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「オルフがいなくなった」
 そんな一言と共に、アリアは宿に置き去りにされた。
 深々とため息をついたギルフォードがカイを伴って出て行ったのは、どれくらい前だっただろう。私も探しに行くと手を上げた アリアの提案はギルフォードによって呆気なく却下され、入れ違いに帰ってくるかもしれないから、という大義名分のもとに 一人留守番を言いつけられたアリアは、ひたすらぼうっと窓の外を眺めていた。
 アリアとギルフォード、カイ、そして竜の君であるオルフ。この四人で一週間ほど過ごしてきたが、オルフがこうして姿を消すのは 今回が初めてではなかった。いや、初めてどころかむしろ、オルフはよく一人でいなくなる。ただの散歩だと当人はいつも言うが、 自分の立場を考えろ、せめて供をつけろ、というギルフォードの言い分の方が正しいようにアリアには思える。
(初めて私と会ったときも、こんな風に騒ぎになっていたんだろうな…)
 そんなこととは露知らず、そそくさと教会に帰ってしまったことをほんの少しだけ申し訳なく思う。
「アリア」
 微かに名前を呼ぶ声が聞こえたような気がして、アリアは物思いの淵から浮上した。誰かが帰って来たのかと部屋の入口を 振り返るが、誰もいない。気のせいかと首を傾げていると、もう一度、名前を呼ばれた。入口とはまったく逆方向の、 窓の外からやはり誰かがアリアを呼んでいる。
 きょろきょろと辺りを見回して、ふと視線を上げるとそこに、いた。
「えっ!?」
 思わずアリアは自分の目を疑った。
 ギルフォードとカイが現在進行形で、必死に探しているはずのその人が、アリアに向けて微笑んでいる。しかしそれだけならば、 アリアとてこんなに驚くことはなかっただろう。問題はオルフが、アリアと同じ目線にいることだった。アリアたちがこの町で 宿泊している部屋は三階建ての一番上で、その窓から外を見ているアリアと目線が同じということは、つまり相手も同じ高さの場所に いるということで。
 通りをはさんだ向かいの建物の、その屋根の上に、なぜかオルフは立っていた。地面を歩いているときよりも強く吹く風が、 青銀色の髪を舞い踊らせる。それはともすれば、オルフの小さな体ごと空にさらっていってしまいそうだった。
「なんでそんなところに…っ!」
「ここからだと町がよく見えるんだ」
 さらりと、一片の問題もないというようにオルフが答える。
「そうじゃなくて…!早く下りてっ、危ないから!」
 こんなときでもいつもと変わらない、落ち着き払った様子のオルフに苛々する気持ちをなだめつつ、とにかく一刻も早く避難するよう 声を上げる。
「アリアが、そう言うなら」
 焦るアリアをきょとんと眺めて、オルフが一歩踏み出そうとしたその時。
 風が、吹いた。
 アリアの耳にごうっ、という音を残して吹きぬけた風は、屋根の上という無防備な場所に立っていたオルフをその腕にとらえて。
 ぐらりとオルフの体が傾ぐ。
「………っ!?」
 落ちる。
 最悪の事態が現実のものとなってしまった衝撃で、助けようと行動を起こすどころか目を閉じることすらできない。
 そんなアリアの目の前で更に信じがたいことが起こった。
 斜めにバランスを崩して見えたオルフの足が屋根の端を蹴る。重力を感じさせない軽い身のこなしで、オルフが跳んだ。 向かいの屋根からこちらの窓へ。とっさに窓辺から離れることができた自分を褒めてやりたい、とアリアは思う。 寸分違わず窓の桟の部分に着地したオルフは、そのまま何の危なげもなく部屋に降り立った。
「………」
 あまりの展開に言葉が出でこない。
「ただいま、アリア」
 絵に描いたような、見事な茫然自失状態のアリアだったが、にこりとしたオルフが挨拶するのを聞いた瞬間、かっとなった。 さっきまで心配していた分、反動がついて一気に沸点に達する。
「馬鹿っ!」
 駆け寄って膝をついて、オルフの頬に手を添えてまっすぐに目と目を合わせる。
「町が見たいなら、どこか良い場所を探すのを手伝うから。だから…もう、あんな危ないことしないで」
「アリア…」
「お願いだから、心配させないでよ…」
 アリアがしているのと同じように、オルフの手のひらがアリアの頬に触れた。
「ごめんアリア。ごめん…」
 空に浮かぶ月のように静謐な金色の瞳が、今はわずかに揺れている。普段その心の内をなかなか推し量ることができない竜の君の、 ほんの一端ではあったが、垣間見ることができたそれは信頼に値する真摯さをもってアリアの目に映った。
 そしてアリアは目の前の小さな頭を撫でようと腕を伸ばしかけて。

