はただ、本当のことを言っただけです」
「それが変なことだって言うんだ」
「………」
「………」
「………なんか、馬鹿みたいですね、私たち」
「…そうだな」
 気を取り直すように大きく息を吸い込むと、アスランは読みかけの分厚い書物のページを閉じた。
「せっかく、良い天気なんだ。本を読むのもいいが、たまには散歩でもしないか?」
 珍しいアスランからの誘いに、驚いたようにアリアが目を見開く。しかしその表情は、すぐに輝くばかりの笑顔へと変わった。
 嬉しそうに、大きく頷く。
「私、案内します。いろんな場所をみんなに教わったんですよ」
「馬鹿を言うな。青の宮なら僕の方が詳しい。僕の方が、お前よりずっと長くここにいるんだ」
 さっさと本を元の書棚に戻して出口へ向かう。扉の前で足を止め、ばたばたと慌ただしく片付けをしているアリアに、 背を向けたままに呼びかけた。
「急がなくていい。待っているから。………アリア」
 名前を、呼ぶ。
 ただそれだけで胸がざわめく。顔が熱を帯びる。
「お待たせしました!行きましょう、アスランさん」
 けれどそれも、悪い気分ではなかった。






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