「ラーイ様…!」
 長い廊下の向こう側に目的とする姿を見つけ、シェラザードは足を速めた。こちらの接近に気付き、 振り向いたラーイの前まで来ると、さっと礼をとる。
「お疲れ様です、シェラザード。そんなに慌てて、一体どうしたんです?」
「次代の青竜の巫子様が見つかったと」
 簡潔に要件を告げると、ラーイはああ、と頷いた。
「オルフ様が見出されたようですね。とても、資質のある方だとか」
「まだ十七歳の、一般人の少女だと伺いました」
「………ええ」
 答える間に、微かな沈黙があったことにシェラザードは気が付いた。
 いつも穏やかに微笑みながら、この青の宮における実務を一人取り仕切っているこの人は、 自分というものを隠すのが実に上手い。他人の感情の振れを敏感に読み取る一方で、自身の心中を なかなか明かすことをしないのだ。
 青の宮に勤めるようになって約三年の年月を経て、ようやく少しだけラーイの変化がわかるように なった。
「先々代…リルカ様と、似ているように思います」
「…そうですね」
 一瞬垣間見えた素顔をすぐに覆い隠すと、ラーイは素早く辺りの様子を窺った。
「立ち話もなんですから、私の執務室に来ませんか?もちろん、あなたの都合がよければですが」
 少し休憩にしましょうと、同じ職場で働く同僚をお茶に誘うようにシェラザードを誘う。
 踵を返し歩き出したラーイの後ろを、シェラザードは無言で追った。部屋に通され、向かい合って 座ったところでようやく口を開く。
「ラーイ様。やはり何か、懸念がおありですか?」
「……三年前の、大水害は未だ、人の心に不安を与えています。竜の巫子という存在の必要性は 皆が感じていますが、それが、大水害のあった三年前と同じ…リルカと同じ年頃の少女であることに、 不満や反感を抱く者も少なくはないでしょう」
 シェラザードは頷いた。
 城内で働く者たちの中には、自らの小心ゆえに他者を攻撃し、それによって精神の安定を図ろうとする 者もいる。綺麗事だけで成り立っている場ではないことは、シェラザード自身がよくわかっていた。
 今でこそ青の宮の女官長を務めているがシェラザードは元々、武官の出身だ。実力主義を掲げ、 平等を謳っていながらも、やはり女が武官として国に仕えることに対する偏見は少なからずあった。 女だから。女のくせに。そんな理不尽な台詞を、何度耳にしただろうか。
「巫子様は、必ずお守りします」
 降りかかる火の粉はすべて払う。
 青竜の巫子であるという以上に、国家の中枢に一人放り込まれた年若い少女を守りたいと、 シェラザードはそう思った。


「アリア様って、どんな方なのかしら?」
 興味津々な様子を隠そうともせず、しかし仕事をする手を止めることなく一番年下の女官が 首を傾げた。
「さあ…?まだ御年十七歳になったばかり、というくらいしか聞かないわね」
「教会で、孤児たちと一緒に暮らしていたらしいわよ。なんでも大水害でご両親を亡くされたとか」
 自他共に認める情報通の女官が、どこから仕入れてきたのかそんな情報を披露する。
「ご両親を失って、一緒に暮らしていたご友人とも離れて、お一人でこの王都にいらっしゃるなんて…」
「少しでも、お気持ちをお慰めできればいいのだけれど」
「………私たちで、笑いませんか?」
 ぽつりつぶやいたのは、一番初めに話題を振った女官だ。
「私たちがいつも傍にいて、いつも笑っていれば、きっとアリア様も、 寂しさを感じる暇もなくなるって思うんです」
 その思いは、幼い頃に片親を亡くした自分自身の経験ゆえか。
 一瞬きょとんとした顔を見せて、それから少し考えるような素振りをした後で、周りの女官たちは 各々頷き、微笑んだ。
「そうね…。それくらいなら、私たちにもできるかしら」
「アリア様がお寂しい思いをしないように、私たち、うんと笑いましょう」
 明るい笑い声が響き渡る。
 他人の心を思いやり、行動する。
 そんな当たり前のことを、当たり前のようにすることができる女官たちの優しさが、 とても頼もしかった。


 アリアの部屋の扉をノックしようとして、そこがやけに賑やかであることにシェラザードは 気が付いた。なにやら聞こえてくる笑い声と、楽の音と、そして歌声。気配を消してそっと中の様子を 窺ってみて、シェラザードは警戒を解いた。
 流暢なバイオリンの音色に乗って聞こえてくるのは、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう 流行のメロディー。楽しそうに手拍子を打つ女官たちの中心で堂々とそれを歌っているのは、 この宮殿の主であるアリアだった。
 曲が終わるのを見計らって、わざと音をたてながらシェラザードは部屋に入っていった。
「ずいぶん賑やかですね」
 ぱっと女官たちが振り返る。バイオリンを弾いていたリュカが手を止め、アリアはばつが悪そうに 肩をすくめた。
「あの…シエラ。みんな、お仕事さぼってたわけじゃないのよ?」
 シェラザードを上目遣いに見上げながらアリアが弁解する。その中身は、すべてリュカや女官たちを 庇うものだ。
「リュカがバイオリンが得意だって言うから、聞きたいって私がお願いして。それで、せっかくだから 歌と合わせてみようってことになって」
 それで、気が付いたらみんな集まっていたのだそうだ。
「そもそも私が、リュカにバイオリンを弾いてってお願いしたのがいけなかったわけで…」
 アリアの必死な様子に、シェラザードは胸の奥から暖かい何かがこみ上げてくるのを感じていた。 堪らず、破顔する。
「シ、シエラ?」
 突然笑顔になったシェラザードに慌てた様子のアリアと、少し屈んで目を合わせる。
「心配なさらなくとも、皆を叱ったりしません。その代わり…」
「その代わり?」
「私にも、歌を聞かせて下さい」


 アリアの周りには笑顔が集まる。
 アリアに気を遣って、アリアを慰めようと笑うのではなく、アリア自身の人柄ゆえに、 自然と皆が笑顔になる。
 そんなアリアを、シェラザードは守ろうと思った。
 青竜の巫子だからではなく。
 寄る辺ない十七歳の少女だからでもなく。
 それがアリアだからこそ守りたいと、そう、思った。






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