 我に、返った。
(…そうだよ、竜の君なんだよ。その辺の子供じゃないんだよ)
 頭に血が上ってつい、無茶をした子供を叱るのと同じように説教をしてしまったが、よくよく考えたら相手はアリアよりも はるかに長い時を生きてきたであろう竜の君なのだ。
(今の、だいぶ失礼だったよね…?)
 冷や汗混じりに硬直しかけたアリアの耳に、くすりと笑う声が聞こえた。楽しそうな、嬉しそうな、そんな笑い声。
「アリアは優しいね」
「………え?」
「アリアの言葉はとても優しい。人を思いやる心が込められている。ありがとう、アリア。心配してくれて嬉しかった」
「…怒っていないんですか?」
「怒る?どうして。私は嬉しかったのに」
 とりあえず気分を害してはいなかったようで、アリアはほっと胸を撫で下ろした。
「申し訳ありませんでした、オルフ様。危険がないってわかっていたから、オルフ様はあんなに落ち着いていたんですよね。 それなのに、一人で騒いでしまって」
「私は嬉しかったと言ったんだよ、アリア」
 アリアの頬に置かれたままだったオルフの手が離れたかと思うと、今度は手を握られた。宝物をその手にするときのようにそっと、 けれど離すまいとするようにしっかりと、オルフの両手がアリアの手を握る。
「あんな風に、私の身を案じて叱ってくれる人間なんてほとんどいないから。……だからアリア、そうやって、 距離を置こうとしないで欲しい。様はいらない。敬語もいらない。さっきみたいに、まっすぐ私を見て欲しい」
 この展開には、アリアは非常に覚えがあった。ほんの数日前、そのときはオルフではなくギルフォードを相手に、同じような 会話をした気がする。
「私もギルフォードと同じだよ。アリアともっと近しい関係になりたいんだ」
 戸惑うアリアにふと微笑んで、オルフはアリアから一歩離れた。開いた距離に、つながっていたアリアとオルフの手がほどける。
「無理にとは言わない。人の心に強制はできないから。だからこれは、ただの願いに過ぎない」
 寂しそうというのとは、少し違うような気がする。
 同じ言葉を口にしていても、オルフとギルフォードとでは内に込められたものが違っているようにアリアは感じた。
 それが一体何であるのかはわからない。アリアにできることはただ、その正体について想像をめぐらせることだけだ。
「………実を言うと」
 アリアなりに考えて。
 それから、ぽつりと言った。
「普通に喋っていいって言ってもらえると、少し楽、かな」
 願いを叶えてやろうだなんて、傲慢なことを考えたわけではない。
 今、アリアが言ったことはまぎれもなくアリアの本心の一端だ。教会でずっと子供たちを相手にうるさく言う役目だった アリアにとって、竜の君とはいえ一見すると普通の少年のようなオルフに対して恭しく語りかけることは、若干のやりにくさがある。 だからさっきのように、ふとした拍子に敬語がとれてしまう。
 誰のため、なんて大層なものではない。ただ、お互いに歩み寄るというだけのことなのだ。
「私、口が悪くて驚くかもしれないよ?」
「どんな言葉でも、アリアの言葉は優しいよ」


 このときアリアの頭からは既に、オルフを探して駆けずり回っているであろう二人のことはすっかりと抜け落ちていた。






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