漆黒の天鵞絨に似た夜空に、瞬く星々は宝石のよう。
詩人だったらそんな風に謳うのだろう美しい風景すらも、今のギルフォードにとっては心を落ち着かせるどころか、
かえってささくれだたせる効果しかなかった。
「綺麗な夜空だな、まったく」
「随分とご機嫌斜めだな、ギルフォード」
ぼやいたところで、背後から声をかけられる。
少し前からそこに人がいることには気が付いていたため、さして驚くこともなくギルフォードは振り返った。
「エディアルド兄上。こんな夜中にどうしたんですか?」
「たまには、可愛い弟と夜の散歩もいいと思ってな」
真面目くさった顔でとぼけたことを言い放ち、ギルフォードの隣までやってくると、エディアルドはバルコニーの手すりに
肘をついて空を見上げた。
「別に、空はお前のことを何とも思っていないと思うぞ」
「…わかっています。少し、八つ当たりしたい気分だっただけです」
「そうか」
それきり黙りこんでしまう。
護衛の気配は感じるが、遠い。エディアルドに何かあったときにはすぐに駆けつけることができるが、よほど声を張り上げなければ
会話の音は届かない、そんな距離感。おそらくギルフォードに気を遣っているのだろう。主に似て、よく気の回る配下だと
ギルフォードは思う。
「………うまくいかないものですね」
何のためにエディアルドが、こんな時間にこんな場所に現れたのか。考えずとも明らかなその厚意に、ギルフォードは
甘えることにした。
「つい焦ったんです。あまりにも頓珍漢な態度をとるものだから。そういう性格だって、わかってはいたんですが…」
逃げるように退散してしまったが、きっと怒っているだろう。ふざけてからかったと思っているに違いない。他ならぬ自分自身が、
最後の最後でうやむやにしてしまったのだから。
「そんな風に、お前が本気で悩むところを見られるなんて長生きはするものだな」
「なに馬鹿なことを言っているんですか。俺とそこまで年齢違わないでしょう」
「ははは、そうだった」
エディアルドの楽しそうな笑い声が夜空に響き、吸い込まれて消えていく。笑いの残滓がにじむ眼差しをふと真面目なものに変えて、
エディアルドはギルフォードを見た。
「本気の相手にどう接したらいいのか、勝手がわからないんだろう」
ずばり図星だ。
ギルフォードとて二十四歳の健全な男子だ。後腐れのないよう相手を選びながらではあるが、今までそれなりの経験もしてきた。
しかしこんな風に、誰かに本気になるのは初めてのことだった。そのせいで、いまいち相手との距離感をつかむことができない。
大切にしたいと思う。そのためには、先を急ぐべきではないとわかっているのに。
「悩むのは楽なことじゃないが、悩めるということ自体は悪いものではない。思い切り悩めばいいさ。そうやって、
人は成長するものだ」
もっとも、と。言葉を継いでから一瞬ためらうような間が開いて。それからエディアルドは、つぶやくように先を続けた。
「…その対象が竜の巫子だというのは、いささか複雑な心境だが」
「………」
ギルフォードの想う相手は、先々代の青竜の巫子とは違う。そんなことは言うまでもなく、エディアルドもわかっているだろう。
しかしどうしても重なってしまう。まったくの別人で、性格も違う。顔も似ていないし、せいぜい年頃が同じというくらいしか
共通点がないような二人なのに、昔を思い出してしまう。
「兄上…」
「…今更こんなことを言っても詮無い、か」
ふう、と吐息を一つ。仕方ないなというようにエディアルドが笑みを浮かべた。
「誰かを好きになるのは、理屈ではないからなぁ」
「……そうですね」
ギルフォードは頷いた。
いつから、とか何がきっかけで、とか。そんなはっきりとしたことはわからない。ただ気が付いたら、好きだった。
「守ってやれ。お前が、すべてから」
『すべて』と言った、その一言がどれだけ重いものであるかをギルフォードは知っている。
だからギルフォードはすっと姿勢を正すと、まっすぐにエディアルドと向かい合った。
「必ず。持てる力のすべてで守ります。絶対に悲しませないと誓う」
たとえ、この想いが報われなかったとしても。
「ああ。………だがな、ギルフォード」
ぴん、とエディアルドの片方の眉が上がる。笑みは深くなり、ギルフォードの目には、にやりと言っているように見える。
「そういうことは私を相手にするのではなく、直接本人に誓ってやるものだ。なんなら、兄として人生の先輩として、
アドバイスの一つもしてやろうか?」
「………いいえ、遠慮しておきます」
こっそりと、ギルフォードはため息をついた。
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